漆原ミチ先生作、「よるくも」限界オタク見参!
わたしがよるくもにであったのは精神疾患のうつ症状が辛すぎて、辛い話に共感したくて、「うつマンガ」で調べまくっていたのがきっかけでした。
そして、紹介ページのよるくもの「機能不全の愛」という世界観に心惹かれ、古本屋で購入しました。
https://www.cmoa.jp/title/65473/
リンクの貼り方が分からない
そして、主人公「よるくも」こと小辰の端麗である設定や、理にかなった絶望の世界に強く惹かれました。
そして、ファンアートをちょこちょこ描くようになりました
それから、いつでも読めるようにと、電子書籍で購入し、
難解な世界観を読み解こうと必死でした。
あらすじ
この世界には上・中・下とある
富める者のすむところ、街
もの好きな金持ちから、まともな貧乏人が住む、畑
そして、暗く、深い、森
そんな世界で、畑で分け隔てなく食いものをだす高岡飯店
食いものをふるまう娘、キヨコ
キヨコは父を亡くしており、畑で美人と評判の母と二人暮らしだった
店の常連の中田というやせぎすのおとこが
「死ぬと分かっていたらキヨコの飯を食う」
ほど、客との関係も良好だった。
一方、森では
青年が一室におしいり
愛を誓いあう恋人の首をいとも簡単にはねる
青年は街の金持ちからの汚れ仕事を請け負う
必殺の殺し屋、よるくもと呼ばれる男だったのだ。
しかし、よるくもは知能が低く、
辞書に載っていない言葉を理解したり、
言葉に込められた情緒が理解できなかった。
そのため、依頼人の不満を買ってしまい、
暴行を受ける。
そんなことも気にせずにいると、中田が現れる。
そして中田は荒磯精肉と呼ばれる、森の大組織の一員で
よるくもの上司だった。
よるくもに
「第二の世界へようこそ」
という
「意味は自分で調べろ」と中田は言った。
よるくもは森から畑に出てきて、一人暮らしをしていた。
高岡飯店のあるマンションとちょうど同じであった。
キヨコは、たったそれだけのことから
すべてが狂っていくことも知らずに。
電球を変えようとしてうまくいかないキヨコは
ちょうど現れたよるくもに助けを求める
電球のカバーには虫がたくさん入っていた
キヨコはいう。
「どうしても、この中入りたくって瞬間移動してるのかなって思う」
「命と引き換えに行きたいとこいくのかな」
よるくもは、部屋に戻って
「むし」という言葉を辞書で調べるのだった。
キヨコは夢を見ていた
父が亡くなった時の夢を
生きる気力を失った母が心中を匂わせている中で
キヨコの腹の音が鳴り響き
馬鹿らしくなった母は
「メシにしよ!」とキヨコに言うのであった。
キヨコは休みの日になると、
森で、審美眼をいかして格安で食材を歩いて回って買う
中田はキヨコに
「儲かっているんだろう?宅配使わないのか?」
と聞く。
キヨコは
「うまいものをすこしでも安く食べてほしい」
「それがたった一つ、うちの正義なの」
という。
中田はそれに対して興奮した様子で
「最高の飯を食った最高の豚」をキヨコに手渡す
その豚の味は、豚じゃないみたい、と思ったキヨコだった
限界オタクタイム
わたしはこの作品を数十回ほど(思い出せない)読み直しており、
日々読解に力を入れております
あらすじもソラで書いております
それがすごいというわけではなく、
伏線のばらまき方にただただ感心しているだけなんですが。
よるくも最高過ぎる
漆原ミチ先生、あなたの書いたものがみたいです
どこに行ってしまわれたのですか
待っています
まず何が素晴らしいかというと
「格差社会で子供の殺し屋と堕ちていく無垢な少女」という
悪趣味なテーマが趣味嗜好ではなくある種の
科学的・文学的・風刺的・哲学的テーマの提起になっているというところです。
ああ、尊い。
このすばらしさを伝えたいと思い2017年からちょこちょこファンアートを描いています。
Twitterのフォロワーさんで読んでくれた人が一人いたのです。
好きだって叫ぶものですね
よるのくもは親に似てても
キヨコは店に出たくもを生け捕りにします
母は「よるのくもは親に似てても殺せ」と言われている、と言いました。
しかし、キヨコは哀れみ、屋上の菜園に連れて行くと言います。
キヨコの悲しみはもう決まっていたのかもしれません。
キヨコは自分の作った食いものを無心に食べるよるくもに惹かれていきます。
朝の蜘蛛は夜と違って縁起がいいと聞きます。
キヨコは
朝の蜘蛛…「端麗な容姿で自分の庇護欲を刺激する男」の姿をした、夜の蜘蛛…冷血の殺し屋というよるくも(普段は小辰と呼ばれている)のアミに無意識にかかってしまったのでしょう。
漆原ミチ先生はよるくもの五巻にてこのように言われています。
https://www.cmoa.jp/title/65473/vol/5/
キヨコは情け深い性格で、
その性格も悲劇の一端になってしまったのでしょうか。
哀れんでしまったがために
ちょっとそれますが、哀れみって「安心安全」がある程度(満足でなくても)満たされている人がすることだと思うのです。
キヨコはどこか上からの気持ちがあったのかもしれない。
人は自分よりお腹をすかせている人を見て、
自分の余裕や庇護欲を作り出しているのかもしれない
そうやって自分を守ったりしているのかもしれない
庇護欲は自分のためにある
というか、すべての欲求は自分のためにあるのでしょう
人間を食った豚は、人間か?
