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WOC2022を終えて

WOC2022(in Denmark)が終わりました。
結果は惨敗。力不足を痛感する結果となりました。

WOC本番に挑む前の期間の記録から残しておきます。
現地に飛ぶまでの記録は自分のための備忘の意味合いが強く、第三者が読んでも面白くないと思うので、お忙しい方は「現地Training Camp」以降をお読みいただきたいです。


2021/10/24 全日本ロング

思い返せば、前年度全日本ロングがトレーニングを開始する最初のきっかけでした。日本ランキング53位で迎えた2021年度全日本ロングは、51位という結果に終わりました。

ビジュアル後の上り返しでふくらはぎ、ハムストリングスを攣ってしまい、そこからは歩いてコントロールを回りフィニッシュしました。
自分のフィジカルの未熟さゆえに、レースを走り切ることもできないことに驚き、「来年度の全日本ミドル・ロングでいずれも30位以内」という目標を掲げ、まず週間/月間走行距離を増やすことから始めました。

ちなみに、この時点での月間走行距離は80~100km程度、3000mは9’30程度の走力でした。

2022/2/5~6 ICMR2021

徐々に走行距離を増やしていった結果、走力がある程度戻ってきている実感がありました。

そんな中開かれた春インカレで部員の応援を心の底から楽しんでいる筑波大生を見て、「自分もこんな風に応援してほしい。WOCに出れば応援してもらえるかな。」と思ったのを覚えています。(当時Stravaにも同じようなことを書いた記憶があります)

大学3年次にオリエンテーリング部に入部&コロナ禍だった学生時代に春インカレを一度も経験できなかったから余計に、学生たちの応援の熱にあてられてしまったのかもしれません。

このあたりから徐々にWOC出場を意識し始め、実際に大まかな中長期トレーニング計画も立て始めました。この時点では WOC2024への出場が大本命でしたが、目指すだけなら損もないので WOC2022代表内定のため、2か月後に控えるWOC選考までに達成すべき目標を設定しました。

(must)3000m 9’05”切り
(must)WOC選考会3位以内
(better)阪神奈大会(強化指定大会) 優勝

2022/2/20~23 スプリント4days

2/20~22に伊豆で2泊3日のスプリント合宿、2/23には午前に笠間芸術の森スプリント、午後に筑波大学に移動して筑波大生+日曜ロングランナーと4Round勝ち上がり形式のノックアウトスプリントを行うというハードめなスプリント4daysに参加しました。
2/21、22は平日のため、有休を使って参加しました。

このスプリント合宿では、市街地スプリントをメインで行い、このとき既に一緒にWOCに行った伊藤樹選手、小牧選手と競い合うことができており、WOC2022の代表内定が現実的なレベルにあることが分かりました。
http://runnersmate.sakura.ne.jp/aichiol/cgi-bin-weblap/view_lap.cgi?prefectureID=22&terrainID=2&courseID=0

むしろ、出力的には少々余裕をもってレースを進めても、両選手と同程度のスピードが出ることが分かりました。WOC選考を勝ち抜くため、この合宿を境に“100点レースの出来を引き上げる”というよりは、“レースを80点以上でまとめられる確率を上げる”という方向性でトレーニングを積むことに決めます。

結果的にこの4日間の総走行距離は約70km、獲得標高約1100mでした。
また、1km×3本のファシュタを3’10~20/kmで行うなど、質的にも充実したトレーニングを行うことができました。

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2022/2/26 阪神奈大会

結果から言うと、阪神奈大会で優勝することはできませんでした。

ナビゲーション・読図負荷が高く、苦手なコースでしたが、それにしてもミスが多く酷いレース内容でした。当時は非常に悔しかったです。
大会後、伊藤樹選手にアドバイスを仰ぎながら一緒に車で神戸大学へ移動し、阪神奈大会のコースと同じようなナビゲーション負荷高めのコンピスプリントを3本こなしました。

阪神奈大会がWOC選考前最後の強化指定大会だったため、この時点でスプリント強化選手に選ばれるには、標準1のタイム(9’05” or 15’35”)を切る以外に方法がなくなりました。

