【感想】FGO関連Ⅱ(サバフェス2023)
サーヴァント・サマー・フェスティバル2023!(前編)
真性の妖精
今回の夏イベントでは妖精國出身のキャラクターが多く登場したためか、妖精関係の設定についていくつか開示されている。せっかくの機会なのでこの場で過去作品からの設定の変化や追加について合わせてまとめてみようと思う。
型月伝奇作品において最初に妖精の存在について言及されたのは「空の境界」の第六章「忘却録音」である。と言っても作中で登場する妖精はあくまで魔術師が使い魔として成立させたモノ。森に棲むとされる一般的な妖精のイメージにカタチを取れない下級の霊を憑依させて妖精へと偽造したモノに過ぎない。偽物の妖精であるが、妖精の殻を被ったそれは元になった妖精の能力の一部を行使出来る。このような人間の持つ妖精のイメージを利用した偽物、人間のイメージを外殻として生まれる妖精だけでなく、幻想種など生物の系統樹に連なる妖精も存在する。小鬼(ゴブリン)、赤帽子(レッドキャップ)などはそういう生物的な真っ当な身体構造を持つ妖精の分類である。これらを幻想種の分類に当てはめるなら、前者などのような人間の想像図を利用した霊的存在に近い妖精は『御霊』、後者の生物として実在する妖精は『霊獣』に該当すると推測される。
本物の妖精とは一種の自然霊。自然の触覚として捉えられる概念であり、人間には知覚出来ない存在。その妖精の存在規模が人間に知覚出来るようになると精霊として扱われる。妖精に似せた使い魔程度なら使役難易度は高くないが、本物の妖精を使い魔とするのは難しい。未熟な術者が使役した場合、いつの間にか主従関係が逆転していることも珍しくもない。故に、妖精を使い魔とする魔術師は少ない。仮にいたとしたらそれは一流の魔術師ぐらいだろう。
西暦の開始と共に『神代』は完全に終わりを迎えた。西暦500年にブリテン島から真エーテルが消失した段階で『妖精の時代』も終わりを迎えた。人間の時代の開始に前後して妖精たちは地上の法則の変化を察知し、それを受け入れ、地上を人間に譲り渡した。地上を去った妖精たちは霊体となって世界の裏側……『星の内海』(妖精郷)と呼ばれる場所に移住したとされる。妖精が地上を去って久しいが、土地による影響なのか未だにブリテン島周辺では妖精に関連する神秘的な出来事、例えばチェンジリングなどが記録されている。
妖精・精霊はその基盤は魔術でもなし得ない神秘である。故にか、妖精に拐かされたモノ、妖精に祝福されたモノ(呪われたモノ)は現代の常識(テクスチャー)に戻ってこれず、時に魔術でも再現出来ない神秘、特権を取得することがある。このような妖精の被害者の代表例として「空の境界」の玄霧皐月、「ロード・エルメロイII世の事件簿」のドクター・ハートレスが該当する。前者、玄霧皐月はアトラス院に席を置いた魔術師だ。彼は妖精から受けた呪いによって、万物と語り得る『統一言語』を学習した。後者、ドクター・ハートレスはかつて時計塔の現代魔術科の学部長を務めていた魔術師である。妖精から受けた呪いによって彼には心臓が存在しない。本来なら心臓が位置している場所には虚数魔術で扱うような異空間が保持されており、彼はこの特性を利用して虚数ポケットに似たような物品の保管や転移等の神秘を可能としていた。
以上が「空の境界」から「ロード・エルメロイII世の事件簿」までに開示された妖精に関係する主な情報だ。主に妖精は世界観の設定として存在する程度の扱いだったが、「Fate/Grand Order」の第二部第六章を境にその情報量は一気に増え、物語の主題として扱われるようになった。
「FGO」の第二部第六章の舞台となった妖精國ブリテンはその成立から汎人類史と比べて妖精の生態も独自の要素が強い。だがある程度は汎人類史の魔術世界での分類と共通している。まず妖精には純正とそうではないの概念が明らかになった。