キヨコは、屋上菜園でよるくもに言います。
「この虫はずっとホウレンソウばっかり食べてるんだから、ホウレンソウみたいなものでしょ」
よるくもは問います
「人間を食った豚は人間なのか?それを食った人間は?」
キヨコは意味も分からないし答えられません。
二人の常識は何一つかぶっていないのですから。
人間は生き物です。
エネルギーとして何かを摂取しなければ動かなくなります。
「人間を食った豚は人間なのか?それを食った人間は?」
わたしは、正直人間は人間を食っているとおもいます。
だって、いま世界を騒がせているSDGs
わたしは、インフラ設備、教育、公衆衛生、食糧難を解決していこうというものだと認識しています。
今、SDGsは正直企業のイメージアップの道具に成り下がっていると思います。
もとからそうだった気もしますが。
SDGsをかかげればたくさんのお金が動きます。
これは、本当に貧困に苦しんでいる人に100%還元されるのでしょうか?
わたしはおもいません。
SDGsをかかげて、あったこともない「苦しむ人たち像」を食いものにしている人は絶対にいるとおもいます。
もちろん、問題提起することが素晴らしい問題です。
だとしても、小骨が引っかかるのです。
また、あえて子供の恐怖を煽って安心をむさぼり食う親がいることも知っています。
親は安心を奪って、子供が親から離れられないようにし、親は余裕を作り出し、自分の欲求を満たすのです。
子供はおもうのです、
「自分さえいなければ、親はこんなに苦しんだりしなかっただろう」と。
子供を自分の「満足」のために食いものにすることもあるでしょう
しかし、愛と食いものには違いがあるのでしょう
それはわたしではない誰かが語ってくれるのでしょう
人間は人間を食いものにする
おれの心は痛い?
よるくもは痛みがありません。
それものはず、森には飢えをしのぐために子供を売る人間がいます
その子供たちのことを森ではわいてでる「虫」と呼んでいます
虫は投薬実験で「痛覚の欠如」によって「返品」されます
それを人さらいの中田が買い取り、豚の世話と殺しをさせるのです。
よるくもはその「虫」の一人で、奇跡的に16歳まで生き永らえたため、中田に目をかけられ、殺しの術を教えられ、必殺の殺し屋となったのでした。
わたしは、小辰の「痛みの欠如」「情緒の欠如」とキヨコの「メシにしよ」の因果関係をこの5年間考えておりました。
そこで一つの答えが出たのです。
飯のうまさという「快感」
そして「痛み」
これはどれも刺激です。
そして「情緒」
これは「心の動き」によるものだと思います。
つまり、「情緒を作る心は刺激によって発生するもの」だとおもったのです。
だから、小辰はこころが全く発達しませんでしたが、
「メシがうまい」という「快感を知ること」は出来ました
痛みに対する恐怖はなくとも
快楽に対する期待はある
それが救いだったのではないかと思うのです。
各個人によって刺激が「痛み」なのか「快感」なのかは絶対に違います
「痛み」がないことによって欠落する「心」はきっとあると思います
欠落という言葉も違和感があります。
心は「その時々の刺激の感じ方」としかいえないのでは、と思ったからです
人間は刺激によって印象を記憶しているだけの欲求と原子でできたなにかでしかないのでしょうか。
わたしは家族の笑顔ですら怖く感じます
思考する私ですら怖く感じるのです
「私」が何で出来ているのか分からないのです
ほんとうによるくもは狂った世界なのか?
キヨコはこの世界の構造を理解し、そばにいてくれる人も失い、自分を必要とする人もいない状況に耐えきれず壊れてしまいます。
わたしは、「キヨコの日常が狂った」と思っていました
しかし、純度100%の酸素が猛毒なように、
100%の真実というのは常に人を狂わせるのではないでしょうか。
100%の世界は人を狂わせる。
キヨコは「キヨコの世界」に真実が混ざっただけなのでは?
100%の世界は元からくるっていて、「自己の認識」というあいまいなものだけで「キヨコの世界」は出来ていたのではないでしょうか。
さきほどはSDGsを批判的に言いましたが
SDGsは「100%の現実世界の狂い」を
「椎名花の世界」に広めたと思っています。
限界オタクタイム2
ファンアートを思い出したように書いています
発掘してきました
このファンアートは
「命と引き換えに行きたいとこいくの」
というフレーズの対偶を考えたところ
「生きてるうちはどこにも行けない」
じゃないか!!?
と思い書きたくなりました
絵を描いてる時間より語録収集の時間の方が長かったです。
これはこの記事を書こうと思ったきっかけの絵です
小辰はアミをあんで、食いものを手に入れ、キヨコとの生活を守る
しかし、キヨコはアミにかかった一人だった
キヨコは食いものを小辰にだすが、自分も誰かの食いものである
キヨコは小辰にしがみついているが
小辰は抱き寄せることもしない
という機能不全の愛を表したくて描きました
これから
よるくもへの探究活動を5年ほど続けていましたが、やっと落ち着きました。
漆原ミチ先生、いつまでもお帰りを待ってます!
でも、先生のすばらしさなら、別のこともされていそうです。
あなたから発信される情報をいつまでも、、、おまちしています。
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