結婚が人生の墓場か否か

こんばんは墓です。ちょっと心中穏やかではないのでnoteを書くことで落ち着こうと思います。

墓である私がこの題材を持ってくることはなんだか少し奇妙で面白いなあと思いつつ、本題へ移るのですが…どうしてか『結婚して幸せになってほしい』という定型文を私は他人へ抱いてしまうことがあります。

これを良くないこと、もしくはふさわしくない考えだと思っているのですが、理由としてはいくつかあって、まず「結婚って幸福の最大値じゃないし」という考え。そして「幸せって結婚以外にもあるじゃん」という考えです。同じように見えますが大体同じです。ニュアンスが若干違うかもしれない。

友人に三十路手前の方がいるのですが、ついこの前その人が「結婚をしない気でいる」と言ってたんですよ。なるほどなあとその時は思ったんですけど、つい最近になってその人に関して思ったのが「結婚して幸せになってほしいなあ」だったんですよ。

いやいやいやあの人結婚する気ないって言ってたじゃん!!!!!

その結婚して幸せになってほしいっていうのはお前の自己中心的な幸福の価値観だよ!!!!

と、思ったんですね。

じゃあ逆に、なんで私は結婚=幸せだと思ったんだろう?と振り返ってみたんですよ。

割と簡単に理由が出てきたんですけど、読んできた漫画が影響していると思いました。

読んできた少女漫画がたとえ本編が学生であろうと、「卒業後に結婚」とかそうゆう感じだったんですよね。

あと、少年漫画もそうだった…「一緒になる」ために「結婚する」という展開を多く見てきた気がします。

だから、ハッピーエンドに結婚はつきものだと思ってしまっていたんですね。

ですが最近では一番の親友だと思ってるけど恋愛感情はないと言った男女関係が多くなってきているように感じます。その度にいろんな人が「それも素敵」「その形を大事に」と言う反面「恋愛感情は本当にないのか?」と言う人も一定数いることがありありと見えるようになってきました。SNSって便利。

多分手っ取り早くわかりやすい形で「幸せになりました!」とか「両思い!」とか「ずっと一緒!」を表すのに結婚って最適なんだろうなあと思ったのですが、現代では「なんとなく一緒」とか「ゆったりした時間」とか、そうゆうスローライフな幸福のあり方もあるんじゃないかと思ったわけです。

結婚が人生の墓場、と言うのも、意中の相手とずっと一緒。墓まで一緒。だから結婚したら自分の墓が行方までわかってしまう。そんな意味があるのかなあと、子供ながらに思いました。

私にはまだ結婚とかは早い話なので、この辺にしておきます。

ただ、子供に見せるハッピーエンドの形はもっと多種多様でいいように感じました。

おわり。