人は何故ガムを踏むのか

 道を歩いていると、片足が地面を蹴り上げる瞬間に違和感を感じる。1歩目だと踏んだ地面に何かしらの付着物があったのかと思うが、3歩以上同じ違和感を感じ続けると、足の裏を確認せずにはいられない。見ると、ガムだ。
 汚いがガムを手で引き剥がして捨てると、ガムが少し靴の溝に入り込み取れない。まあ、歩いているうちに削れて取れるだろうと思ったら最後、家について後悔する。地面のゴミと合体し石化している。カチカチだ。
 踏んだ瞬間の色とは別物になってる。木の枝で剥がそうにもまとめて剥がれることはもうなく、枝が触れてる部分のガムだけが申し訳ない程度に剥がれる。どうしたんだというぐらい、黒々となったガムはその後、永遠と剥がれることはなく靴の寿命までまとわりついていた。
 ガムは口に入っている時よりも、道路に吐き出した時からの方が存在感を増す。舞台ではボケないのに楽屋ではやたらとボケる芸人のように。駅のホームに付着して真っ黒に石化してアスファルトと一体化したガムの方が、犬の寿命よりも長いかもしれない。下手したら、産まれる前からあるんじゃないかと思うぐらい地面と同化しているガムもある。
 こういう経験、ありませんか? 道に落ちていているガムを危うく踏みそうになり、踏む直前に回避し「あっぶねー、ガム踏むところだった」と言ってあなたはその場から立ち去るでしょう。それです。それこそが「人はなぜガムを踏むのか」に対してのアンサーが存在しています。
 あなたは踏まなかったことで安心し通り過ぎますが、ガムはそこにまだ落ちているわけです。次の人も回避できたとしてもガムはそこにあり続けます。いつか誰かに踏まれるまでガムはそこにあるのです。なので踏む前に気付いた人がそのガムを拾い、処分することが、ガムを踏む可能性を圧倒的に減らす方法なのです。
 食べ終わったばかりのガムは、地面に落ちていると気付きやすい色をしています。まったく踏む予定のないぐらい離れた場所で落ちているガムを発見し、通り過ぎたことがある方もいるでしょう。それです。そこで見つけた人が処分しないから、だんだん泥や砂がガムの周りに付着し、カメレオンみたいに地面と色が同化し、いずれ踏む被害が起きるのです。吐き捨てられてまもないうちは、意外と発見できたりする場合があります。
 まずはガムを捨てるヤツが悪いんじゃないか、そいつがまず、ガムを道に吐き捨てなければ踏むこともない。そんな考えを押し付けようとしてくる読者もいるかと思います。でも犯罪は常に起きるのです。犯罪者はこの世からいなくならない。道徳のない人間は常に存在し、マリオのファイヤーボールのようにガムを吐き続けるのです。
 犯罪を減らすには、事件が起きた時に早急に対策、対応をすることです。銃口を向けられた人質を助け被害者を減らすことは、簡単ではないかもしれないですが、落ちているガムを拾って捨てて被害者を減らすことは誰でもできることでしょう。人が噛んだガムを触るなんて汚いなんて思う人もいるかと思います。そんなあなたにこの言葉を差し上げます。事件は起きてからじゃ遅いのですよ。

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