2022/3/3 3000m標準1突破

私は社会人として働いてはいますが、仕事柄9割以上リモートワークのため、勤務日のトレーニングは主に昼休みに行っています。時には、最寄りの競技場でポイント練習をこなしたり、最寄りの住宅地でスプリント練習を行ったりします。

この日も平日でしたが、昼休みの時間を使って、最寄りの競技場でぱぱっと2000m+1000m(設定:6’05‐3’00)を行う予定でした。
しかし、走ってみたところ 2000mを 6’02で余裕をもって通過できたので、急遽予定を変更して標準1を切りにいきました。
結果ラストを上げて、8’58でフィニッシュ。無事、標準1を切ることができました。調整なし・単騎でこのタイムが出たので、この時点で8’50台前半くらいの走力はあったのかもしれません。

とにもかくにも、標準1を切ることができ、スプリント強化選手にも指定されたので、走力を伸ばすためのトレーニングはWOCまで一旦優先度を落とすことにしました。10日後に控えていた3000mT.T.の予定もキャンセルし、スプリントの技術的な練習にあてました。

ちなみに、ここまでの月間走行距離は以下でした。
11月:180km
12月:199km
1月:229km
2月:254km

仕事をしながら月200kmのトレーニングを積むことはそう難しくありませんが、月300kmというと話が変わってくる気がします。特に、平日昼休みランナーの私にとって、日平均10km走るためには今の生活リズムを変える必要があります。
例えば、10km走ろうとして昼休みの45分をjogにあててしまうと、その後のシャワー+昼食準備が1時間にぎりぎり収まりません。今は8.5kmを35~40分(3’50~4’40/km)で走って、ご飯を食べながら午後業務を開始しています。(お気づきの通り、リモートワークの恩恵を最大限使ったぎりぎりのバランスの上に成り立っています。)

そのため、トレーニングの継続性の観点から、個人的には月300km以下で走力を伸ばしていけるのが理想と考えていました。練習内容も、メリハリをつけたjogをベースにトレーニングを積み、比較的時間のかかるポイント練は6回しか行って(行えて)いません。

また、こちらも継続性の観点から、月間走行距離を前月比で110%程度に収まるよう意識していました。こうしてゆっくり身体を作っていくことにより、オーバーワークによる故障と慢性疲労によるトレーニングの質の低下を防げました。

2022/4/3 WOC選考

標準1突破後は「とにかくスプリントの数をこなせ」という教えの通り、週5本程度のスプリントトレーニング機会を確保しながらWOC選考本番を迎えました。
かなり急角度で競技力が伸びたので、伊豆合宿に参加していないメンバーからすれば私はノーマークの存在だったかもしれません。しかし、個人的には大ミスさえしなければ3位以内に入れるだろうと思っていました。

結果は2位(二俣選手と同タイム)。

少し守りに入りすぎた感はありましたが、終始安全にレースを進めることができ、概ね予定通りの結果でした。
しかし、実はレースの中盤で捻挫をして転倒しており、故障の影響からこの後1週間程度、ランニングを伴うトレーニングを控えることになります。

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また、代表内定後、WOCまでの期間限定で新田見優輝さんにコーチとしてついてもらうことになりました。
今まで完全我流でスプリントをしてきた私には、自分で仮説として立てた課題が合っているか、その課題を潰すためのトレーニング手法が適切かの判断に自信がありませんでした。
上記2点をカバーしてもらう目的でゆるゆるとコーチを探していたところ、近藤さんからの紹介で新田見さんにコーチをお願いすることになりました。2か月の間に7回の面談をしていただき、都度相談させてもらったり、WOCまでのトレーニング計画の修正を手伝ってもらったりしました。

2022/4/30 ロスジェネインカレ

倒木を踏み、またもやレース中に捻挫をしてしまいました。全治2週間。
故障リスク等を鑑みて、全日本リレーも泣く泣く出場を回避することに決めました。

2022/5/3~5 GWスプリント合宿

ロスジェネインカレでの捻挫は当然治らず、主に合宿メンバーのサポートが中心となりました。

路面の綺麗なテレインでは、自転車でメンバー全員分のスプリント追走動画を撮り、夜メニューでそれを鑑賞しました。なかなか他人のスプリントをじっくり観る機会もないので、却って良い機会だったのかもしれません。

