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#3.のんのんびより

人は、「懐かしいのに新しいもの」に惹かれる。

例えば2016年に大ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のED星野源さんの「恋」。
曲自体は古くから民謡や童謡で親しまれている「ヨナ抜き」という表現技法が使われているらしいが、星野さんの声・出演者でダンスを繋いでいくというコンセプトと掛け合わさることで新しさを産んだ。

2018年にヒットした「今日から俺は!!」は30年前に連載がスタートしている。コンプライアンスがガチガチに固められ息苦しさを感じる世の中の日曜夜に、昔ながらの不良を150㎞で投げ込むこのドラマが逆に新鮮に感じたのだろう。

「知っているのに初めて見る感じ」とか「新鮮だけど普遍的」とか、そういうものに僕らは弱い。

恐らく、今日紹介するアニメ「のんのんびより」もそういうポイントを上手くついているのだろう。

「のんのんびより」は東京から田舎の分校に転校してきた「蛍」が、学校の友達と過ごす日々を描くいわゆる日常系のアニメである。2013年の10月から第一期がスタート。超大好評を博し、2015年7月から第二期。2018年の8月には映画化され、先日第三期の制作が発表された。

その人気は凄まじく、アキバ総研が実施した2013年秋アニメ満足度ランキングでは2位の1.5倍の票を獲得してダントツ1位を獲得。
ちなみに放送開始前は18位で、そこまで評価が高い訳ではなかったが、内容で前評判を覆した。

さらにアニメ内で主人公が使う挨拶「にゃんぱすー」は2013年度アニメ流行語大賞で金賞を受賞した。銀賞は進撃の巨人「駆逐してやる」。当時アニメをほとんど観たことがなかった僕ですら知っていた「駆逐してやる」を抑えての金賞。アニメ界でどれだけ「にゃんぱすー」が流行していたかが良く分かる。

ではなぜ「のんのんびより」はこれほどまでに視聴者の心を掴むのか。
先述のように、懐かしいのに新しいからだ。

どういうことか。

僕は3つの理由があると思う。

1つ目はキャラの魅力である。
不思議なキャラ、正常の感覚を持っているキャラ、お転婆なキャラ、報われないキャラ。
日常系アニメの基本をしっかりと抑えた布陣になっている。
主な登場人物は下記の4人だ。

・宮内れんげ
本作の主人公で小学一年生。不思議な感性を持っている。先ほどの「にゃんぱすー」はれんげが使う挨拶だ。成績優秀で芸術の才能もあるがその独特すぎる感覚でよく周囲を困惑させる。

・一条蛍
東京からの転校生で小学5年生。
初めての田舎暮らしを不慣れながらも楽しんでいる。基本的には常識人として描かれるが大好きな小鞠のことになると我を忘れる傾向がある。

・越谷夏海
ムードメーカー兼トラブルメーカー。中学1年生で小鞠の妹。宿題をしなかったり姉にいたずらをしたりと不真面目。だが、物知りで明るくてイイやつ。映画では主人公級の活躍。

・越谷小鞠
夏海の姉で中学2年生。4人の中で最年長ということもありお姉さんとして振舞おうとするが140㎝以下の身長もあって子ども扱いされてしまう報われないキャラ。蛍から寵愛を受けている。ちなみに僕の会社に似ている先輩がいて、いつも見るたびに「あ、小鞠だ!」ってなる。

これら4人がそれぞれに魅力的なのだ。
そして、これが大事なのだが、この4人のやりとりは圧倒的にリアルを感じさせる。

みんながみんな「そうそう!子どものときにこういう奴いた!そして俺はこの中だったら〇〇タイプかな」というように視聴者の子どもの頃の記憶をえぐるのである。

例えば、1話で夏海がれんげに「ヘローン」と挨拶するシーンがある。これが最たる例で、視聴者は、自分が中1のときに初めての英語に授業で習った「HELLO」をローマ字読みで憶えていたことを思い出すのだ。そして周りの3人が特にそれについて触れない。確かに、自分が中1だったとして「ヘローン」って言う友達がいても敢えてそこに突っ込んだりはしない。

