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サンガとは、上下関係でなく役割の共有である

―ティール組織と和合、マインドフルネスの営み―

サンガとは、漢訳で「和合衆(わごうしゅ)」と表されます。
仏法でサンガは「仏法の真理である本質の安らかさベースに沿って構築された共同体モデル」です。そこに上下関係はなく、各個人が仏法に沿った善き発現をするべく役割を果たしながら見守りサポートし合う関係です。

その源泉は仏教的ヴィジョンである「誓願」と、ヴィジョンに基づく「戒律」です。

禅の修行は上下関係があるように思われますし、確かに上役の方から叱咤されることもあります。しかしそれは本来、相手への精励を与えるべく敢えて行う「叱咤する側」の修行だと言われております。前提として互いの尊意があるからこそ成り立つのです。(今の修行道場では、そのように考えて本当に叱咤しているのか検証しなければいけないかもしれませんが..)。

また、修行僧のトップを命じられた首座という役職の者は、作務を他の修行僧よりも多く、そしてやりたがらないことも進んでやる存在だとされています。そしてやったからといって自慢するのではなく、慈悲心を持って修行僧のトップとして見守る役割を担っているのです。

今、和合的なティール組織というのが流行りですが、そこで大切だと言われているのは「心理的安全性」とも呼ばれるまさに「慈悲」となる思いやり分かち合いの共有です。しかしそれをただ方法として「やりましょう」ではどうしても上下関係で依存状態になってしまいます。

和合組織に於いて本質的に大切なことを、仏法知見を基にして表しますと、
① 誓願⇒ミッション
② 戒律⇒ミッションを基にした規則
③ 智慧⇒戒律を基にした、工夫と話し合いによる具体的実践
④ 行⇒和合慈悲の心を育てるため、自身との向き合いと気づきの営み

これの浸透と共有により、初めて本質的な和合的組織になります。

①から④は、①が原点でもっとも大切にするものではありますが、全てが大切な観点です。ちなみに禅として④が禅的マインドフルネス(bosatsuマインドフルネス)の実践であり、決して実利マインドフルネスの実践ではありません。

なぜなら本来和合組織としてのマインドフルネス利用は、誓願⇒ミッションの元からでないと成り立たないものです。そして方法→効果を目指す実利マインドフルネスの実践は本質和合には向かわないのです。

また、最近実利マインドフルネスでは、コンパッションの獲得が次の善き社会を築く力となり、その獲得したコンパッションが仏法の慈悲であるように言っているような論調があります。しかし実利マインドフルネスによって獲得したとされるコンパッションは仏法の慈悲ではありません。

本来の仏法的な慈悲の観点は獲得していくものでなく、慈悲への誓願が根本にあり、慈悲的存在であるためにマインドフルネスの営みを続けるというものです。いわゆる
○コンパッション(慈悲)への根本誓願→マインドフルネスの営み。
ということ。決して
○マインドフルネスの実践経験→コンパッショの獲得。
ではありません。

仏法的誓願とは、地域や関わるコミュニティ基盤の安心を大切にしながらもそこに終始せず、全ての存在の安心と平和を願い導く想いと実践。それが自他共の救済につながるのです。

そして本質的な和合組織の構築は、仏法的誓願からでしか生まれないと私は考えています。

藤井隆英 拝

*一昨年の、マインドフルネスの祖ティク・ナット・ハンのサンガであるプラムヴィレッジサンガ日本ツアーでの講義中のお話を紹介させていただきます。ご参考にどうぞ。
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プラムヴィレッジのブラザーが法話の中で、サンガが平穏に作られるためにブッダが説いた6つの調和の話を紹介してくださいました。

①Stay in one place.
同じ場所で暮らす
②Practice same precepts.
同じ戒律を実践する
③Discuss things together.
全員で一緒に話し合う
④Make discussions together.
全員で決断する
⑤Deep listening and loving speech
深く聴き、愛をこめて話す
⑤ Share benefits.
何でも分かち合う

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