妖精は先に挙げた古い設定でもそうであるようにその種類は多岐に渡る。神の格から落ちた妖精。人間や動物の怨念、あるいは魂の削り滓等が集まって生まれる妖精。行き場のない想念が人間の噂話を殻にして新生して生まれる妖精。これらも妖精ではあるが純正の妖精ではない。純正の妖精とは人間社会や文明の無関係に「星の内海」に発生するモノ。これを魔術世界では「大父」あるいは「大母」と分類する。地球の魂の分霊のような存在であり、存在規模としては自然が擬人化された神と同程度。しかし、神と異なって人間に法を敷くことはない。「大父」、「大母」は純粋な超存在であり、これが何かの間違い、あるいは何らかの使命を帯びて表層に派遣されたモノを妖精國ブリテンでは「亜鈴」と独自に定義している。ダ・ヴィンチはこれを汎人類史における「精霊」「真祖」に該当するのではないかと推測している。実際に精霊種の一種である真祖の王族たるアルクェイドは「亜鈴」ならぬ「亜麗真種」なるカテゴリーに属するらしい。汎人類史における湖の乙女らはこの「大母」に属する妖精であり、妖精と人間のハイブリッドである汎人類史のモルガンもこの「大母」の権能を継承している。
妖精國ブリテンでの亜鈴は「大父」や「大母」クラスの妖精が自分の意思を持ってしまったものだとされる。これによって彼らは自らの真理、妖精としての本質によって世界を作り替えてしまう特性、「妖精領域」と呼ばれる大神秘を扱うことが出来る。
妖精國ブリテンで登場した妖精たちは強大な力を持っていたが、汎人類史にかつて存在していた純正の妖精の力も決して侮れるものではない。本イベントで言及された通り、純正の妖精の神秘としての格付けでは幻想種の頂点である竜種と同格とされる。妖精は精霊と同じく地球の分霊であるため、地球を害するあらゆる要因を駆逐しえる性能を持つ。「FGO」第二部第三章で強烈な登場をした真祖に近い精霊である虞美人でも妖精・精霊としては平均レベルであるとされる。
このように上位の妖精や精霊は神や神霊とも比肩する超存在だ。特に危険度でいえば時計塔の霊墓アルビオンの下層に位置する妖精域やその先に通じる土地(星の内海?)は神代よりも危険な土地として時計塔では扱われている。
神話で語られる多くの神は、原初地球が安定し、生命が住まう世界となった後で国造りを始めるとされる。だが、メソポタミアの神々の一柱であるエア神はその前の原始地球の環境を安定化させた『星造り』の力が擬神化されたモノとされる。そのためか、その名を冠する英雄王の無銘の剣も『星造り』の力の一端を担うことで、数ある宝具の中でも頂点の一つとして位置している。つまり、エア神等の少数を除いて多くの神や神霊が扱う権能は、地球環境が安定化した後の力(神秘)であり、妖精や精霊の一部はそれ以前の原初地球の力を神秘として有するため、彼らが住まう「星の内海」は神が支配する神代よりも危険な土地として扱われているのかもしれない。
茨木童子が信じる『嘘』
アルキャス曰く、茨木童子は「仮初めの嘘を、本当の嘘と信じてしまうくらいに」素直な心の持ち主であると言及されている。当の茨木童子にとっても何のことかは分からないであろうが、これは彼女が鬼としてどうやって成立したのかが関わってくるのではないかと考えられる。
茨木の出生等に言及する前に型月伝奇作品における「鬼」とは何かについてまずは整理していこうと思う。
古くは同人版「月姫」の頃から鬼は型月伝奇作品で扱われていた。特に同人版「月姫」の裏側、いわゆる遠野家ルートでは鬼の設定は重要な要素を担っている。同人版「月姫」の時点の型月伝奇世界において鬼種は先天的な鬼と後天的な鬼の二種類に分けることができた。前者は生命の系統樹から人間と異なるモノ。後者は力ある者たちが土蜘蛛などと扱われ、当時の朝廷から追われて人の世から隠れ住むようになって、生物的に人間から外れてしまったモノである。同人版「月姫」に登場する遠野家は前者の血が混ざっている『混血』の家系である。これらの設定は「FGO」以降より細分化されることになった。