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家のある千葉からテレインのある神奈川までの往復やテレイン間移動のほぼすべてを自転車で移動したため、この3日間のバイクでの走行距離は約160kmになりました。

2022/6/4 全日本スプリント

調整は行いませんでしたが、WOCのリハーサルのつもりで挑みました。
WOCは1本目の予選から100%の出力が求められるため、予選を全力で走ることも選択肢にありました。しかし、前週に打ったワクチン副反応が思いの外長引いた影響もあり、あまりにも身体の調子が悪く、決勝で崩れるのが怖かったため予選通過を最優先としました。

結果、予選は7割くらいの出力でヒートトップ通過。
これまで苦手としていた水径を何回も切るタイプの細長いテレインだっただけに、一定のトレーニングの成果が見られたレースだったと思います。(京葉お花見スプリントが開かれた香澄公園というテレインでたくさん練習しました。)

問題は決勝。序盤(2→3)からお腹の差し込みに苦しみました。
痛みで息がうまく吸えずに呼吸が浅くなり、マップコンタクトの回数やルートの検討もおざなりになり、パッと見で見えたルートをひたすら実行するだけのレースでした。

結果は、14→15で立入禁止エリア侵入によるDISQ。
スプリントでDISQのときには大概ゴール後に嫌な予感がするのですが、この時もそれがありました。まったく走速度が出せず、普通にレースを進めても勝てないことは明白だったため、なるべくスピードを保とうとプラン実行時の手続きを省いてしまったのでしょう。

思い当たる差し込みの原因は2つ。ひとつは、予選である程度スピードを出して走った後だったため、普段 warm upで行っている流し等を省略したこと。もうひとつは、デフを見てスタート誘導が長いことを知り、普段よりも高出力で出走したことです。
上述したように急に身体に高負荷をかけたことにより、横隔膜(?)がびっくりしてしまったのかな、等と思ったりしました。
このあたり詳しい方、教えていただけると嬉しいです。

今まで食事直後の運動以外でお腹の差し込みが来るようなことは少なかったのですが、このレース以降、WOCまで高頻度で差し込みに苦しめられることになります。

2022/6/19~25 現地Training Camp

仕事を丸々2週間休んで、現地に飛びました。
既に十分な数の有休は残っておらず、特別にお盆の夏季休暇を前倒しで取得させてもらい、さらに休日出勤を2日発生させ、その振替休日をWOC期間にあてることで、なんとか10日分の休暇を確保しました。
(仕事柄クライアント支給のPCを2台持っていて、端末を国外に持ち出すには技術輸出管理関連の申請が超面倒だったので、海外からのリモートワークは選択肢から外しました。)

以前機会があったときに社長に「オリエンテーリングっていうスポーツやってるんだぜ~」とアピールをしておいたので元々興味を持ってくれていたこと、上長やクライアントと良好な関係を築いておいたことが功を奏しました。

結果的に、私は他の選手よりもデンマークの街並みに対応するのに時間を要したので、現地 Training Camp期間を1週間確保しておいたことは正解でした。

最初のうちは日本と異なる街並みのせいか、意図せずプラン時に必要以上に細かくCPを設定してしまう等、思うようなレースができませんでした。
毎日のようにHorsens/Kolding/Ribe/Odense/Aabenraaなど様々な街を回り、チームのメンバーや帯同してくださっていた寺垣内さんにアドバイスをもらいながら、急ピッチで修正を進めました。

最後の Aabenraaでの練習でのStravaログには、「なんとか、ギリギリ、超甘めに見て、及第点まで漕ぎつけた(と思うことにする)」と書いています。

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また、この期間は本番テレインの対策も徹底的にやりました。たくさんの方々にコースセットを依頼し、集まったコース数はなんと「76」。
もちろんすべてのコースを読みましたし、このうち大体20くらいはGoogle mapsのストリートビューで実際にコースをまわりました。

