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【感想】FGO関連Ⅰ(material XIII)

 今回は「Fate/Grand Order material XIII」の中から設定的に気になるところをピックアップして自分の中で整理した内容となっています。例のごとく「感想」とは名ばかりの内容ですが、ご容赦ください。
 ※当初はサバフェス2023の内容についてもまとめる予定でしたが、また文量が多くなってしまったので次週分に変更します。


Fate/Grand Order material XIII

妖精騎士トリスタンの真実と救い

 妖精騎士トリスタンことバーヴァン・シーの召喚者なら皆が抱くであろう疑問。彼女の第三再臨の姿はなんなのか。
 これについてはこれまで色々な説が上がっていた。特に霊基第三再臨した際の「幸せな夢を……見ていた気がする」というバーヴァン・シーの自己言及、過去の竹箒日記での『少女が見ている、幸せな夢(踊っている)』(おそらくケルヌンノス戦でのBGMへの言及)から、ケルヌンノスの神核に取り込まれた状態、というか死の直前の状態が第三再臨であると考える向きが強かったが、今回のmaterialの情報から概ねその認識で誤りがないことが分かった。まあ、より救いのない状態だと判明したのだが……
 第三再臨こそが本来の彼女の姿。第一から第二再臨はカルデアに召喚されたバーヴァン・シーが妖精國の情報をもとに『夢』を見ている状態。なので第三再臨になると夢から目覚め、本来の姿が浮き彫りになってしまうと。この状態の彼女の霊基はいかなる治癒術式、いかなる愛でも回復は望めない。何度目の「人の心」案件である。しかし、これはあくまで外部的な手段に限定した場合での話。もしも、彼女自身が内部から目覚め、その呪いを飲み込んで打ち勝つ強さを持つことが出来るなら……
 と意味深に言及されたそれの答えはmaterial XIIIからわずか数日で回収されたのであった。つまり水着姿の彼女の第三再臨はアーチャー霊基の彼女の第三再臨の救いの形という訳なのであった。

画像引用元:Fate/Grand Order

妖精騎士メリュジーヌの超抜能力他

 超抜能力という単語は同人版「月姫」や「Fate/stay night」の頃から度々登場する単語である。
 主に死徒やサーヴァントが扱う特異な能力を指す言葉として使用され、前者であればネロ、ブラックモア、エル・ナハトが持つ能力、後者であればクー・フーリンが持つ宝具『刺し穿つ死棘の槍』が該当する。
 「月姫」のリメイク版では死徒が持つ超抜能力について詳しい設定が加えられ、Ⅴ階梯以上の死徒が持つ親基の吸血鬼あるいは個人に起因する異能であり、概ね原理と同じ意味として使われる(この最高位が死徒二十七祖が持つ原理血戒なのだろう)。これと近い言葉として『超抜種』、『超越種』がある。前者が主に『神』、後者が真祖(というか朱い月)を指す言葉として使用されることから、神霊・精霊・妖精などの高次生命体を指す言葉だと推測される。