普通のアニメだったらそこにツッコミが入ったり、話を広げていったりするが、「のんのんびより」ではそんなことはしない。
実際の世界で僕らがしないようなことはしない。

そういった「リアル」と「あるある」の積み重ねが、れんげの異端っぷりや、たまに見せる蛍の狂気、少しやりすぎな越谷姉妹のやりとりを「もしかしたら、ギリギリこれくらいあり得るかも」と感じさせている。
例えるなら、普段から自分勝手な人が我儘を言うと「またかよ…」となるけど、普段我儘を言わない人だったら「まぁ今回くらいは大目に見てやるか」となるあの感じだ。違うかも。

2つ目は自然の美しさだ。
この話の舞台は田舎である。
バスは一本逃したら2時間来ないし、みんな家に鍵はかけないし、コンビニはないし、普通に牛が道を歩いている。
そして圧倒的に美しい風景がある。
澄んだ空や、川の水。秋になると紅葉に包まれ、春には桜が咲き誇る。そのような田舎の風景がいちいち美しい。
先述したが、これは日常系のアニメだ。登場人物たちは、すぐ隣にある自然の美しさには殆ど触れていない。ただ彼女たちの日常が進んでいく。自然の美しさに気付いているのは視聴者(と、たまーに蛍)だけだ。
そして魅せ方がとにかくうまい。
物語の展開があまり起きないシーンでは、少し引いた場所から登場人物を映し、背景の自然がよく見えるようになっている。
登場人物を引きで映すことで、画面上で動く部分の面積が小さくなり、背景の自然と相まって、のんびりとした田舎特有の雰囲気を作ることに成功している。
これは例えば、第一期の1話冒頭、れんげが登校しているシーンに如実に表れている。
逆に、終盤に蛍が3人に連れていかれて山の中を歩き桜の木まで行くシーン。ここは田舎に慣れていない蛍の不安と感動が描かれる動的シーンだ。そのため蛍の顔や足元を寄りで表現して画面上の動く面積を大きくしている。まるで蛍の心臓の音がこちらまで伝わってくるようだ。

同じ景色でもこういった対比を作ることで、マンネリ感を出さずに自然の美しさを表現している。
実際に僕は、東京で生まれて東京以外に住んだことがない比較的都会っ子だが、寄りのシーンでは新鮮さを感じ、引きのシーンではどことなく安心するような懐かしさを感じた。

自然を楽しむという点においては、蛍は視聴者の代理的な役割も担っている。だから蛍と同じように自然の美しさに圧倒されば良いのである。

そして3つ目は曲である。
「のんのんびより」は第一期、二期、映画と全ての曲が最高なのだ。
第一期↓
OP:「なないろびより」
ED:「のんのん日和」

第二期↓
OP:「こだまことだま」
ED:「おかえり」

映画↓
OP:「あおのらくがき」
ED:「おもいで」

見て分かるように殆ど漢字が使われていない。
曲も全体的にほのぼのしており、作品の世界観を上手く表現している。

例えば第一期のED「のんのん日和」。
EDは先ほど述べた主要メンバーの声優さんが歌っているのだが、キャラ同士の関係性が分かる。

―――――
あ、あれってハクビシン?(夏海)
タヌキなのんっ(れんげ)
アライグマでしょ(小鞠)
イタチですよ(蛍)
―――――

夏海が話題を提起して、れんげがそれを広げる、小鞠がまとめようとするが当然上手くいかず、蛍がそれを諭す。

こういう情景が浮かぶような歌詞を使うことでこの4人をよりリアルに感じることができる。
実際にいるんじゃないかという気分になる。

さらに映画版のED「おもいで」は物語全体をなぞって新しい解釈を与えている。

ネタバレにならない範囲でいうと、映画版は、夏休みにこの4人を含む家族や友人と沖縄に旅行する話だ。ここでは夏海が主人公的に扱われる。
沖縄にある旅館の娘「あおい」がたまたま同い年で仲良くなるのだ。
夏海はあおいとバドミントンをしたり沖縄を案内してもらったりして、人生で初めて「同い年の友達」を手に入れる。

