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その本屋はいつも夏休みだった

本屋を始めるきっかけになった本屋があった。遊びに行くといつも、小学生くらいの夏休みの頃に戻った様な気分になる本屋だった。

宇吉堂。という名前のその本屋は、当時は岡山県の牛窓にあった。

まるで絵本や童話にでも出てきそうな、海に面した小さな港町。牛窓という、その名前から連想される通りの、そこは時間がゆっくりと流れているような町だった。

車を海沿いの駐車場にとめて、店まで歩く道も、なんとなくノスタルジックで、いつも子供の頃に戻ったような気分になった。
時々通り過ぎる、郵便配達の赤いバイクが絵になるような道路に面した所に、その本屋はあった。

「なんだか夏休みみたいですね。」

と言うと、店主のウキコさんは、それ以来よく、

「この子はこの店のことを夏休みみたいって言うのよ、失礼しちゃうわ、こっちは真剣よ!」

と他の常連客によく怒って言っていた。こっちは褒めたつもりだったのだけど、意味が違って伝わってしまったようだった。お客さんが夏休みのような気分になれる所なんて最高じゃないか、と思っていたのだが、何度か説明したが、分かってもらえなかった。


店にはウキコさんの連れ合いで同居人の、絵本作家のミツルカメリアーノさんの絵画やポストカードが、本棚の合間合間に所せましと飾られていた。
その色鮮やかな水彩画が、夏の日差しの中で輝いていた子供の頃の記憶をよみがえらせてくれた。不思議とそれらの絵は、宇吉堂の店内で見た時が1番、輝いて見えたように思う。買って帰るとなんだか、少しちがう。

洋梨 ミツルカメリアーノ

        

店内は絵本や童話などの新刊本がたくさんならんでいて、虫かごや虫取り網がそこにあっても、自然と溶け込むような雰囲気があった。子供の頃よく行っていた駄菓子屋さんが、オシャレな本屋になったような雰囲気だった。
ミツルさんはスペインに滞在していたことがあるようで、絵画にどこか南欧のラテン的な雰囲気があったのも関係していたかもしれない。

ミツルさんとは結婚はしていないようだった。
「結婚しないのですか?」
と聞くと、気持ち悪い、と一蹴された。事実婚のような形でよくて、婚姻制度が気持ち悪いということのようだった。名字が変わるのも嫌だったのかもしれない。

遊びに行くと、2時間も3時間もそこにいた。夕食をごちそうしてもらったりもした。ドキドキしながら、本屋のスペースから、裏にある居住スペースに行ったのをよく覚えている。ミツルさんお手製のパスタは最高だった。絵描きの人は料理がうまい人が多いように思う。

ウキコさんやミツルさんには、本当にお世話になった。店をはじめるとき、店の販促用のイラストを破格の値段で描いてもらったり、要らない本を頂いたり、いろんなアドバイスももらった。

店をはじめてからは、ギャラリーで何度か展示をしてもらったりもした。

展示中は店に泊まり込み、2人は在廊してくれた。その間に、店の前の植物の手入れをしてくれたり(僕は観葉植物をすぐに枯らしてしまう)、キッチンをキレイにしてくれたり、ウキコさんには

「もう!ちゃんと掃除しなさいよ。」

と展示の度によく怒られたものだった。ウキコさんは、自分の親くらいの年齢だったので、いつもまるで親から怒られているような気分だった。

接客でもウキコさんから学ぶことはたくさんあった。その人に合わないようなモノはダメとはっきり言うウキコさんは、いつもお客さん目線で商品を売っていたように思う。
ウキコさんと一緒に買い物に行くと、いい買い物が出来ると、みんなの評判だったくらいだ。

ある時、店の近くのギャラリーに置き時計を一緒に買いに行って、僕が迷っていると、
「あなたはこれよ。これが似合うよ。」
とウキコさんが選んでくれた、その時計は今でもお気に入りだ。これはある種の才能だと思う。

ウキコさんはよく、コムデギャルソンのワンピースを着ていたが、いつもよく似合っていた。自分が好きなモノと、似合うモノのことをよく分かっていたように思う。
ウキコさんくらい、好き嫌いのはっきりしている反骨の人に、ギャルソンはぴったりだった。


ウキコさんが亡くなったのを聞いたのは、何年か前だ。お悔やみにも行けていない。そういう感情が自分には欠落しているように思う。故人をしのぶ場が苦手で、いつもその場では、しのぶ気持ちになれない。

宇吉堂は牛窓から、金沢へ引っ越し、その後は、滋賀(宇吉堂はノマドのような本屋で、牛窓の前は西宮でやっていた。気に入った土地が出来ると、本屋ごと引っ越していくのだ)へと移転したのは知っていたが、どれも行けていなかった。

ウキコさんは怒っているかなぁ、と思うこともある。けどきっと彼女なら分かっているとも思う。行きたくないのに、行く必要などないよ、と。
「シミケンは薄情ね。」
と言いながら、目は笑っているウキコさんが想像出来る。

ウキコさんと、あの素晴らしい本屋は、自分の記憶の中で鮮やかなままだ。子供の頃の夏休みの思い出みたいに。








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