「FGO」の世界観において鬼は「超常の鬼」、「化外の鬼」、「物語の鬼」の三種類に分けられる。超常の鬼はヒトの範疇を遥かに超えた力を持つ異形とその血族。化外の鬼はまつろわぬもの、化外の民とその血族。物語の鬼は決して人には鎮めることができない、世への恨みがカタチとなったモノ。超常の鬼と物語の鬼は同人版「月姫」での先天的な鬼をより細分化したモノだと考えられる。先天的な鬼の中でも生物の鬼は「超常の鬼」、物語から発生したため生物というよりも霊体に近い鬼は「物語の鬼」ということだろうか。幻想種の区分に当てはめるなら、超常の鬼は『霊獣』であり、物語の鬼は『御霊』に分類されるのかもしれない。そして後天的な鬼、人から鬼になったタイプは改めて「化外の鬼」と定義付けされたのだろう。最初から鬼として生まれたモノ、鬼と変貌したモノのどちらであっても純血種、つまりは自然の触覚である。これらの血を引く混血の家系も当然のように自然の触覚としての役割を継承しているため、本来なら個人では不可能な域の「自然干渉・自然接触」に類する異能を発現可能である。
以上が型月伝奇世界での鬼の扱いである。酒呑童子や茨木童子は生物としての鬼、つまりは『超常の鬼』に分類される。だが、「FGO」において彼女はたびたび「元々は人間だった」ことが言及されている。
元々が人間ならば「化外の鬼」の方が分類として正しく、「超常の鬼」という分類は異なるのでは、と思うかもしれない。だが、これは茨木がどうやって「鬼になった」かが関わってくるのだと推測される。
茨木童子の母は高貴な血を引くモノとされる。この母が「FGO」第二部5.5章で語られた渡辺綱の言う「あの御方」(貴人の娘)が同一人物であるなら、この高貴な血とは貴人、貴族を意味するのではなく、人ではない血を指したものではないだろうか。同人版「月姫」において遠野家は本家以外にいくつか分家が存在する。中には混血としての血の濃さでは遠野家を上回る家系もあるが、それでも遠野家は尊い血をもっとも受け継いだ家系であるため一族の宗主として君臨している。つまり茨木の母もそういう意味での「貴い血」、古き純血種の血が流れており、娘である茨木童子にもその血が流れていたのではないだろうか。
「混血」は人を超える力を持つが、完全に目覚めてしまうとその価値観は『反転』し、ヒトに戻れなくなる。この状態を遠野家を主座とする一族は「紅赤朱」と呼び、他の混血の一族では「先祖還り」と呼ぶ。こうなったモノは人間ではなく完全な鬼、「魔」として扱われる。後天的に鬼になったという意味では「化外の鬼」と同じだが、こちらがあくまで迫害や環境等の外的要因でヒトから外れてしまったモノであるのに対して、紅赤朱や先祖還りは内的要因、その血に起因する変生である。なので紅赤朱や先祖還りを先に挙げた鬼種の三分類に分類するのなら、それはその血に宿る魔が「超常の鬼」なのか「化外の鬼」なのかに左右されるのではなかろうか。
茨木の母親筋にも自覚していたのかどうかは不明だが、ヒトではないモノの血が流れていた。安倍晴明の結界が張られた平安京にそんな血を引く家系が堂々と存在出来たのかについては、退魔と魔の関係で説明出来るだろう。古く、退魔とは人が人を守るために練り上げられた法術系統とされる(法術については「FGO」のスカンジナビア・ペペロンチーノ、「ロード・エルメロイII世の冒険」の夜刧を参照)。完全に魔に落ちた相手ならともかく、人としての側面を残すモノに対してはその力を十全に発揮できない弱みがある。晴明の結界もそれに類するものであるため、完全な鬼ではないただの混血程度には効果が発揮しなかったのではないだろうか(そもそも結界とは境界線にこそ効果があるため、平安京の内と外を移動さえしなければ効果はないのだろうが)。
茨木、いや、鬼になる前の人間の少女にもまた貴き純血種の血が流れていた。それが覚醒し、鬼として生まれ変わったモノが後の茨木童子なのではないだろうか。だが、その場合疑問が残る。同人版「月姫」等で描かれた通り、混血が紅赤朱へと転じた場合、その価値観は崩壊する、いや反転する。価値観が反転したモノはタブーとして禁じ、律していた事を平然と行い、理性的に生きることが困難となる。だが、茨木童子は鬼としては珍しいほど真面目だ。言動こそ粗野な点も目立つが、その在り方は委員長といっても過言ではない。茨木が人間が反転して成った鬼であるならどうして彼女は理性的に生きれているのか……それこそが彼女が「仮初めの嘘を本当の嘘」と信じることに起因しているのではないだろうか。
