真理バランスを洞察して生きる

私は幼少時代より、人生や世界を
常にバランスとして洞察していた子でした。
そして生きる私たちと世界にとっての
絶対的な真理を考察し続けていました。

上・下・右・左・内・外。
自分軸・他者軸でなく、
どちらかというと数学的な見地による
絶対的なものを探り続けていました。
何故かその果てに
真の幸福と安心が築かれる確信がありました。

しかし学問としての数学や物理は、
誰かの作り出した”みなし”の上で
構築されたものと感じられ、
あまり興味が沸かずテストの点は低かった。
また、心理系も同様なものと思われ
あまり興味が沸かなかった。

唯一生物は、
ただそこにある
究極のバランスを持った存在に対し、
詳細にアプローチしていく学問なので
大変興味を持ち、
学校は生物学に進みました。

また哲学も、
世界と人間の真理を
追究していこうという論理に於いて、
大変学びをいただきました。

そして社会運動も、
世界の営みにおける
真理とバランスを目指そうという点で
大変共感しました。

年を重ねるうち、
時には
社会が全然真理バランスへ向かっていず、
それを変化させる存在である
個としての無力感による
絶望から伏せていた時もありました。

自然という
バランスが保たれた場にいられるよう、
アウトドアに傾倒したこともありました。

文化的な究極の中に
真理バランスがあると捉え、
絵画の展覧会に通い
クラッシックや民族音楽に傾倒した
時期もありました。

そして何より
それらを語り合える仲間がいたことが、
私の人格形成に
大変善き影響をいただけたと思っています。

しかし、真理バランスを探るには、
個人としての無力さと、
受けるべく
身体と経験の限界を感じ続けてもいました。

そこで出会ったのが「禅」でした。
私にとって「禅」は、究極の真理バランスを、
心・身体の両方で
満たしていくと感じられるものでした。

そして振り返ったところ
私の家は禅の寺院であり、
修行にいつか行けと言われていたのを
思い出しました。

それまで父への反発や僧侶への魅力を感じず、
「修行には絶対に行くもんか!」
と思っていたのが、
「すぐにでも修行に行きたい!」
となり、

実際大学院生の途中で修行に行き、
元々は研究に戻るつもりが戻らず、
そのまま紆余曲折がありながら、
僧侶となり自覚を持ち存在し、
結果生業ともなっています。

そして教えや経験を経て、
真理バランスは、
真理よりバランスの方が大切だと認識し、
しかし真理を洞察し続けることが
バランスを生んでいくこと。
真理・バランスが高まることが、
生き方の善きシフトと
本質的安らかさ・幸福を得るということを
理解していきました。

そしてこの素晴らしい事実を
多くの方に伝えたいと願い、
「禅」をベースに身体と心の両面から
日常から生かせるよう工夫・構築し、
個々の力を回復させ
エンパワーメントを高める力の源として、
様々な形で伝え普及できるよう
尽力させていただいています。

それがzafu活動ミッションの基礎であり、
その形態として
・禅セラピー
・zafuプロダクト
・対話型個人カウンセリングセッション
・哲学カフェ構築
などがあるのです。

私にとっては
どれも大切で意味のあるものです。
先日依頼要望によって始まった
対話型個人カウンセリングセッションも、
大変有意であると、
依頼や継続も来始めています。
https://bosan32000.wixsite.com/sinsindo/blank-14

禅の力により、
本質的な安楽を築くzafuの活動。
是非ご体感下さい。
https://bosan32000.wixsite.com/sinsindo

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