不思議ちゃんだった話

深夜です。墓です。昔も今もきっと不思議ちゃんです。

小学生の頃、マジで意味不明な子供だったんですよね。担任の先生に「もっと周りのみんなと歩調を合わせてほしい」と遠回しにお願いされるくらいには。

ただ正直周りの友達に歩調を合わせてたら確実につまらんことが確定していたので、先生のお願いには「はい」と言いつつ(どうしたらいいんだ?)と本質的にはわかっていなかったんですよね…たぶんそれがわかってたらもっとまともだった。

わからなかった理由も、おそらくは「眼中にない」って形に近かったと思います。身の回りにいる友達は外で遊ぶ子が多かったけど、外で遊ぶより中で絵を描く方が好きだったのも、現実を楽しむより空想を生み出す方が楽しかったんだと思います。眼中にないことって基本的に思考が傾かないですよね。だから、「どうしたらいいんだろう」とは思っても「どうすればいいのか」までは考えなかったというか…意欲的じゃなかったんですよね…周りに合わせて空気を読むことに…。

今気づいた方はすみません。自分語り記事です。

で、改めてどうして子供の頃そんな感じだったのか思考してみたんですよ。おなじみの自分考察ですね。

たぶん、『その方が楽しかったから』というのが結論だと思います。

楽しいっていうのは娯楽です。昔の私はとても悪質で「忘れてもいい」「突然怒ってもいい」「泣くのは嫌だ」「楽しいことを優先する」と言った傍若無人ぶりでした。家族と山道を歩いてる最中に突然即興ソングを歌い出してしまうので…(マジでやめてほしい)

そんな自由気ままに生きてるとついて回るのが『不思議ちゃん』の称号です。今時ソシャゲでも見かけないものですよ。プレイヤーのこと『不思議ちゃん』って称号つけるソシャゲありますか?あったら教えてクレメンス〜〜〜〜〜!!!

はい。

今だから言えるんですけど、子供の頃私はクラスの女の子に「妖精が見える」と言っていました。すごいですね、こんなテンプレート不思議ちゃん今時いるのかってくらいテンプレ属性ですよ。「妖精が見える子供」。

ノリがいい子は付き合ってくれました。優しい子は話を合わせてくれました。たまに正直な子もいました。私に「どこにいるの?」と聞いて、「リビングのヒーターの上」と答えると、実際に確認しに行って「いないじゃん」と言ってくる子とか。たぶんその子も、聞いた瞬間は信じてくれたと思うんですけど、実際に現場を見ていないのを確認してから「いないじゃん」とはっきり言ってくる子だったので当時の私はびっくりしました。いや、私の言動自体が人類にとってはびっくりするべき言動なんですけど。

ただ、びっくりした記憶があるのが驚きなんですよね。たぶん、「ふーん」って言われると思ってたんです。「あなたには見えるのね」で済まされるのかな、みたいな。

と思ったら「いないじゃん」ですよ。いや、いるって思ってくれてたのか…という気持ちですよこっちは。いい子だったんでしょうね。

親がそもそも、言ってくれるんですよね。「あなたは昔、幽霊と会話が出てきたのよ」って。いや〜〜〜〜それ本当かあ〜〜〜〜〜?って思うんですけど、前述した通りの不思議ちゃんだったので…該当する思い出はありますよ…

「妖精が見える」と言い出す前の私は幼稚園でしたね、「妖精が見える」は小学校の頃です。四年生くらいまで言ってました。やべえな。

「幽霊と話してる」というのは幼稚園の頃で、無論幽霊とは話してませんでした。幽霊という見解は母親の勝手な解釈ですね。実際は「見えない友達と友達ごっこをしていた」というのが正しいです。なんだこの記事???

「友達ごっこ」というのは、アニメや漫画でよく見る「きゃっきゃうふふ」のことです。

「クラスのあの子、かっこいいよね」とか「あいつってああゆうところがあるから残念よね〜」とか。すごいマセてんすよねえこいつ(お前だよ)

お母さんの自転車の後部座席で空中に向かって話しかけてたんですよ。友達とおしゃべりをするごっこ遊びとして。

それを母親は「幽霊と話していた」と思ってくれていたんですね。いや寛容かよ。

普通ならきっと、誰もいないところに向かって親しげに話しかけるのも、友達に「私には妖精が見える」なんてホラを吹くのも、即興ソングを作って一般人が他にもいる山道で歌い出すのも、恥ずかしいことなんですよ。恥ずかしいことなんですよ!!!!!!!!

けど、母親はそんな共感性羞恥バリバリの出来事にも「すごいね〜」と言ってきた人なので、母親こそが不思議ちゃんをも凌駕する人外ママなんじゃないかと戦慄しています。

母親が止めてこなかったこれらの行動はおそらく「楽しいから」やってきたことなんですよね。母親もきっと、私が楽しそうだったから止めてこなかったんだと思います。

で、「楽しい」に歯止めをかけないと子供はいつまでも空想する生き物ですから…不思議ちゃんの称号を得るわけなんですね。

実際、私は「妖精が見える」と言ってきたことを恥ずかしいと自覚したのは5年性になってからです。すごいですよね、なんだその心臓。

でも担任の先生に「歩調を合わせて」と言われたのも5,6年生の頃です。

つまり…妖精が見えなくても、不思議ちゃんだったんですね…なんだお前…お前ってか自分…

不思議ちゃんメカニズムは「子供の妄想ごころを止めない環境」だと思います。私は自分がその環境でよかった〜〜〜〜〜〜〜〜と思ってます。

それゆえに、子供の頃のキラキラした世界が恋しいんですよね…たまに考えちゃうし、ロールプレイしようかなって思うのが「空想世界を生きる自分」です。だからTRPGが楽しいのかもしれないし、Vtuberに憧れるのかもしれない。

ただ、最近ファンタジーものの創作にいくつか触れてきて思ったんですけど、心の中とか頭の中ってすんごい自由なんですよね…だから、別に自分の中でいくらでも空想しちゃえばそれが本人にとっての現実になるわけで、それがすっごく楽しいんだなって思いました。ただ、空想する時間と余裕が大人になると減っちゃうんだなあってのも事実で…最近は課題が忙しくて、てんてこ舞いですよ。

友人たちから否定されないのがせめてもの救いですね。家族はもう半分「そうゆう風に育った」と諦めてくれてるので助かります。

自由に生きるって大変ですけど、何より現実があまりにもつまらんことで詰め寄ってくるから困ります…そして現実のつまらないことでいちいち悩む自分のこともあまり好きではないので、早いところ課題を片付けてそうした自由な時間、ほしいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!

以上。不思議ちゃんの話でした。おわり。