サマーナイトコーリング

小さな虎はのそのそと玄関から出向いて、
ややしめった夜風にあたりながら手すりによりかかった。
このあたりでは星々があまり見えないことや、
ずいぶん物知り気にこの世を憂いていたりしたが、
虎はこれまでもあまり遠くにいたことはなかっただろうし、その瞳はまだ小さすぎた。
こちらに悪気はないがそんな虎にあまりかまってもいられなくなり、
買出しにでかけにいくふりをして、アパートの階段をかけおりていた。
虎には去り際にはやく室内に戻るように言いつたえておいた。

小走りに下降しながら視界に黒点がぽつぽつと目についた。
いくつかの虫の名づけられ方にはぞんざいなものがあり、
じゅうぶんに悪意のある響きをもった名前もある。
アパートの壁伝いに佇んでいるのはそういった名前の虫だった。
アパートは「自由の家」という単語の意味を掛け合わせた名称だったが、
館銘板の上では肝心のアルファベットが一文字かけていた。
初夏の夜の避けようのない不快さのなかで、たしかになにかしらは不自由だった。
夜風は肌にはすこし冷やかかで、
目的もなく街灯のあかりごとに歩を進めていると、どこかで木々の葉がやわらかく音を立てている。

電線が柱づたいに配られるように夜に立つ影と影が、
遠くのある夜から今日にある夜へと並んでいるようで、
こちらがいくつもの夜に呼ばれている気がした。
あまりしっかりと視認しないために、それらはぽっかりと気配だけになっていた。
あらゆるものの影は伸びきっていて、
まだらな光の下で自分の影が実体のない木のようになだらかに隆起していく。
光源によって青みがかる場所と黄味がかる場所とにほとんどは二分されているが、
たまに真昼のような白光がさすあたりは、
ぴたりと一時停止されて音すらたてられない無害な稲妻の光をみているようだった。

*

(ある夏夜の後記)

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