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受け取る側の重要性について。

とにかく、人は傷つきやすい。
誰かの言葉や表現を、目にしたり耳にしたりして受け取った時、発した側の意思とは関わらず、受け取った側は傷ついたりする。
発した側は1人。でも受け取る人は複数というかものすごい数…となったら、受け取る人の環境や性格次第で幾通りもの解釈をされ得る。これって発する側からしたらリスク凄いし、私だったら「発言するのやめとこ」って思っちゃう。誰かを傷つける可能性は、いつでもある。意図してなくても。

私は鈍感なのか、「結構ひどいこと言うね」とか言われることがあっても、「えっこれひどいのか!ごめん」みたいなことあって、自分の嫌と人の嫌って違うんだなって事がある。「自分がされて嫌なことは人にしない。」って思ってきたけど、自分の嫌と人の嫌は違う。そういう違いは自分ではどうにもできない気がして、へこむ。

でも自分が受け取る側の時は、「そういう考えもあるのか」と受け取ろうとすれば受け取れることも、まあある。受け取る側の方が自由。
どんな素晴らしい品物も、芸術も、それを素晴らしいと受け取ってくれる人がいなければその価値は無いも同然。
発信者のカリスマ性みたいの注目されがちだけど、実は受信者のが重要なんじゃ無いかと思う。
「あー自分と人は違うんだな」って言う、まあ曖昧なんだけど、許容力というのか。そう考えると、自分や世界はもっと穏やかで、生きやすくなるような、そんな気が、する。

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