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選挙制度を中心とする政治改革について

0.はじめに


1月13日の「新聞を読む会」で、日経新聞同日付「自民1強 遠い二大政党制」を読んだ。


今年は「小選挙区制を取り入れた衆院選の実施から25年にあたる」が、現実は「常に政権交代を意識し政治に緊張を与える」どころか、与党・自民党に「政権交代への危機感はなお薄い」という。
記事では中選挙区制見直しや「民主失敗」の歴史が概説されていたが、これらの歴史に即して討論するには記事の記述だけでは不十分であると感じたため、調べてみた。
その上で、「読む会」での討論も踏まえて選挙制度についての簡単な試論を展開してみた。

1.歴史

1.1. 90年代政治改革――政治資金規制と選挙制度
1.1.0. 年表

政治改革の歴史をまとめ、評価を下している2本の論文に基づき、簡易な年表を作成してみた。


谷口将紀「政治とカネ」
吉田健一「平成初期における「政治改革」期の研究―竹下内閣から細川内閣まで―」

1946.3内務省令「選挙運動の費用等の届出に関する件」
1948.7政治資金規正法
1975ロッキード事件などを受け、同法改正
1988リクルート事件
1989.1竹下首相「政治改革元年」発言
1989.5与党・自民、「政治改革大綱」決定
1989.6第8次選挙制度審議会が発足
1989.12公選法が一部改正、寄付禁止の強化など
1990第8次選挙制度審議会が3度にわたり答申を提出
1991.8政治改革関連法案(海部3案)→与党内外で対立が紛糾
1992共和事件、東京佐川急便事件→「緊急改革」
1993.4与野党がそれぞれ政治改革関連法案を提出、真っ向から対立→政権交代
1993細川内閣と野党・自民がそれぞれ政治改革法案を提出→いずれも否決
1994首相と自民党総裁で合意→政治改革関連4法が成立

1.1.1. 政治資金規制の改革


中選挙区制見直しの背景として記事で指摘されているのが「政治とカネ」問題である。前掲の谷口論文は、そもそも日本では選挙費用が高くつきすぎているということを指摘して、次のように述べている。

政党の違いがハッキリせず、互いに似たり寄ったりの候補者同士がしのぎを削るから、候補者は自前で選挙を勝ち抜かなければならない。……日本の政治にカネがかかるのは、日本における政党政治の位置付けという根本的な「病理」の「一症状」にすぎず、政治資金システムのみを問題視することは、あくまで対症療法である。/ところが、政治改革以前の日本の政治資金システムは、こうした「症状」を「診断」することすらできない状態であった。

谷口は、一連の改革が政治資金寄附の「透明度」を向上させた点などを評価しつつ、残された「抜け穴」を指摘し、以下のように結論づける。

企業・団体献金を禁止すべく決断したかのごときポーズをとりながら、その実これを否定するような挙動……こうしたアカウンタビリティの欠如こそが、政治に対する国民の信頼を損ねている。

(谷口が「アカウンタビリティ[=説明責任]の欠如」に力点を置いているのは、「企業・団体献金が必要であるならば、それを堂々と国民に説得すればよい」との立場からである。とはいえ、「政党の違いがハッキリせず……」という谷口の分析が正しいならば、どのような説明が「説得」力を持ちうるのだろうか。)

谷口論文は2002年に出版されたものだが、「政治とカネ」の問題は2021年に至るも現在進行中である。「政治とカネ」をめぐる一連のニュースが、NHK政治マガジンにまとめられている。


1.1.2. 中選挙区制の見直し

政治資金規制と期を同じくして、選挙制度が「中選挙区制」(1選挙区から複数人が当選する)から「小選挙区(議席は選挙区ごとに1席)比例代表(政党の得票数に応じて議席数を決める)並立制」に移行した。周知の通り、小選挙区制では死票が多くなるので比例代表との並立が採用されたわけである。
前掲の吉田論文は「『政治改革』は小選挙区比例代表並立制導入を柱とする選挙制度改革に帰着」したとの認識に立っており、その原因を報道の圧力に求めている(93年当時の細川首相は「穏健な多党制」を目指していたという)が、マスコミを取り込んだのは宇野政権によって発足した第8次選挙制度審議会だったことも指摘している。

この審議会には大新聞のトップを中心としてマスコミ関係者が多く参加した。これが後に「政治改革はマスコミ主導で行われた面があるのではないか」と指摘される理由でもあり、筆者自身、この「政治改革」はマスコミと「改革派」と称した政治家の共同作業だったと考えている。

1993年の政権交代をもって、自民党が政権を維持するものの改憲の発議には至らない「55年体制」は崩壊した。まもなく導入された小選挙区制は、「常に政権を意識し政治に緊張を与える――二大政党制の掲げる理想」(日経記事)と期待された。だが、比例代表制が並立していることもあり(同)、実際には諸政党は離合集散を繰り返している。


その中で、安保関連法が審議された2015年ころから、「野党共闘」が叫ばれるようになる。これは野党が出馬者を統一することにより、反与党の票を集中する戦術である。これはしばしば「選挙目当ての野合」と批判されるが、研究者からは「選挙区に公認候補を立てた方が、そうでない場合に比べて当該政党の比例票が増える」(連動効果)という問題が指摘されている。

