生きるとは
ただ人として最低限の生活を送ることさえできないほど、生きることに絶望し疲れてしまった人が、「生きる意味がわからない」と言う。
じゃあ、羨望の眼差しを向けるあれやこれ全てを持っているあの人であれば「生まれた意味」・「生きる意味」なんて見出せているのだろうか。
いや、私はどんな人であっても、「生まれた意味」・「生きる意味」なんて到底理解できていないと思う。
何故なら、そもそも生まれたこと・生きることに「意味」など存在しないと考えるからである。
人は知能が備わっているがゆえに、賢い人ほど生産性や効率というものを考える。
何故こんなにツラい思いをしてまで生きていかないといけないのか、こんなにツラい思いをしてまで生きる意味って何だ、と考えてしまうのだ。
しかしながら、人間は人間である以前に生き物であり、生き物には生殖本能という本能がある。
その生殖本能のために生を受け生きている、シンプルにそれに尽きると考える。
さらに、人は物事を突き詰めて考えるほど、物事をより複雑に考えてしまう生き物だと、私は思っている。
本当は、生まれた。生きてるから生きている。だけであったはずなのに、複雑に考えてどツボにハマり、存在しないであろう生まれた意味・生きる意味を探し始めるのだ。
私は、子供を産んでから小説が読めなくなってしまい、近頃はエッセイしか読めなくなった。
経験から得た他人の考え方を知るということが、自分にはなかった価値観や考え方であると、そういう考え方もあるのか!と、とても面白いのだ。
その他人が何か凄いことを成し遂げた偉人や社長でなくとも、他人の感性を知れることは面白い。
私はそうして他人の考え方や価値観を知ることで、自分の知見や視野が広がっていると思う。
自分は自分の生きる意味を見出せなくても、自分が他人の生きる意味を作り上げているかも知れない。
だからどうか生きる意味がないなんて言わないでくれ、死に急がないでくれ。
どうせいつか死ぬんだから、わざわざ死に急がなくたっていいじゃないか!と思うのだ。
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