『ももクロ 桃神祭2016 〜鬼ヶ島〜 DAY1』@横浜・日産スタジアム
今年の「桃神祭」、ライブの中にはっきりと言葉で出てきたわけではないが、主題(裏主題)は死者の魂への鎮魂ではないかと思った。しかも、それは震災で亡くなった人へのそれではないだろうか。お盆という時期に開かれることもそうだが、ライブに参加したお祭りの 人に熊本も含めなぜ被災地のものが多いのか? 仙台市のすずめ踊りは鬼と無関係なのになぜ選ばれているのか。なぜ最初の曲があの曲なのか。「ニッポン笑顔百景」もやった。最後の曲が「灰とダイヤモンド」だったこと。ことさら主張はしないけど基調低音のように「死者の魂への鎮魂」というモチーフが流れていると感じた。
中国では死者の霊魂を鬼というという。「マホロバケーション」は霊魂を召喚してももクロ天国で慰め昇天させるという歌。冒頭の映像で鬼そのものは本来善でも悪でもないと論じていますが、霊魂も同じ。人に悪をなす霊魂が怨霊で、その最強の存在が菅原道真、つまり天神でした。桃は中国では邪を払う神聖な存在。だからこそ桃太郎伝説では邪悪な鬼退治に行くわけです。これは中国研究者の間ではよく知られた話のようですが、鬼(鬼門)に対し方位において反対である犬(戌)、キジ(酉)、猿(申)が桃太郎を加勢するわけですが、ももクロのオニ退治には天神の加護もあります。だから最後の歌は「灰とダイヤモンド」しかない。
実は以上のように記したことは「これから始まるライブは××の目的をもって行われるんですよ」などと「桃神祭」において明示されることはない。ライブ自体はももクロが通常通りに下に記したセットリストの順番に歌と踊りを披露していくもので、ももクロのライブでも明らかにライブ演出全体である種の世界観を提示し演劇的な構造を持っていた「5th DIMENTION」や「GOUUN」のライブツアーとは違う。
ももクロの夏ライブ「桃神祭」では毎回全国各地でお祭りを担う集団が呼び集まられ、それぞれが祭の際に実際に行われる歌舞的なパフォーマンスを披露してきた。今回は副題が「鬼ケ島」。ライブの主題として「鬼」が提示され、今回もやはり日本の各地から「鬼」にまつわるお祭り・芸能の担い手達が集められ、それぞれがパフォーマンスを行うとともにももクロの楽曲にも参加し共同(コラボレーション)でのパフォーマンスも行った。
今回参加したのは秋田・なまはげ太鼓、ニ子流東京鬼剣舞、YOSAKOIソーランREDA舞神楽、熊本・菊池白龍祭り、愛媛・うわじま牛鬼まつり、宮城・仙台すずめ踊り。ほぼレギュラーとなっている池谷直樹とサムライ・ロック・オーケストラを別にして、一応「鬼」をテーマにして集められたような体裁を取ってはいるが、「鬼」とは無関係な熊本・菊池白龍祭り、宮城・仙台すずめ踊りがこの中に交じってリスト入りしている不思議がある。
特に仙台市のすずめ踊りが選ばれているのはなぜか。それを考え始めた時に熊本も含め、今年の参加者はほとんどが地震・津波による被害を受け大勢の犠牲者を出した被災地から選ばれているのではないかということに気がついた。
しかも、先に書いたように「鬼とは死者の霊魂」のことでもある。冒頭のビデオでも「生者と死者」「神と鬼」などといった対比でこのことは反復される。「主題(裏主題)は死者の魂への鎮魂ではないか」と書いたが、overtureの前に行われた装束姿の男性らのパフォーマンスによりそれは確信に変わる。ここでは「南無阿弥陀仏」と言う言葉が繰り返されるが「回向」という題目であり、それは辞書によれば「死者の成仏を願って仏事供養をすること」である。つまり、これをここに置いたということは演出の佐々木敦規が確信犯としてそれを行ったということだ。
初日のオープニングに選ばれた曲はアルバム曲からの「Guns' N Diamond」で曲としては誰も予想していなかった意外な曲だったが、「死と再生」を主題とした「AMARANTHAS」「白金の夜明け」という2枚のアルバムのなかでは「死」に向かうという主題を担わされたアイドル楽曲としてはかなり奇異な楽曲。それをあえてここに持ってきたところに演出家の意図が強く感じられたのだ。
最後の曲が「灰とダイヤモンド」だったのも象徴的だ。一見、定番のバラードをそこに置いただけにも見えるが、この歌が男祭りの時に大宰府天満宮、つまり天神さんに奉納した歌だったんだということを思いだせば見えかたが違ってくるだろう。天神といえば史上最強の怨霊、まつらわぬ魂の親分のような存在だからだ。
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