[衆院選で]統一候補を無所属で立てるとすると、民進党には本来とれたはずの比例票を減らすリスクが存在する。……共産党はこれまで[この論文は2016年8月に発表された]の衆院選で、重複立候補を行っていないので、それが継続されるとすれば、比例復活のためには民進党公認一択である。
野党共闘には、政策のすり合わせが十分でなく、政権構想とも連動していないとの批判が寄せられるが、これ以前に選挙戦略上、特定の政党の「献身」を前提にしている点で、非常に脆弱であると指摘せざるをえない。

山本健太郎「野党共闘のジレンマ」


1.2. 民主党政権時代に何が起きていたか

ところで、2009-2012年の民主党政権の「失敗」とは何か。日経記事は消費増税をめぐる混乱に絞って書かれているので、より包括的に振り返る必要があるだろう。


この記事をもとに、首相ごとにキーワードをまとめると、以下のようになろう。

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2012年の衆院解散後に発表された上の記事は、次のように締めくくる。

「政権交代前に時計の針を戻して古い政治に戻るのかどうか問われる選挙だ」。衆院解散後、野田氏はこう叫んだ。しかし、有権者の間には今、民主党政権の継続でも、自民党政権への回帰でもない「新しい政権」を求める声が広がっている。


その後、自民党が政権を奪還し、第2次安倍内閣が成立するが、安倍氏は安倍氏で「悪夢のような民主党政権」を連呼した。


2. 日経新聞は誰に「問いかけ」ているのか

多様な民意をどうくみ取るか。前回衆院選の小選挙区で自民党は得票率48%で75%の議席を取った。一方で「死票」は全体の48%にあたる2656万票に及ぶ。令和にふさわしい選挙のあり方を問いかける。


これが、日経記事の結論である。だが、この「問いかけ」に誰が答えるのだろうか。選挙する側の一人ひとりか、それとも選挙される側にして法案=制度案を提出・審議する側である政治家か。

選挙制度はどの党が有利・不利になるかでなく、支持政党の違いを超える民主主義がきちんと作動する制度にしなければならない、という「公共的」な観点こそ重要です。
法学館憲法研究所 H. T. 記「衆院、小選挙区・比例代表並立制導入」

このような主張は、選挙制度に限らず政治問題についての一般論として人口に膾炙しているように思われる。
しかしながら、誰でもない立場から提案される制度はない。大政党に有利だとされる小選挙区制が、55年体制末期に与党・自民党によって構想されていたことは、今さら強調するまでもないだろう。対して、死票が少ない制度のほうが「公共的」だという主張は直観に合致するが、それも「政党間の数合わせをどのようなルールで執り行うか」という土俵に乗った議論だ。我田引水の「改革」に反対することはできても、こと選挙制度に関しては、政治家の立場を離れた「公共的」な対案を立てる余地はないのではないか。
結局、有権者はある種の“大人の事情”に縛られて「ペストかコレラかの選択」を繰り返すしかないのだろうか。


忘れられがちなことだが、そもそも選挙に行くことだけが政治参加ではない。日本の制度において直接民主主義はきわめて限定的だが、政治を変えるために人々は手続きの枠外でも連日行動している。
その上で、議会第一党を取ることだけが「選挙闘争」でもない。洞口朋子・杉並区議は、議会の数合わせにとらわれない立場から、あえて議会で闘っている議員だ。

議会活動であらためて学んだことは、「絶対反対で声をあげること」の重要さです。……選挙中に言っていることと、選挙後に言っていることが180度違う議員ばかりです。……なれ合いの議会に一石を投じること。労働者、住民の思いを代弁してともに闘うこと。これが私のやるべきことだと思います。
前進「議会活動1年を振り返って 一人でも反対貫く大切さを実感 杉並区議会議員 洞口朋子」

ただし、「議会制民主主義」のちゃぶ台を返そうとしているのは他ならぬ自民党政権である。コロナ危機を受けての2020年4月「緊急事態宣言」の折に、当時の安倍首相は「憲法改正による緊急事態条項の導入について国会の議論を促した」。21年1月「緊急事態宣言」の下でも、右派メディアが「日本では法制上ロックダウン(都市封鎖)はできず、憲法に『緊急事態条項』もない」などと改憲を煽っている。

この動きを受けて改めて関東岡山の弁護士会から反対の決議・声明が上がるなど、緊急事態条項への反発は根強い。緊急事態条項(国家緊急権)は、国会任期の恣意的な延長(=選挙の停止)などを可能にするとして、ヒトラー政権の全権委任法や大日本帝国の緊急勅令と並び称される。


その意味で、事態は「選挙のあり方を問いかける」どころではないといえるだろう。選挙のときだけ「主権者」とおだてられる存在から、選挙までも奪われて国家に動員される存在へと貶められるのか。それとも改憲阻止運動を通じて、選挙の枠組みを越えた政治闘争の力を示すのか。これこそが私たちの課題ではないだろうか。


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