コースセットを引き受けてくださった方々、ありがとうございました。

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2022/6/26~30 WOC本戦

・6/26 Sprint Relay
私は出走しなかったため、現地で応援していました。
結果こそ miss punchedになってしまいましたが、リレーメンバー全員がほぼ目標通りか目標以上のタイムでまとめているのを見て、勇気をもらえました。

実は、当日のうちにひっそりと Relayのコースをイージーペースで再走しました。(間違ってWomenを走ってしまいましたが)
競技の直後だったこともあり、立禁テープやコントロールのほとんどが撤収されておらず、イメージトレーニングという点で非常に良かったです。

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・6/28 KnockOut Sprint(2.9km ↑27.5m)
29位/35人中 トップ+2:57/129.3% 予選通過+2:17

スタートの直前まで、まったく緊張していませんでした。緊張できなかった、という方が正しいかもしれません。

4分前枠に入ったときに、ガーっと一気に緊張してしまいました。
初めての国際大会だったこともありますが、スタート時には隣に2人の、知らない外国人がいて、スタートには”Japan!”と叫ぶ観客がいて、スタートと同時に隣の選手が一気に飛び出していく、そして自分の見えたルートと異なる方向に進んでいく、ことを具体的にイメージできていませんでした。

「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながら△→1をこなし、1→2、2→3と隣接コントロールを横目にレースを進め、3→4で車道と歩道の間の段差に脚を置いてしまい捻挫をしてしまいました。

そこから先のレースは痛みに耐えながら、さらに冷静さを欠き、トップと約1'00/kmの差がつく結果となりました。とても大きな差です。

ゴール後、すぐにSprint に気持ちを切り替えて、怪我への処置、これからの2日間で修正できそうな点の洗い出し、その対策を検討できたのは、この日唯一評価できる点だったのかもしれません。
一度でもネガティブな気持ちを抱えて思考を停止したら、2日後に走れなくなってしまうような気がしました。

・6/30 Sprint(3.6km ↑15m)
31位/36人中 トップ+2:41/123.1% 予選通過+1:47

2日間安静、アイシング、圧迫を徹底し、レース当日に人生で初めて痛み止めを飲み、出走を決めました。
それでも warm upの始めは痛みましたが、ゆっくりのペースから走り始めて徐々にアドレナリンを出していき、warm upを終える頃には不整地の全力走でなければ痛くない、くらいの状態まで仕上げ、スタートした瞬間から足首の痛みのことは忘れていました。(当然、ゴール後には出走前より状態が悪化していたのですが)

結局、日本でやれていたようにいつも通りのリズムで、とはいきませんでしたが、”良い感じの緊張”のままスタートをして、レース前に最低限ここだけは修正しようと決めていたことは概ね修正しながらレースを進められました。

結果だけ見ると、100点満点中5点のレースが10点になった、くらいの些細な改善ですが、KnockOut Sprintと Sprintのレース内容はまったく違っていたと思います。初めてのWOCの舞台で、今ある最悪の状況の中で、少しでも良いレースをするために考え、意図した形で改善することができた、と思っています。

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とはいえ、こんなにも”練習で出来ていたいつも通り”を発揮できなかったのは、人生で初めてでした。この経験は国内で何レースしようとできなかったと思います。いつかの尾崎選手の記事の「ワールドカップ1レースは、国内レース1年分以上の収穫がある」という言葉は、その通りなのかもしれません。

これからのこと

毎年WOCに挑戦しては跳ね返され、こんなに苦しい気持ちを抱えながら練習を積んで、より強くなって、何度も何度も世界に挑み続けてきた先人達には頭が上がりません。WOCの一観戦者だったときから、頭ではその苦しさが想像できていたし、理解していたつもりでしたが、実際に経験してみると想像を絶するものでした。
大会から2週間経った今でも、思っていた以上の世界の遠さを思っては怯んでしまいそうになります。

