【荻上チキ・Session 文字起こし】新型コロナワクチンの追加接種、6ヶ月経過も対象へ【ニュース】荻上チキがコメント【2021.11.15放送 Daily News Session】
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なお音源は各ポッドキャストにてアーカイブ視聴が可能です。
(以下書き起こし)
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(南部)
『新型コロナワクチンの追加接種、6ヶ月経過も対象へ』
~~~ 新型コロナワクチンの3回目の追加接種について、厚生労働省は2回目の接種を終えて6ヶ月経った人にも広げる方向で検討していることが分かりました。
厚労省は現在、2回目の接種から概ね8ヶ月が経った人を対象に接種を行う方針を決めています。
しかし海外では、接種を終えてから6ヶ月後には、感染を防ぐための中和抗体の値が減少したとの報告もされているため、2回目の接種から6ヶ月経った人にも広げる方向で検討しているということです。
高齢者の中には年内にも2回目の接種から6ヶ月経つ人もいて、これまでの準備よりも接種時期を前倒ししなければならない自治体が出る可能性もあります。 ~~~
『オーストリアでワクチン未接種者に外出制限措置』
~~~ オーストリアのシャレンベルク首相は14日、ワクチンを接種していない人の感染が増えているとして、新型コロナウイルスワクチンを接種していない人を対象とした外出制限措置を、15日から適用すると発表しました。12歳未満は対象外になります。
適用時期は10日間で、対象者は、生活必需品の購入や通勤などの限られた理由以外での外出が認められません。オーストリアでは、接種を完了した人の割合がおよそ65%で、今月に入り1日の新規感染者が1万人を超え、過去最多を更新しています。
ヨーロッパで感染が再拡大するなか、オランダでも13日から飲食店やスーパーマーケットの営業を午後8時までとするなど、規制を再び強化する動きが出ています。 ~~~
(荻上)
さて、世界各国のコロナ対策の状況を見ると、ワクチン二回接種の人が一定程度進んだとしても、また再感染・再拡大というものが進んでいて、ロックダウンなど強めの措置を取るという国もいくつか報じられていますよね。
データなどでもその辺りは明らかになっています。
(南部)
はい。
(荻上)
で、日本も含めて3回目の接種、ブースター接種をどうするのかってのが今の論点となっていて、その接種をどのように進めていくのか? 今までは例えばモデルナとファイザーとあったけれども、それをじゃあ一本化するのか、それとも複数の選択肢にしていくのかなども含めて、今議論が行われてますよね。
でも他方で、こうしたある種、そのブースター接種の議論というものが、国際的な解決と言うか、国際的な合意というものが得られないままに、でも各国では(議論が)進んでるということは、これ見落としてはいけないと思うんですよね。
(南部)
そのとおりですね。
(荻上)
確かにあの3回接種することによって、抗体というものの、その落ち込みというものをもう一度こう、しっかり確保し直すことによって、感染に対する対応をできるようにしておきましょう、というようなことはとても重要なことではあるわけです。
それを国家単位の集団免疫でみるのか、それとも国際的なものでみるのかによっても、話は変わってくるんですよね。
例えばその…僕は、その日のニュースを各メディアがどう報じてるのかなという風に見比べる時には、日本の新聞と…まあそれから夕刊も含めてか。まあそうしたものを見た上で、例えばBBCとか、海外のメディアとかが、どういった格好で何をトップニュースにしてるのかな位はこう見たりするわけですよね。
