政治or芸術

こんなツイートが目に入った。
社内政治とは、つまりは、会社内で地位を築くための政治的な動きなのだと思う。

生産的かどうかに関わらず、地位を築いていくに当たって上司の意を介して自分が動くことになるために、人身掌握術や、ある種の生産性とは全く別のコストを割く営みに思える。
だから、俺はあまり好きではない。なぜなら、いい仕事とは生産に他ならないからで、会社が良くなるための行為が生産であるから、社内政治とか、上司の意に介した行動というのは、生産とは全く逆の動きであり、会社のためになることではないと思うからである。これは別に上司に楯突こうというわけではない。上司と円滑なコミュニケーションを取るのは前提である。
しかし政治的な動きとは、社内で、自分がいい地位を築くために、ゴマスリやおべっか、あるいは時に悪いことに目を瞑るとか、そういう自らの意志に反したことを、するかどうか、になってくるのだと思う。

要するに政治ははかりごとで、思い通りになるように権謀術数、時に意に反いたとしても、上司や社内におべっかを使うような人の在り方をすることと思う。

では全く逆の芸術的在り方はどうだろうか。
私はこちらに立脚したいと思う。純粋な創作とオーディエンスが成り立たせる芸術がいいと個人的には思っている。
創作物があり、市民が自由にそれを評価して売り上げにつながる、評価につながる世界。
それはJロックであり、起業家のいく道であるように思うし、消費者向けのプロダクトを作る在り方だと思う。

こういった、民主主義的な経緯を俺は好む。

ここで思い至る。権謀術数を張り巡らされて、上り詰めた地位と、純粋な市民との対話の中で培われた評価、そこで得た対価のどちらが強いだろうかと。

わりかし、今のテレビや、アテンションエコノミーは、この前者、政治的なやりとりが強いと思っている。要は、生産的かどうかに関わらず、上司や強い権力、あるいは大衆がアテンションを向けているものに対して、それを意に介した制作をする、おべっかな在り方である。

後者は、売れるか売れないかはわからないが、おべっかではなく、本当にいいと思って、届けたいものを作る営みであると思う。民主主義的なプロセスに組み込まれるにあたって、評価をその市民に委ねるところのものである。おもねるものではない。それは、駆け出しのアーティストや、起業家、または、漫画家やお笑い芸人のようなクリエイティブな道のりに近いと思う。


この、政治的な在り方と、
後者の、民主主義に委ねる在り方、
どちらが強い力を持つことができるのか
これは、こののちの人生で結果を見るところが楽しみである。

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