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ナイチンゲール

フローレンス ナイチンゲール
看護師である私が、看護師になる前、子供の頃から
憧れて止まない人🍀

1820.5.12生まれ
ナイチンゲールは、イギリスの大資産家に生まれた。両親は結婚直後3年にわたり、ヨーロッパを旅して、その間に生まれた二番目の娘がナイチンゲールだった。ナイチンゲールの生まれた先「花の都」フィレンツェにちなんで「フローレンス」と名付けられたという。

ナイチンゲールは、富も名誉も学識もあり何不自由ない暮らしをしていた。しかし、娯楽ばかり追い求める生活に、彼女は充実も興味も見出せなくなったという。自分達の華やかな生活とは逆に、貧民街の生活環境や労働者の待遇は劣悪で、コレラやチフスなどの伝染病も蔓延していた。「貧乏な人が、あんなに苦しんでいるのに、私達が贅沢しなければ治してあげられるのに…」と。
ある時、重病を患った祖母や乳母を看病すること、病める人を看病する事で、自身が蘇生していくのを感じた。彼女は「看護」に捧げる人生こそ、わが道であることを確信した。

しかし、当時、看護師という仕事は、社会的にも極めて低く見られていて忌み嫌われる仕事であった。
そのため、看護の勉強がしたいと家族に話すと、猛反対にあった。ナイチンゲールは、この時、25歳、30歳までは独学で看護の勉強をし、それから、看護師養成所に行った。

ナイチンゲールが派遣された、クリミア戦争の戦地。負傷兵が収容されている病院は、想像を絶する酷さだった。所狭しと患者が押し込められ、あまりに不潔だった。食料も燃料も医療品も足らず、ネズミやシラミが沸き、負傷兵はキズのためでなく、不衛生から発生したコレラやチフスなどで亡くなることも多かった。

彼女はまず、環境整備から始めた。掃除をし、換気をし、清潔なシーツに取り替え、新鮮な水や食料を兵士に与えた。患者の体を洗い励まし、患者の家族にまで手紙を書いて配慮した。重症の患者がいると、必ず、そばには、彼女がいた。夜間も、ロウソクの灯りを持ち、兵士一人一人の様子を看て廻った。そして、最後の患者の1人が退院するまでクリミアの病院にいた。
その間、スタッフが働きやすいように配慮したり、スタッフの近況を伝える手紙もその家族に書いた。
総婦長として、彼女の活躍を良しと見ていない軍医やスタッフ達も沢山いて、卑劣ないじめにもあった。それでも、彼女がそれに屈しなかったのは、「看護に生きる」使命を深く感じていたからだろう。

私は、看護という仕事が大好きだ。
患者さんの一生のうち、看護師が関わらせていただく時間は、あまりにも少ない。無い人もいるかもしれない。でも、そのほんの少しの時間を看護師として精一杯関わらせていただきたい。
看護師の仕事は、「療養上のお世話」をさせていただくこと。早く健康を取り戻せるよう、あらゆる手を使ってケアさせていただくこと。一部分だけを看るのではなく、全人的に看ること。

私は、長年看護師をしてきて、逆に患者さんに満たされてきたことを常に感じている。そして、看護師という仕事が使命であると。

ナイチンゲールのように、
患者だけでなく、スタッフにも心配れる自分でありたい。そして、看護という仕事を一生続けていきたい。

看護という仕事は、病気の人のお世話をするだけでなく、病気にならないために、人々の健康を守る仕事でもあると思う。

これから先も、現役看護師を続けながら、嗅覚反応分析を軸に、「自分を知り、自分で心と体を整えて、健康と幸せを自ら勝ち取っていく」人を増やしていきたい。

そんな思いを胸に、2021.3.19 bouleau blanc(ブロウ ブラン)を立ち上げました🍀

http://shimayubouleaublanc.com/

bouleau blanc=白樺の木
白樺はロシアでは健康のシンボルとされ
荒れた大地にも真っ先に生育し、肥沃な土地に変え、他の植物が生育しやすいように土壌を変えていくと言われています。
私も白樺の木のように、人々の健康を守り、自ら健康と幸せを勝ち取っていく人を増やしていきたい。そんな、思いでいっぱいです🌸

皆様、どうぞよろしくお願いいたします❣️🙇‍♀️

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