そうすると、例えばBBCが数日前に報じていたのは、そのCOVAX(コバックス)というものが、ほんとに今は機能不全にあるじゃないかと。いや、あの機能は全くしてないわけではないのだけれども、各国がCOVAXに色々と寄付をしますよとか支援しますよと言いつつ、でもCOVAXの枠組みを抜けて、独自に各国が、そのそれぞれの製薬会社と、一対一での交渉をして、自国民のために、ワクチンを確保する、ということが進んでいて、そして各国の国民がそれを望んでいると。そしてそれができないような政治というものについて、ま、批判をする傾向があるけれども、しかしながらそれが実際のそのワクチン全体を…あの、世界に行きわたらせるための流れとしては、非常に矛盾を孕んでしまっているんだ、含んでしまっているんだということを指摘していたんですよね。
でその報道の中では、その他のさまざまな大陸では今ワクチン接種率が大陸平均だと40%を超えるような状況になっていて、まぁ進んでいるよねと言うようなことがある。で先進国だとこれが70%超えるような状況になっていて、非常に進んでると。
でも例えばアフリカ大陸などですと、接種率というのが5%以下に留まってるということで、最初にワクチン開発これからやりましょう、で配っていきましょう、その時におそらく格差が出るだろうから、それを整えるためにCOVAXという枠組みを通じて共同購入・共同管理・そして分配をしていって接種をしていきましょう、というような、そうした話というのが、この間機能していないということが分かるわけですね。
(南部)
はい。
(荻上)
なおかつその状況が続くということになれば、先進国で仮にワクチン接種率が7割8割の状況になろうが、再び、あの…摂取されてない地域が、あちこちにこう存在し続けることなどによって、どれだけ色々なことを考えてもやっぱり再拡大というものは防げないような状況になると。そしてその再拡大によってリスクを負うのは、最貧国の国々で、そもそもワクチンを打っているならば移動できるけれども、打っていなければ様々な感染をした時の死亡リスクというのは、我々はワクチンを手に入れる前の状況のまま、ということになるわけですよね。
なのでその、(ニュース元が)BBCなので、例えばイギリスが一対一で各製薬会社などからね、購入していたその枠組みというものが、あの非常に道義的に擁護できないことなんだ、というような言葉で、その記事というものをまとめるセリフというのも、あったりしました。
そうしたことなどを考えると、ではその国の動きとして国民の安全や健康を確保するという動き。それをまあ最大限努力するというミッションがあるから、例えばブースター接種の努力はしなくていいのかとか、(ワクチンを)確保できるための枠組みを製薬会社と交渉しなくていいのかというような、そうしたような議論というのは当然出てくると。
他方で、じゃあCOVAXの枠組みが機能していないよ、という状況が今あるのであれば、それをどのようにすれば、今後様々な貧困国に対する支援ができるのか。今は例えば日本をはじめとして、COVAXに多くの金額を払いますと。あるいは確保していたワクチンを、ある種ワクチン外交として、まあ、様々な困難を抱えているような国に融通しますよっていうような格好では、やってたりするわけですね。
これは国家の…何だろうなこう、自意識といったらアレだけども、主観としては、「親切」のように見えるんですよ。
(南部)
うん。
(荻上)
少なくともこういった政策を見ている日本人の立場からすると、他の国にも支援してて偉いな、みたいな感覚になると思うんですね。
でも、そのためのその枠組みを、各国がカッコ付きの「親切」ということだけでやらなくてはいけないというような状況が、結果的にはその貧困国に対するワクチン接種を遅らせてしまうということになるからこそ、国際的な枠組みを作ることは必要だ、というような議論があったわけですよね。
(南部)
ふむ、ふむ。
(荻上)
なので、それが今機能してないのであれば、おそらく次のパンデミック、コロナ以外の様々な感染拡大が起きた時にも、同じようにその機能し難さというものが出てくると、思うわけですね。
(南部)
予見できますよね、そういう風に。
(荻上)
うん。そうなったときに、例えば一定程度の義務付けというものを行うのか、ペナルティを課すのか。でも先進国だのが様々な発言権を握っているような現代の状況だと、あの国連の状況とかWHOの状況だと、そうした規制をかける方向には、どうしても賛同しないということになりますよね。
(南部)
むずかしい。
(荻上)
