3ヶ月の複業先生の経験が私にくれたもの。ダンス部での生徒たちとの日々

2020年を27歳の1年を振り返っていくと、7~9月まで”複業先生”の経験、とりわけ私立高校での勤務が一番濃かった。

行ったこともない富山県、勤めたことのない私立高校、やったこともないICT支援。

手を上げた学校の独自プログラムの改革、ダンス部のサポート。他校とのイベント企画。

勤務初日のTV取材、教育新聞さまからの取材。

たくさん、たくさん人生初の経験を積ませてもらった。
最高に誇れる1年だったという自負がある。

とりわけ心に残っているのは、ダンス部の生徒たちとの時間。彼女たちからは本当に学ばされた。
「自分のパフォーマンスへの責任」「挑戦させることへの責任」この2つを学んだ。

ダンス部は今年創設された部活動で、ダンスの指導者がいない。プレーヤー3人。
部員の中にもがっつり経験者がいるわけでもないという状況。

本当に0からのスタートだった。

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細かい話になるが、私はダンスをやっていたのだが、生徒が興味を持っているダンスのジャンルは私が専門にやっていたジャンルとは違うものだった。
サッカーで例えるなら、キーパーしかしていない人が経験者だから、という理由のみでいきなり攻撃的なポジションに放り込まれるようなものである。

「自分のパフォーマンスへの責任」

前述の理由から、振り付けを入れるときにもあまり自信がないなあと思いながら指導をしていたある日。
彼女たちと部活動を0から作っていく中で、とても印象に残っていることがある。

私が自信なさそうに振り入れをしていると、生徒はそれを見逃さずに

「先生は私達にそれを踊らせるんですよね?」

と露骨に言葉と表情に出してきた。

すごく、すごくグサっと刺さった。
確かに、わざわざ時間をもらっているのに、すごく失礼な振る舞いをしてしまっているなと感じた。中途半端な関わり方であったなと思った。
彼女たちが対等に私との時間を過ごしてくれたおかげで、自分のパフォーマンスを見つめ直す、大きな出来事であった。
もっとちゃんと準備しよう、と本気で思えた。彼女たちの時間をいたずらに奪ってはいけない、と。

「挑戦させることへの責任」

10月は私が東京に行ったこともあり、zoomやteamsなどで遠隔の指導となった。
無事に終わった今となっては良かったね、で終わる話なのだが、本番前日にteamsで話しているときの出来事である。

「どう?明日本番いけそう?」
という私の問いに対し、全員が

「不安です」「明日が怖いです」
という回答だった。※画面越しで気づけなかったが泣いている生徒もいたらしい。
「大丈夫だよ、3人とも3ヶ月前に比べたらすごく上手になったし、練習頑張ったやん」
と励ますことしか出来なかった。

私としては「もう大丈夫だろう」と思っていたが、端的にいうと学習者のレベルを見誤ったということであった。
初めて何百人の前で踊る彼女たちへの足場かけが上手くいっていなかった。
頑張れ、というのは簡単だが、もっと具体論に落としていくべきだったという反省である。

最終的に。

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彼女たちは文化祭で立派に踊りあげてくれた。
贔屓目で見ても、しっかり自分たちの表現をやり切ってくれたと思えるものだった。

彼女たちの本当に偉いところは、とにかく継続して頑張ったことである。
そして、しっかり機会を掴みにきてくれたことである。

文化祭は1曲、4分弱の作品だけのために、週3回みっちり練習を2ヶ月間続けてくれたこと。

私が富山を離れる日、本当は部活が休みの日だったのだが、
「先生が放課後その日空いているなら最後に練習したいです!」
練習動画にコメントをすれば「何回も見返したんですけど、どうしても分からないので今度詳しく教えて下さい!」
等々、しばしば私の時間を奪いに来てくれた。笑

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思えば、先生方とのコミュニケーションとしてもダンス部でのことは大きかったかもしれない。
とってもとっても、頑張ってくれる子たちだった。
今は来年度の部活動紹介に向けた練習が始まりました、と連絡をくれた。
高校にいらっしゃる先生方のサポートもあり、なんとか彼女たちなりに形にしてくれている。
私がいなくなっても、あの子たちで頑張れていて良かったなぁと胸をなでおろす年末である。

こういった時勢ではあるのだが、学習者たちの学びは止まらず、確実に日々が過ぎていく。
私は私にやれること。
社会から学校に入って、出ていって今度はつなぐ側としてどれだけ残していけるか。
彼女たちから学ばせてもらったことを胸に2021年邁進していきたい。

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