「タイトル詐欺」深夜の真剣レポート60分一本勝負”今週の学び”

特に何も学んでいない……と書くだけでもいいのだが、それだと余りにも味気なさすぎるので頑張って脳みその中からひねり出そうと思います。

まず今週やったことを整理すると、バイトをして、卒論を書き、映画を見て、ゼミに行き、学術書を読んだ。うーん、まぁゼミと学術書の話をしようと思います。

「ロシアという名の袋小路」

木曜日は、私が所属しているゼミ、正式名称を「政治外交史演習」というゼミが開講されています。このゼミは学内でも少々珍妙なゼミとして知られており、例えば色んなゲストがやってくることなんかはその代表的な例でしょう。アメリカ第5空軍副司令官、駐日ドイツ大使、自衛隊地方協力本部長等々の豪華ゲストを我々ゼミ生はお迎えしていたわけですが、今週もそんなゲストの方が、テレビカメラと(!?)ともにやってきました。

ロシアを愛するがゆえに、ロシアに今は帰らない

カメラを担いで現れた客人は、アメリカのメディア関係者だそう。しかもただのメディア関係者ではなく、ロシアからモンテネグロへと亡命した反政権派ロシア人だというのだからびっくりです。ウクライナ侵攻に反対したことをきっかけにFSB(ロシアの秘密警察機関)にマークされ、家族全員を置いたままロシアの地を離れたそうです。

その日のゼミは、その方との対話に丸々1コマを使いました。ソ連時代のような「強きロシア」を望む懐古主義の蔓延、監視体制を強化していくロシア内務省、亡命中であっても影のように付きまとい全ての行動を把握しているFSB……彼の口から語られるロシアは、事前に知識として得ていたそれとそこまで違わぬものでしたが、それを経験した人から発せられているというだけで、言葉の重みというものがこうも違うのかと実感したことを覚えています。

「ロシアのことは愛している。あの国で生まれてよかったと胸を張って言える。だからこそ、あの国に今帰るわけにはいかない」と言っていた時の顔がとても苦しそうでした。

「誰もいないんだ」

彼の話が一通り終わり、私たちから質問を投げかける時間になりました。私はロシアに対してずっと疑問に思っていたことを、思い切って聞いてみることにしました。「プーチンが率いる統一ロシアは論じるに値しないとしても、ロシアの主要野党は共産主義を掲げる共産党や極右民族主義に傾倒した自由民主党といった政党しか事実上残っていない。反政権派の象徴であるナワリヌイも、ロシア民族主義を掲げている。誰がロシア民主主義の旗手たり得るのか」と、私が拙い英語で聞くと、彼は昏い顔で暫し黙りこくった後に、一言だけ返しました。「誰もいないんだ」、と。

彼らのように亡命している人間の中には、民主主義を切望し、今のロシアを変えたい人間は多くいる。但し、それを領導し得るシンボルは存在しない。シンボルとなり得る存在は、全て檻の中かあの世にしかいないと告げられたとき、私たちはどう返せばいいのかわかりませんでした。

学び

終わらせ方に窮したので、まとめみたいな項目を作ってしまいました。この対話を通じて、私は何かを学んだ、と言うよりも現実を叩きつけられました。「こうすれば」「ああすれば」と私たちは親切心から他人の家の出来事に口を突っ込んでしましますが、前提として私たちの家と他人の家は全く違う物であり、曲がりなりにも自由と民主主義が機能しているこの家から、ロシアという家について何かを言うことは、実はとんでもなく難しいことなのではないか、というのが学びなのかもしれません。

「同盟の起源」

次は人と人の仲が良くなることである同盟の話をしようと思います。タイトルもそのままズバリ「同盟の起源」、国際政治における大家スティーブン・ウォルトが記した歴史的名著を読んだのでその話をしましょう。流石に全てを書くにはあまりにも時間が短いため、ここでは概要と、同盟を形成する二つの動機について書こうと思います。

同盟とは何か?

アナーキー、すなわち中央政府が存在せず各々のプレイヤーの行動が制約されない社会において、孤独でいるというのは「私は獲物です」と自ら宣誓しているようなものです。どこかの日の沈まない国は、己が持つ強大な力に自覚的であったが故に「世界の調律者」を気取ってそう宣誓したものですが……

ともかく。多くのプレイヤーは自らが滅亡の憂き目に遭わないために群れを成します。この群れのことを「同盟」と呼び、歴史上星の数ほどの同盟が結成され、そして破棄され、反故にされ、戦争の動機となってきたことは言うまでもありません。

同盟は、大きく分けて二つの動機によって形成されると一般的に信じられています。一つ目は「勢力均衡」、すなわち特定の勢力がヘゲモニーを掌握することを防止し、同程度の勢力を形成することでその勢力の更なる増大を防止するという考え方です。二つ目は「バンドワゴニング」、すなわちある勢力がヘゲモニーを形成している際に、その勢力による侵略を防止するために勢力に組み込まれることで侵略を防止するという考え方です。この二つの考え方は、どちらも世界史に名高い先例を多く伴って、国際政治学者の間で激論が交わされてきました。

勢力均衡

例えば、勢力均衡の最もたる例は第一次世界大戦前の欧州大陸だというのは疑いようもない定説となっています。ドイツ・オーストリアを中心とする中央同盟国に対抗するために、フランスはロシアとイギリスを巻き込み三国協商を形成し、この二軸を以てして均衡を保とうとしました。これ以外にも、例えば19世紀のイギリスが大陸欧州における紛争に際して殆どの場合劣勢側で介入し、パワーの均衡を図ったことも、偉大な先例に数えられるでしょう。

勢力均衡による同盟を形成する動機は多くありますが、殆どの場合は「特定の強大な脅威に直面し、同様の状況を共有する国家が複数存在する」、あるいは「特定の国家が極めて高い攻撃性を持ち、それを実現する能力を保持した」際に形成されやすいとされています。そして一般的に、勢力均衡によって形成された同盟は、その脅威が消滅した際に自然消滅しますが、一方で脅威が消滅するまでの結束は強固なものになります。

バンドワゴニング

バンドワゴニングの偉大な先例は、第二次世界大戦の南東欧諸国でしょう。ドイツという強大な国家に直面した南東欧諸国の少なくない数は、そのヘゲモニーを受け入れ、その国内に抱える諸問題の結果として軍門に下りました。脅威に直面した国家は、特に周辺から孤立している際に、脅威に対して迎合することでその身の担保を図ろうとします。

一方で、バンドワゴニングによる同盟はしばしば脆弱性を孕んでいます。一度ドイツの軍門に下ったブルガリアやルーマニアが、バグラチオン作戦によるソ連軍の反攻を見てドイツを裏切ったように、バンドワゴニングにおける同盟は"バンドワゴン"となり得る脅威の強大さに依存しており、しばしば国家の強大さというものは移ろうものであるからです。

おわりに

60分という制約があったので、かなり適当に書いてしまった部分は否めないです。もし機会があれば、本格的に改稿する、かもしれません。

それでは。


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