となると、理想は掲げたけれども現実的には実装性の薄いものだということになるのか。もちろんCOVAXがあるものとないものとでは全然違っていて、一定程度分配がより進むということはない状況ではあるのだとは思います。
その辺りの分析をどうするのかということも含めて、今回の3回目接種をどうするかとか、3回目接種を含めた各国で、接種を進めながらも、様々な再拡大が繋がってること、しかしその、死亡リスクが下がっているけれども依然として高い国があることなど、こうした情報もやっぱり片隅に置きながら、このワクチン関連とかコロナ関係のニュースというものを見て行かなきゃいけないな、という風には、思ってますね。
………で。
(南部)
うん。
(荻上)
あの、ここからはちょっともう余談になるんですけど…(笑)
(南部)
はい。
(荻上)
あの、すごく今日、気持ちが落ち込んでいて。
(南部)
…あら。
(荻上)
あの…まぁ最近そうなんですよ。あの、や、うつが悪化したとかではないです。そういうことではなくて。
(南部)
うんうん、ちょっとそこ心配になっちゃった。
(荻上)
あの、メディアをね、こうザッピングしてると、あの…ま、例えばね、民間人になった、あの、とあるカップルをニューヨークまで追いかけて行ったりとか、あとそれとなんか…
(南部)
はい、はい。発つ前からね。
(荻上)
そうそうそう、交渉した相手の手記なるものを即座にこう出して、で、やんややんやテレビでも取り上げて、それに対して周りがヤァヤァ言うっていうようなこととかが繰り返されていたりとか。
そこでは様々な、例えば、婚姻っていうのは一体どういったものなのか、両性の合意においてのみ基づくというものがどういったものなのかということが、あまり議論されないまま、なんならその、試験勉強の仕方とかうんぬんみたいなところまで、あの逐一こうコメントをしていく弁護士達が…
(南部)
暮らしの心配とかね。
(荻上)
…そうそうそう、テレビに出るっていう。えっ、僕より法律詳しいはずなんだけれども、何かこう、ある種の憲法的な観点とか人権的な観点というのは、そこではメディアのある種のイベントに乗っかるんだなぁ、みたいなことを思ったりするとですね…
(南部)
すごい知識がある方達なのに…。
(荻上)
…何かね、すごい無力感を覚えるわけ。ゲンナリ感に近いかな。
で、そうしたものを見ていて、ああ疲れたああ疲れた、ってこう思うんですけど。
同じくね、あの…当事者達がもっとしんどいだろうなと思うんだけど。
(南部)
うん…ほんと。
(荻上)
同じような状況っていうのは、多分、あの…いろんな人達にあるわけですよね。あの著名な方とか、あの、なんとなく生活を追われてる人とか。まあそうしたようなその人たちのそのご苦労とかをね、あの考えたりするの。
(南部)
注目を向けられてるがゆえのストレスと言うかね。
(荻上)
そうそうそう。だからあの、そういったことをちょっとでも想像するとしんどいな、みたいな。グゥ~ってこう、なる。だからそういった時はテレビを消すのが必要なんですけど。
(南部)
触れない、っていう。
(荻上)
触れないっていう。極力見ない、っていうことを、まぁしてるわけですけど。でもあの、見ちゃうんですよね、見ちゃうっていうのはついつい見ちゃうっていうのではなくて(笑)
(南部)
目に入ってきてしまうから(笑)
(荻上)
例えば、あの、赤坂 TBSに来ると全局のテレビがこう点いてて、たまにパッと見るとですね、「え゙っ」て言うのが映ってるんだよね。
(南部)
はい。同じ状況にいますから。
(荻上)
えっ、ニューヨークにいるの?…NHKまでニューヨークに行ってんの?みたいな。
(南部)
うーーん。
(荻上)
ということを含めるとですね。いや、その報道の優先順位もさることながら、その報道の仕方、取り上げ方、言葉のかけ方、フレーミングの仕方。
…あの、せっかくなので、あのメディアフレーミングという言葉を今日は伝えますけども。
(南部)
はい。
(荻上)
…あの、ニュースを取り扱うときに、何をどう取り扱うのか、何をどういう風に切り取って語るのかというのを、えーと、メディア理論の中ではフレーミングという風に言います。
