ボランティアの定義

ー「奉仕」「無償労働」はボランティアではないー
ーボランティアが「奴隷」とならぬようー

私は日本のボランティア元年といわれる
阪神・淡路大震災にて、
事務所に宿泊しながらボランティアをし、
そのままNGO職員になり、
有償ボランティアとして、
給与をいただき生活しておりました。

シェアの記事。ボランティアの定義に際し、
大変明確に説明されています。

今回の熱海災害にて、ボランティアに2千人以上が応募しているが、危険なためいつから活動できるのかわからないという報道があります。

かたや、日本でこれから行われるであろう、世界規模のスポーツ大会のボランティアが、森氏の発言以降、現在まで多数辞退してきたことに対し
【「そんなこと(後に『そのようなこと』と訂正)ですぐ辞めると瞬間には言っても、協力して立派に(大会を)仕上げましょうとなるのではないか」「また落ち着いて静かになったら、その人たちの考えもまた変わる」と、辞退を申し出た人たちの意見表明を取るに足らないと考えていることを隠しもしなかった。*NEWSポスト記事より】
と、ボランティアを
「いくらでも代わりはいる、安い労働者」
のように見ているかのような意識をもつ者もいるかと感じます。

ボランティアの師である、元SVA専務理事 有馬実成 師は、忙しいさなか、よく神戸に来ていただき、若い宿泊ボランティアに、『ボランティアとは何か』ということを、熱く話していただきました。

それは決して「奉仕」「無償労働」ということではなく、「志願」であり、善き縁や実践により安寧に向かう社会変革を促すための一員になるということ。

もとより遣われる者になることがボランティアではないのです。

ですので、する側も、される側も、ましてはコーディネーター側である運営者や行政も、本来すべて対等なのです。そして「互いに」尊厳と敬虔意識を持って進めるべきものなのです。

どのような社会にしていきたいか。
その問い自体がボランティアの始まり。

そしてその問いを体現できる場を整えていくのが、運営側の役割。

そこに上下関係や納得できない制約契約があるならば、それはボランティアではないですし、普通に賃金をはらう案件でしかないのです。

ボランティアとは決して安い労働力ではないのであり、強制での無償労働とみているならば、奴隷と同様の扱いをしているのです。

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