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#BFC3落選展「読まれ得ぬテキストへの弔文」

 読まれ得ぬテキストへの弔文  日比野 心労

 君は何かに気づいて書きかけの原稿用紙をくしゃくしゃと丸め、塊となったそれをすこし離れたゴミ箱に放る。それは三回に一回は上手く入るが、残りの二回はゴミ箱を外れ、ポテンと床に落ちる。君は舌打ちをして椅子から腰を上げ、床に転がる塊を拾いに行くことになる。
 あるいは君は打ちかけのキーボードの上で指を止め、「私はそう言っtt」という一文のカーソルをしばらく眺め、決意してバックスペースキーを押し続ける。tの後に母音が打たれる時は永遠に来ない。
 もしかすると君はスマホのメモ帳に残したとある作品の書き出しの存在を忘れ、新しい機種を買った際、データ移行を失敗してそのメモを消去してしまうかもしれない。電子の海に沈んだ書き出しの数語は品詞分解され、子音と母音に分けられ、0と1に粉砕されながらまた自らが再構築される時を、深い電子の海底で待っているのかもしれない。

 君はとある物語を書き上げる。初稿だ。君はその物語を注意深く読み直す。そして、様々な要因から書き直しの必要性を感じ、推敲し、追加し、入れ替え、磨き、オーバーした文字数を泣きながら削り、イメージしていたテーマとの乖離に気づき、響きや、リズムや、整合性の貧相さに気づく。君は立ち上がり、温かい紅茶を淹れて飲む。5分間逡巡をめぐらせた後、君はその原稿をクリアファイルに挟み込み、机の引き出しの奥にそっと仕舞い込む。あるいは適当な名前を付けてフォルダに保存し、マイドキュメントあたりに放り込む。
 そして第二稿に着手する。

 君はweb上にとあるテキストを公開する。物議を醸す文章だ。公開後、議論と呼べるような反応は起きず、誹謗や中傷や非論理的な反論、人格攻撃、その他ありとあらゆる否定が君に対して向けられる。君はか細い反論、やがて釈明、遂には謝罪を公表せざるを得なくなり、テキストは殺される。
 読まれ得ぬテキストの死体は画像として遺され、遺影は公共の広場に遺棄されたままそこで遊ぶ人々の靴に踏まれ、やがて泥や靴跡に塗れて見えなくなり、忘れられていく。

     (R.I.P.)

 テキスト、あなたがこの世から去ってから何日、何ヶ月、何年が経つのでしょうか。あなたの死は忘却です。存在の抹消です。
 テキスト、いまこの場に参列者はわたしひとりです。他には誰もおりません。もしあなたが恥を感じているのならばそれは杞憂です。叶うものならば、ゴミ箱の中から、電子の海底から、机の引き出しから、保存名を忘れたフォルダから、あなたの姿を見てみたかった。他の誰もが後ろ指をさすあなたの中に、ひと筋の光を見出してみたかった。
 わたしは、恐れる手で、躊躇う指で、震える心で、それでもなお書きたいという意思に突き動かされて走るペンの音とキーボードの打鍵音を葬送の音楽として選ぼう。丸められ塊となった原稿用紙をそっとほどき、あなたの葬前に供える弔花としよう。空の参列席にあなたが挟まれていたクリアファイルを並べ、公募に出されるあなたが入るはずだった封筒を立て掛け、葬儀の参列者としよう。
 
 テキスト、あなたは韻律を間違えた詩歌。
 テキスト、あなたは感情を上書きされた評論。
 テキスト、あなたは帰る処を失ったファンタジー。
 テキスト、あなたは政治的に正しくない言説。
 著者にさえ読まれ得ない物語、生まれる前から死する定めの水蛭子。
 届かない恋文。夜に灯る独語。目覚める前の一瞬、喃語にも似た不明瞭な響きで綴られる文学。夕焼けの帰り道、満員電車の人人人人人人人人人人人人人人人人人に押し潰される書き留めておきたかった感情。

 善悪の彼岸、巧拙の向こう側、矜持と諦念の狭間で擦り潰された子音と母音の残骸を、わたしは拾い集めよう。そうして拾い集めた言葉たちでこの弔文を綴ろう。あなたが世界に問う筈だった問い、あなたが世界に答える筈だった答え、もしくは問いと答えですら無いかもしれない呟きを、この目で確かめよう。一万人に殺されたあなたに手を差し出す一万一人めの人間になろう。世界中の誰にも読まれ得なかったあなたを読み、その死を悼む罪人となろう。
 
 そうしてあなたはわたしの物語になるのだ。わたしがいつか土に還り、あなたの種を遺し、遺した種がしとやかな雨を浴び芽吹くまで、芽吹いた双葉が木になるまで、木が大樹へと育ち大樹が紙に変わり紙にことばが記されいつか誰かの目に留まりその心を刺し穿つその日まで、

 テキスト、わたしはあなたの側に居よう。
 

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