例えば、あの…そうだな、文学賞をどなたかが取られた時に、その方の文学賞の取り方にこう着目をした時に、この方は例えば『誰々に影響を受けた文体で、独自の手法を作り上げ』…っていう風に紹介するのか、『20代の若さで女性にして』…みたいな格好で取り上げるのか。
(南部)
どこを強調するかと。
(荻上)
そう。どうフレームするかによって物事の見え方というのも変わってくるんですね。
(南部)
その通りですね、受け止め方も全然違くなったりします。
(荻上)
そうなんですよ。
で、このフレームを一切かぶせない報道というのは、ありません。
世の中には真実そのものなどというのは存在せず、必ず何かの情報というのは、他者のフレームを通じて獲得された情報を、自分のフレームに置き換える作業があるのみで、世の中にフレームがない情報なんて、全き(まったき)情報とか、全き事実というのは存在しない。そうしたようなことをメディア論は出発点としてするんですよね。
(南部)
はい。
(荻上)
だから、中立とか、透明とか、完全公平な情報ってものは存在しないわけです。
でもだからこそ、その中で、より確かな情報とか、誰かに有害になるフレーミングはどうなのかとか、そうしたフレーミングを繰り返すことによる社会的効果は一体どういったものなのか、っていうことを考えさせられる、…考えなくてはいけないんですよね。
(南部)
チキさんの著書でも『全ての新聞は偏っている』ってありますもんね。
(荻上)
はい、紹介してます。
…で、その中で、例えば、あの特定のね、皇室関連の結婚を通じてあーだこーだ、あーだこーだ、というような報道が続くっていうのは、おそらく、芸能報道とかについても、悪しきその、なんだろな、逆コースというか、あの、様々な婚姻についてあーだこーだ言うっていうような、言っていいんだという風情(ふうじょう)を、更にテレビカルチャーについて、もう一回こう取り戻してるような気はするんですよね。
また、あの例えばそういった時に、その両性の合意においてのみ基づく、という憲法の精神は、「ま、とは言えね」みたいな言葉で、ある種世俗的な感覚とか情念によって、たやすく打ち消して良いのだと言うような、そうしたような感覚も共有されるということになるわけですよね。
などなど、そのいろんな所に対するそのフレームが、まあ影響を与えるところというのはあって。で、それこそTikTokとか見るとさあ、あの…なんだろ、ま、あの、小室圭さんとかの、その、モノマネとかを、ちょっとからかい的にやるような動画とかも、あるわけですよ。たくさんね。
(南部)
ん~~~
(荻上)
あの、海外から帰ってきた留学生のモノマネみたいな、婚約者のモノマネか、みたいなものとかを見ていて。そうしたある種のイジりみたいなものを…
(南部)
棘が残るな、心の中に。
(荻上)
…うん。どこでもやってもいいんだ、みたいなある種の感覚というものを、あのフレームそのものが、その、啓発効果と言うか、培養効果と言うか、そうしたものを伝えてるなっていうことも思うわけですよ。
だから、その個々人の人権の問題というのも、それまた当然存在するし、憲法の理念とか法の理念とかっていう事の矛盾とも、感じるとこではあるけれども、それ自体が発信してる、他人の振る舞いとか結婚とかか過去とかそうしたものを、延々と掘り起こしては、それに対して、『何様だ』というような観点を自分に課すことなく一方的に言っていいのだというその態度の、継続みたいなものが、テレビで再生産されている、量産されているっていう。そのこと自体になんかこう、げんなりしたんだよね。
…まあそういったようなことにこう、まあげんなりし続けてもあれなので。
まあこういったようなそのフレームでニュースを語っていきましょう、みたいなことを繰り返して言うことが必要なのかなということを思いまして、せっかくだからフレーミングというような言葉、そうしたようなそのメディア論の一端でもね、広く共有できればなという風に、ちょっとここでは思いました。
(南部)
…胸に置きながら、ニュースに触れます。
(荻上)
はい。
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(書き起こし終わり)
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