本番の舞台で自分の力を出し切れなかった私は、WOCのトップ層や予選通過ボーダー付近の選手のレベル感を、未だ正確に把握できていないのかもしれません。
それでも、WOCまで約半年間続けてきた取り組みの先に、”運頼みではない”決勝進出はないと感じました。取り組みの量か、質か、方向性か、あるいはそのすべてを決定的に変えないと、次回再挑戦する機会を得ても同じように打ちのめされて終わるだろうと思います。

4年前に陸上競技をやめたときから事あるごとに「もう競技はやらない」と言い続けてきました。いま競技の世界に戻るのか、これまでと同じようにゆるゆるとオリエンテーリングを続けるのか、選ばなければいけない気がします。
ここでゆるオリエンティアの道を選べば、人生の諸々を鑑みても、今度こそ一生競技の世界に戻ることはないでしょう。そして、不完全燃焼のまま今回のWOCが”怖い経験”として植え付けられる気がします。
しかし、過去に本気で競技をしてうまくいかなかった経験のある私が、もう一度競技の世界に戻る選択をするのは生半可な覚悟ではできません。自分の周りの人たちにも少なからず影響があります。
また、競技の世界に戻って、WOCの決勝進出に向けてトレーニングをすることにしたとして、2年後に劇的な変化がなければWOCには出場もしないかもしれません。


これからどういう選択をするのか、正直今はまだ自分でも分かりませんが、既にトレーニングは再開しています。

まずは、走力の強化から。
現状最も足りてないのはスプリントの技術なのかもしれませんが、走力を伸ばすには時間がかかるため、ある程度のスプリントの技術が身についてから「じゃあ次は走力強化」と切り替えても手遅れになる可能性があります。
また、残念ながら現実はシンプルで、”走って””タイムを競う”競技をやっている以上、走力の強化を避けて通ることはできません。

技術的な話についても、今回はマニアックすぎる気がしたので省きましたが、もちろん課題はたくさん出てきています。
これまで、おざなりにしたまま国内のほとんどのレースで通用していたことが、ある程度要求レベルが高いコースになるとうまくいかなくなります。誰でもそうだと思うのですが、私の場合はこの傾向が顕著です。
私が最近よく使う表現なのですが、「ナビゲーションサイクルがガチャガチャした感じがする」というやつです。
この辺もうまく言語化して、良い練習方法を模索したいと思います。

おわりに

すごく長々と書いていました。でも、この経験と感じたことは自分のためにも残しておきたいと思い、詳細に書きました。

こうして改めて振り返って見ると、やはりWOCへの準備期間は非常に短く、付け焼刃の状態で挑んでいたと言わざるを得ません。
それでも、今大会はWOC2024への踏み台に、という考えはなかったし、本気でSprint決勝進出を目標にしていました。

すべてのレースが終わった直後はチームのみんなと話すことは愚か、何度かレースを思い出して、その場で立ちすくんで動けなくなってしまうくらいにはショックでした。
そして、樹さんの「ねもけいは頑張ったよ」の言葉に悔しさと情けなさが爆発、涙腺が崩壊してしまいました。(皆さんは弱っているときにかけられた優しさに騙されてはいけませんよ)

WOCは目指す過程も含めて、苦しかったです。出たかったフォレストの大会への参加をやめたり、何も楽しくない地味な練習をしたり、当然それなりの痛みが伴いました。
(結局、昨年の全日本大会以降、日本ランキング対象レースには3つしか出れず、今年の全日本フォレストE権を逃しています。昨年立てた全日本ミドル・ロング30位以内の目標はいずこへ…)

でも、それ以上に楽しかったです。
私にとってはここに至るまでの経験の多くが非日常で、今回の遠征を経てまた一段深くオリエンテーリングにハマったのだと思います。

今後自分がオリエンテーリングとどう関わっていくのかは分かりませんが、どんな形であれ、いままでと変わらず楽しくオリエンテーリングができたらいいな、と思っています。


最後になりましたが、WOC日本チームのメンバーや今回のWOCへの挑戦をサポートしてくれた皆様には、大変お世話になりました。非常に力になりました。
良いご報告ができず残念ですが、この記事をご報告に代えさせてください。
改めて感謝申し上げます。

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おしまい

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