 妖精騎士メリュジーヌが持つスキル『レイ・ホライゾン』(ルーラー霊基での『ブルー・ホライゾン』)もまたこうした超抜能力の一種である。正確にはメリュジーヌの大本であるアルビオンの竜が持つ超抜能力であると。
 その原理はまさかのカルデアのレイシフトと同じモノで、霊子変換技法に分類付けられる。アルビオンと同じくこの超抜能力もまた、地平線にしろ水平線にしろ『境界』に刻まれた記録帯を霊子に変換することが出来る。記録帯とは何を指す言葉であるか。型月伝奇世界における近い概念として、「人理定礎」(霊子記録固定帯)によって保証される時空連続体、個人ではなく世界や空間が観測者として記録する記録帯などがあるがこれらと同一かどうかは現状では判断は難しいだろう(前者と後者が同一の事象の可能性はあるが)。記録帯を霊子に変換して魔力を得る、という意味では人類史を燃やし残留霊子を摘出し、膨大な魔力を得ようとした魔神王ゲーティアもある意味ではこれに近いと言えるだろう。ここからは推測になるが、もしかしたらアニムスフィアのレイシフトにはモデルになった魔術理論、あるいはそれを可能とする超抜能力があったのではないだろうか。
 アルビオンの竜の端末であるメリュジーヌは霊基を光体にすることで存在規模を拡張出来ることが示唆されている。光体とは精霊の一種である真祖の王族が持つ励起状態である。受肉した精霊である真祖が何らかの原因で器である肉体を完全に破壊された際に、魔力が十分に残っていた場合は肉体という匣に圧縮して留められていた膨大な魔力が開放され、一気に存在規模が膨大してしまう。先に述べた通り光体とは真祖の王族が持つ能力である。竜種であるアルビオン、その端末であるメリュジーヌがどうして光体化可能なのだろうか。それは幻想種の中でも純血種と区分されるモノたちは受肉した精霊に近いからだと考えられる。
 神代の竜種たちは西暦が始まる前に肉体を捨て魂だけの状態で世界の裏側へ移住した。西暦以降の竜とは神代の竜種が残した竜の因子が付着し、それぞれの生態を維持したまま竜の生態になったものにすぎない。つまり純血の竜種とは魂だけでも活動出来る高次存在であると考えることが出来る。これと似たようなケースとして、純血の人狼が挙げられる。神代で活動していた人狼(金狼)、地上に残るその最後の個体は分類としては自然発生した精霊に近いとされ、真祖や星の聖剣(の原料となる妖精か)の親戚のような関係にある。その正体は魂が物質化した高次存在であるとされる。つまり竜にしろ人狼にしろその原種、純血種は幻想種といよりも精霊種に近いモノであり、それらの因子から発生・派生したモノが一般的な幻想種だと考えることが出来る(ブリテン異聞帯の亜鈴と石の仔、森の仔の関係に近いのだろうか?)。「Fate/Labyrinth」ではサーヴァントの霊核とコーバックの迷宮を用いた霊基再臨を利用することで、幻想種から精霊種へ存在の階梯を駆け上がろうとした吸血種がいたが、ある意味では先祖還りを図ったと考えることが出来るだろう。
 純血の竜種が精霊種に近い存在であるなら、アルビオンの端末であるメリュジーヌが光体という機能を有していてもおかしくはない。同人版「月姫」の世界観では真祖は環境から情報を引き出し、知識を得る能力を持つと設定されていたが、これもリメイク版でも残っているのならメリュジーヌのレイ・ホライゾンと原理としては近い可能性がある。更に真祖には空間転移に近い能力があり、同人版の世界観では受肉した自然霊である真祖は霊子に地球上のあらゆる場所に転移可能だとされていた。これは「FGO」でのアーキタイプ・アース(アルクェイド)では単独行動スキル(星の内海を経由する事で地球上の目的に実体化出来る)として表現されていることから、リメイク版の世界観でも健在なのだろう。この転移方法はあるモノに似ていないだろうか。そう、アニムスフィアの、カルデアのレイシフトに非常に似ているように思える。
 天体科を率いるアニムスフィア家がどうして天体を研究するのか。彼らの目的はソラに広がる天体そのものではない。あくまでこの星、地球を深く理解するためにはソラの星々という外堀を埋める方が近道だっただけの話だ。そんな彼らが地球の分身である精霊種やそれの近似種の生体機能(超抜能力)を研究し、自身らの魔術理論として確立していても何の不思議でもない。むしろ合点がいく。かつてマリスビリーがレイシフトの人体への影響を懸念して、真祖に近い精霊種である虞美人をカルデアに勧誘したのも、レイシフトに近い転移方法を用いる受肉した精霊であるならレイシフトにも耐えられるだろうという目論見があったのではないかと私は睨んでいる。

 ここからは余談だが、ルーラー霊基では「人理くん」などと人理を侮る発言が目立つメリュジーヌであるが、これは汎人類史とブリテン異聞帯の異聞史とではメリュジーヌの、というかアルビオンの竜の末路が異なることに起因していると推測される。
 ブリテン異聞帯では紀元前12000年の大破壊によって地上の全てがヴェルバーに徴収され、アルビオンの竜は汎人類史よりも早い段階で力尽きた。一方で汎人類史ではアルビオンは西暦以降もしばらく地上に残り続けていたが、最後には人理という人間に最適化された物理法則の前に膝を屈することになった。つまりブリテン異聞帯のアルビオンの端末であるメリュジーヌは汎人類史のアルビオンが人理に屈服したという事実を知らないし、その経験もないため人理のことを未だ侮っているのではないだろうか。

