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「こんな生き方でいいんだろうか」と迷いながら進んだ先に見える未来がわたしの見たい世界

noteで書くのはひさしぶりだ。なんならそもそも頭に浮かんだことばをこうして文にして書き出すこと自体がひさしぶりだと気がついた。書くことが定まらないまま、近況をつらつら書いてみようと思い立って、とにかく書き始めてみる。

最近は、朝晴れていたら散歩して、三食の料理やおやつ、時々パンを作っては食べて、よしもとばななや内田也哉子のエッセイを読んだり、しばしばカメラを持って出かけている。カフェ風ドリンクを作るのにはまっていて、家で簡単にラテアートが作れる方法がないかを模索中。

いま特段書きたい事柄はないのだけど、うまれて30年、気がつけば30年。30年もわたしという同じ人間の人生を歩んでいると、その「わたし」のどうしたって抗えないパターンが見えてくる。

多少ひねくれながらも割とまじめにやってきたものの、おじさんたちを相手に世間話をするのも、何か売り込むようなビジネスの話を熱く語るのも、かといってルーティーンの決まった作業をカリカリ毎日するのも、なにもかも、向いていない。かといって、好きなものであふれる場所に行くと、たしかに気持ちがいいのだけれども、どこからともなくここにいてはいけないような気もちがし出してそわそわ落ち着けない。どこにいても私のいたいところはここではないと思っている。

「好きなことを仕事に」というキーワードは最近よく耳にすることばだ。…そんなこたぁわかってんのよ、それがむずかしいんじゃないのよぉ、と嘆きたくなる。そんなことできたら、こんな悩んじゃいないに決まってんの。できないからどうすることもできずに悩んでんの!と声を大きく空に放ちたくなる。

まじめに社会に溶け込むのも、好きを仕事にすることもできない人は、いったいどこに行けばいいのか。行き先はないのか。誰か教えてほしい。答えがほしい。人にすがれるものならすがりたい。でもそんなことはこの世の中どこを探しても書いてない。まあ書いてるとしたら新興宗教かなにかだったりするのかもしれない。わたしは運よく新興宗教とは縁もゆかりもないから、無事、誰にも何にもすがることはできず、沼にゆっくりゆっくり沈んで身動きできなくなっていった。

そんな沼に沈んだ(”はまった”というすこし率先的な印象を受けることばは決して使えない)人ができることといえば、気力が30くらいあるほどほどに元気な時にしたくなる、ちょっとしたすきなことだ。




ちょっと一息、続きはまた今度。


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