茨木は幼少時に「母鬼」から厳しく躾けられ、鬼としての矜持を学んだとされる。それは第三者から見れば愛による躾けではなく、迫害に近いものだったらしい……だが、この母の躾けこそが今の茨木童子の精神性を形作ったのではないだろうか。茨木の「鬼とはこうあるべき」という矜持は、実際のところ鬼としては少々浮いてるようにみえる。つまり母の「鬼としての矜持」こそ嘘。その嘘を本当の鬼になった茨木童子が自身の存在の指針とし、「鬼とはこうあるべき」と本当に信じていることを指してアルトリア・キャスターは「仮初めの嘘を、本当の嘘を信じてしまうくらいに」と述べているのではないだろうか。
どうして母親は茨木にそのような嘘を教えたのか。それは反転衝動の性質を利用するためではないだろうか。反転衝動とは性格、価値観の裏返り。それらが裏返ったモノは人としての道徳や倫理観、物事の優先度という天秤が真逆になってしまう。では、最初からそれらの天秤が人寄りではなかったら? 最初から鬼に近い価値観、倫理観こそが「正しい」と教えられた人間の子供がいたとしたらどうなる? もちろんそのように教えられても人間の子供は人間だ。そうあるべき、と教えられても人としての肉体を持つそれは、そのような仮初の嘘を心の底から納得することは出来ない。だが、人格形成、知性の方向性をある程度誘導することは出来るだろう。その結果、反転した人間の子供は鬼としての性質の中に僅かながら人間の理性を残すことになった。狂気的な存在がさらに狂気を与えられたことで、逆に理性を持つように、鬼としての価値観を教えられた人間は反転を経て、人間的な理性を根底に持つ鬼と生まれ変わったと……
はたして「あの御方」は茨木を愛していたのだろうか。渡辺綱が「あの御方」の屋敷で見た惨劇は本当に「彼女」によるものなのだろうか。「あの御方」は本当に『誰か』に喉を破られて亡くなっていたのだろうか。そもそも、あそこにいた美しい子鬼はただの一人も……
妖精眼でも見えないモノ
妖精眼を持つものは否応なく物事の真偽、善悪を見抜くことが出来る。特にアルトリア・キャスターなどの高位の妖精が持つ妖精眼は、あらゆる嘘を見抜き、真実を映す眼と言われている。善悪が等価な生き物にとって意味のない異能だが、善悪な区分がある生き物はその視界に苦しむことになる。その異能を以てしてもワルキューレの感情は非常に見えにくい。これは彼女たちの来歴と関係していると考えられる。
ワルキューレは北欧神話の最高存在たる大神オーディンによって鋳造された存在だ。きたるラグナロクに備えて造られた彼女たちは、ヴァルハラに勇者の魂を導く自動装置として機能する。ワルキューレはそれぞれ個体名を持つが、感情を得て零落したブリュンヒルデを除いて、彼女たちに本質的な差異はないと語る……本質的に差異はないと語る。では、彼女たちの感情が妖精眼で見えにくいのは元々がそういう自動装置のような存在だからだろうか? もちろんそれも一因かもしれない。だが、本質的な原因は別にあると考えられる。
先に述べた通り、ワルキューレはオーディンによって鋳造された存在だ。だが、その存在の原型は別にある。オーディンは『巨いなる何かの欠片』を利用してワルキューレを生み出した。その『巨いなる何かの欠片』とはつまり紀元前12000年の「大破壊」を引き起こしたセファールであることが示唆されている。つまりセファール(アルテラ)という外宇宙の神性にも等しい存在が原型、あるいは鋳型としてワルキューレは生み出されたのだ。
地球にある程度帰化しているのだろうが、それでも元が外宇宙の存在だ。妖精眼が視る善悪(感情)はあくまでこの星の基準に従った知性構造に焦点を定めたものだろう。宇宙が違うとは法則も知性構造も異なることに等しいと言える。かつて「冥界のメリークリスマス」にて自称「羊のお兄さん」がアルテラではないアルテラが望んだ夢を「宇宙(きかく)が違う」から口に合わないと述べたように、そのアルテラから派生したワルキューレたちの感情も規格が違うため、妖精眼でも視えにくいのかもしれない(今はまだ)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?