そして旅行から帰る日、お別れが寂しくて泣いてしまう。いつも小鞠をからかったりしている夏海が初めて見せるセンチメンタルな一面だ。

当然、視聴者は、夏海とあおいはまた会えるのか、旅行から帰ったあと夏海はいつも通りの明るい夏海に戻るのかなどの心配をするわけだが、そこは劇中で語られない。
その代わり、EDを聴くとそれが分かる。
下記がED「おもいで」の全文である。
―――――
銀色に光る波 転がる貝殻たち
潮風に巻き込まれてく
空色に響く声 蔦だらけの密林
はぐれないように歩いてこう
珍しいいきもの 追いかけ
微笑むイルカに 追われて
はしゃいで やすんで
おなかいっぱいで地球に寝転ぶ
思い出す朝焼け 夕映え 星空
照らすおひさまの香り
一緒に過ごしたんだよ 絶対に忘れない
緑と渚の彩り 砂も虫も人間も
増える記録と 深くなる記憶
染み込ませて またいつか
「ただいま」を言おう

おうちを守る獣 横切る無愛想猫
さとうきび 剥いてまるかじり
青に名残る航跡 岬に灯る光
なんでだろう 少し寂しいね
出会って別れて 止まって
笑って学んで 進んで
冒険 探検 宝物を描いたスケッチ
大好きな会いたい景色があるから
会えない日々も愛しく
いつまでも心にある 大地の温もり
もっとずっと笑っていたいけど
待ってる場所があるから
淡い永遠と 鮮やかな日常
手を振ってる その奥に
「おかえり」がいる

みんなで歩く あなたと過ごす
楽しさいっぱいなのん
笑顔で帰ろう
のんきな風がふいたから
また季節が歌ってる
あおいひかり 抱きしめて
誇らしい 思い出になった

大好きな…ばけーしょん!

朝焼け 夕映え 星空
照らすおひさまの香り
一緒に過ごしたんだよ 絶対に忘れない
緑と渚の彩り 砂も虫も人間も
増える記録と 深くなる記憶
染み込ませて またいつか
「ただいま」を言おう

ランラン ララララン ラララン

ランランラン ララン ララン
―――――
http://music.oricon.co.jp/php/lyrics/LyricsDisp.php?music=6042678&ref_cd=PC1001から引用)

映画を観ていない方は、観た後に改めてこの歌詞を見たら、夏海とあおいの未来も分かるだろう。

映画に関しては、れんげの姉2人の活躍なども語りたくなるが長くなりすぎるのでここでは割愛する。
だが、あと少しだけ映画の話を続けさせてほしい。
この映画は、映画の意味があった。
どういうことか。
日常系アニメの劇場版はえてして「これアニメ3回分繋げただけじゃん!」となることがあるが、「のんのんびより」に関してはアニメ版の良さを残しつつ、長尺じゃないと描けない夏海の心の動きを見事に描き切っていた。

そして夏休みを描いた映画にしては珍しく8月の終わりに公開したのも、作品の持つ切なさを表現する意味で大きな意味を持っていただろう。

話を戻す。
リアルさとぶっ飛んだ性格の両方を持ち合わせたキャラ、静と動が共存する自然の美しさ、キャラの息遣いを感じる曲。
こういう小さな仕掛けや矛盾の一つ一つが、現実世界と彼女たちの世界をあいまいにさせる。
こんなこと言うと痛いやつ認定されるかもしれないが、僕が東京で生活している今もあの世界であの4人は遊んでいるんじゃないか、そんな気分にさせてくれるのだ。辛いことがあったときも、そう思えるだけで、僕は少し気持ちが楽になる。

そして同様に時間の感覚もあいまいになって、懐かしいのに新しい、心地よい旧と新の融合が起きるのだ。

さぁ来年は第三期。
第一期から7年経つ。
きっとあの頃と全く同じような、懐かしさと新しさ、その両方を持つ「のんのんびより」を見せてくれるだろう。

ということで、今回はここまで。
にゃんぱすー。

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