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ドゥルーズ主義

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読み解くのが難しい哲学者、ドゥルーズに挑戦します。回数を重ねるにつれ、平易な言葉で案内できるようになるかと思いますが、当面の間は悪戦苦闘の痕跡としてお付き合い下さい。
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2022年4月の記事一覧

読書感想#27 【ジル・ドゥルーズ】「スピノザ−実践の哲学−」

 体(例:身体や心など)というのは、普通考えられているように、形や諸々の機能によって規定されるのではありません。全体の形状も、種に固有の形態も、諸々の器官機能も、また形態の成長さえも、全ては微粒子間の速さと遅さとの複合関係より決定されるのです。故に体が無数なる微粒子をもって成立するといわれるのは、かくの如く、微粒子間の運動と静止、速さと遅さとの複合関係という意味に於いてでなければなりません。  また同時に、体というのは、その変様能力によって規定されるのでなければなりません。

読書感想#26 【ジル・ドゥルーズ】「ベルクソン一八九五−一九四一」「差異について」

 これが何故、あれではなくてこれであるのか、またこれでなければならないのか。哲学はその根拠を与えるものでなければなりません。哲学とは、その対象そのものにぴたりと当てはまる概念、即ち唯一無二の概念を見い出すことに他ならないからです。逆にこの努力をしない限り、私たちは一般概念を代用して、その対象を不動で無差異的な何ものか、という枠組みに押し込めて説明するに甘んじなければなりません。ここでは当然、その対象が同じ類の他のものであるよりもむしろこのものである、という事実が見逃されること

読書感想#25 【ジル・ドゥルーズ】「ヒューム」

 哲学が対象とするところは、人間本性の探求です。空想からではなく経験から、想像力に属する諸観念からではなく人間本性の観察から、哲学は生まれるのでなければなりません。畢竟すれば、想像力はいかにして人間本性と化すのか、ここから哲学は始まるのです。  まず前提として、精神はそれ自体では自然の本性ではありません。それは想像力であり、空想であるからです。いわば精神とは特殊な諸観念の寄せ集めであって、これらの観念の運動に他ならないのです。諸観念に役割と絆と力能を授けつつ、精神を自然の本