パーシヴァルとランスロット

 同じ円卓の騎士であるパーシヴァルとランスロット、そしてガレス。パーシヴァルはガレスを妹のように可愛がり、ガレスはランスロットを敬愛し、ランスロットは愛のためにそのガレスに手をかけた、というなんとも複雑な人間関係。
 パーシヴァルはマイルームボイスでトリスタンに対しては「浮気はよくない」と言及しながら、ランスロットとギネヴィアの不義の恋について言及することはなかった。が、言及しないことがある意味で「答え」だったと。

ビーストという試練

 コヤンスカヤのスキル「殺戮技巧(人)」には次のような文章がある。

 人類悪とは人類を滅ぼす悪にあらず。人類が滅ぼす悪業。他ならぬ自分たちの手で乗り越えなければならない業であると。ビーストとはある意味では人類に対する試練なのだろう。問題はなぜこの時期にビーストが出現するのかということだが、それは「FGO」の舞台となった年代が「魔術が成立した最後の時代」、つまり人間の時代の末期だからではなかろうか(どうして魔術の終わりが人間の時代の終わりなのかは別の機会にて語るとして)。
 人間の時代の終わりだからこそ、その終わりがどういう形を迎えるのかは解釈を挟む余地がある。進化の行き止まりで衰退して終わりを迎えるかもしれない。異種族との交戦の末に滅びるかもしれない。末世だからこそあらゆる終わりが許容されるタイミング。ビーストとはその終わりをどういう形に導くか人類を試すための試練の一種だと考える。
 ビーストの「その時代の人類では太刀打ちできない」という性質も試練だと考えれば納得が出来る。つまり、その時代の人類に太刀打ち出来ない相手を打倒出来たのなら、それは人類の進化・進歩に他ならない。人類自身が新たな霊長に進化してこれを打倒したのかもしれない。あるいは人類が人類を超える新たな霊長を生み出しこれを打倒したのかもしれない。どちらにしてもそれは「人間の時代の終わり」だ。何故なら既存種の進化だろうが、まったく異なる種だろうが人間が時代遅れとなったことに違いはないのだから。極論だが、ビーストが勝利してもそれは一つの結末としては許容されるだろう。ビーストとは人間が生み出した悪業そのもの。その悪業が人類を超えて新たな支配者として君臨するなら、それは人類が新たな霊長を生み出したことに違いはないのだから。
 これらはやはり人間の時代の終わりだからこそ成立する理屈なのだろう。フランシス・ドレイクらが持つスキル『星の開拓者』には次のような説明がある。

 文明がまだ未熟だった頃であれば、これらの難題は人が人のまま人の力のみで乗り越えるべきだったのだろう。だが、これは文字通り星を開拓することに重点を置いた理屈だ。人間の時代の終わりとは星の開拓の終わり。この星で生まれた知性体たちの幼年期の終わり。星の開拓が終われば次は宙を開拓する時代へと移り変わるべきだ。故にこの星に生まれた知性体たちが次の段階に進むために課されたビーストという試練に対しては、従来の理屈では太刀打ち出来ないのではないだろうか。

ビーストⅣ:Lと■■■■

 ビーストⅣ:Lことコヤンスカヤは最終的に七つの人類悪にならず、カルデアに敗北することもなく、異星の神による人理の異常が解決されしだい宙(ソラ)へ向けて旅立つという顛末を迎えた。
 確かに彼女はカルデアには打倒されなかった。だが、見方を変えれば彼女はカルデアと戦う前に既に打倒されており、ツングースカの一件は敗戦処理みたいなものだったと考えることが出来る。

 オベロンに利用され、結果として妖精國の終焉を早めてしまったムリアン。真実に気付いた時点で時すでに遅し。黒幕たるオベロンの手で致命傷を与えられながらも、その最期に彼女は個人の復讐心ではなく、美しい思い出を守ることを選びとったのだ。それはコヤンスカヤにとって衝撃的であった。ムリアンを同胞と捉えていたコヤンスカヤは彼女の最期の言葉は黒幕への復讐の懇願だと確信していたからだ。その結果、コヤンスカヤは素晴らしい友の願いに応えるためにカルデアを守る道を選ぶことになるのであった。それが彼女自身のビーストとしての信念に反する道であると誰よりも理解しながらも。
 
 かつてのビーストⅣ候補だったプライミッツ・マーダーが美しい光景に心打たれ、打倒されたように。同じくビーストⅣ候補であったコヤンスカヤもまた美しい願いに既に打倒されていたのかもしれない。

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