[過去のレポート①]Official髭男dismのライブに初参戦したことで感じたこと。

11月14日、僕は「Official髭男dism one-man tour 2021-2022 -Editorial-」アスティとくしま公演最終日に参加した。当方2019年1月に参加した嵐のコンサートぶりの音楽ライブだったため、生で音を体感できる久しぶりの機会に胸を躍らせていた。そしてついにライブ本番。万感の思いのもと、グッドミュージックにひたすらに浸って、、今終演後このレポートを書いている。今回はこの公演を通して感じたことをありのままに、ここにだけ書き記そうと思う。たとえ、うまく書けずとも。ちなみに、この文章に置いてセットリストなどのネタバレは一切しないためご安心を。

感じたことをありのまま書こうとは言ったものの、何から書いたらいいのか分からないくらい感じたことがいっぱいある。だが今回はその中から話題を選りすぐって言葉を紡ごうと思う。
今回初めてOfficial髭男dismのライブに参加したのだが、序盤から圧倒的な演奏力、歌唱力に呆気を取られた。そして最も驚いたのが、ヒゲダンが作り出す「グルーヴの深さ」である。誰にも真似できない、唯一無二のグルーヴ。約10年ほど、(厳密にいえばもっと長いかもしれないが)自分たちの音楽をひたすらに信じ、届けてきたヒゲダンだからこそ作り出せるものであろう。この真似できない「グルーヴ」こそ、ヒゲダンの真骨頂なのだ。そしてそのグルーヴが作り出される最大の理由こそ、目の前にいる大多数の人々なのである。ヒゲダンに限ったことではなく、バンドというものに於いて、ライブというものはまさに生き甲斐と呼ぶにふさわしいものであることは誰でも分かるはずだ。だが未曾有の病によって、あるべきではない同調圧力を強いられ、本当に伝わるべきメッセージが伝わらないような社会となった昨年、バンドの生き甲斐、血であり肉であるライブが一斉に奪われた。ヒゲダンも、もちろんその例から漏れることはなかった。だがしかし彼らは音楽を止めることはなかった。曲を作り、テレビにてその曲を届け、そしてオンラインライブを開催し有観客ライブさながらのセットリストのパフォーマンスを届け、、見る人全ての心にGood Musicを響かせた。だが彼らには、オンラインならではの喜び、そして悲しみがあった。何に対して歌っているの?何に向けて曲を作るの?、、答えが出そうでなかなか出ない問いばかりが入り混じった。そんなもどかしさや、生き甲斐を奪われた辛さがどのような形で晴らされたのか、その答えこそ今回のツアーにあったのだ。家の大きな画面の前ではなく、自分の目でしっかりと見ることができる距離にいる人たちに向けて届けるからこそ、伝わるものがある。もちろん、オンラインだからこそなかなか行けない人にも届けることができる。だからこそ、この生きづらい世の中で足を運んでくれた全ての人にこれまでの様々な感情を晴らすかのように懸命に、丁寧に、だけど力強く、Official髭男dismは音楽を届けるのだ。このツアーの中で、一番様々な思いを抱えていたのはヒゲダンのメンバーたちだった。いや、メンバーだけではなく、サポートメンバーやこのツアーに関わった全ての人々がそれぞれ深い思いを抱いていた。それが最大限に感じられるパフォーマンスだった。そのような思いが熱としてオーディエンスに伝わり、その思いを受け取ったオーディエンスが彼らに応えるようにレスポンスを返す。このお互いの感情を通じたリレーがどれだけ幸せで、素晴らしいことなのか、ヒゲダンは改めて感じさせてくれた。このようなリレーが行われるライブで生まれる一体感、それがヒゲダンの「グルーヴ」なのだ。その真髄を、深く、濃く、感じたひとときだった。この熱い高揚感というべきか、興奮というべきか、言い方が定まらないようなこの心が飛び跳ねるような感覚は、一生忘れることはないだろう。

いやー、ガーッと書くとこんな感じになった。とてもじゃないがこの思いを描かずにはいられなかった。まだ何か伝えきれてないことがあるような気がするような、しないような、、そんな今日この頃だ。。笑だが、これだけは伝えたい。ヒゲダンよ、本当にありがとう。伝えたい、だけど語れないこの思いが少しでもこの文で伝わりますように。

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