4. 恋愛悩

 前回の投稿から大分時間が経ちました。お久しぶりです。
 今回はテーマをガラリと変えて、恋愛?について書きました。半年ほど前に恋愛漫画を読んで、感じたことをメモ帳に書いたのですが、書いてスッキリしたので消しました。それを、今回恋愛小説を読み始めて、思い出したので、せっかくなら形に残そうと書きました。
 独白半分、彼女を欲する気持ちの根っこの部分を考えました。

「好き」について

すき【好き】

[名・形動]
1 心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。「好きな人」「好きな道に進む」⇔嫌い。
2 片寄ってそのことを好むさま。物好き。また、特に、好色。色好み。「幹事を買って出るなんて、君も好きだねえ」「好き者」
3 自分の思うままに振る舞うこと。また、そのさま。「好きなだけ遊ぶ」「どうとも好きにしなさい」
https://kotobank.jp/word/好き-540943

 今思えば、私は誰も本当に「好き」になったことはないのかもしれない。
 大学以降はそもそも異性との交流がなかったので兎も角。
 中学時代では、それなりに交流があり、思春期ということもあり、「好き」な人もいた。
 高校時代では、ほんの僅かな時間ではあったが、彼女がいたこともあった。
 しかし、いずれにしても彼女らの外側だけを全てだと思い込み、中身を知ろうとせず、彼女らの本質・性質について理解せず、手前勝手に「好き」と思い込んでいただけであり、「好き」とは全く異なるものである。よく「好き」と言えたもだ。

「寂しい」について

さびし・い【寂しい/×淋しい】

[形][文]さび・し[シク]《「さぶし」の音変化で、動詞「寂さびる」に対応する形容詞》
1 心が満たされず、物足りない気持ちである。さみしい。「―・い顔つき」「懐が―・い(=所持金が少ない)」「口が―・い」
2 仲間や相手になる人がいなくて心細い。「一人―・く暮らす」
3 人の気配がなくて、ひっそりとしている。さみしい。「―・い夜道」
https://kotobank.jp/word/寂しい-511690

 最近、同級生が結婚する話をちらほら聞くようになり、友人もあちらこちらで彼女を作ったりと活気ついている。20代半ばとなれば当たり前かもしれない。
 しかし、それらを目にして、自分は何もないことに気がついた。おかしいのだ。


 なぜ、恋人が居るのだろうか。
 どこから、恋人が欲しいという気持ちが湧いてくるのだろうか。

 自分の心は何か欠陥しているのではないか、もしくは、忘れてしまったのではないかと思い至った。この時の気分はなんとも言い難い。今まで大事に、大切にしてきて、当たり前にあった宝物を無くしてしまったような気分だった。

 彼女を作ろうと努めている友人に聞くと、「寂しい」から彼女を作ると言っていた。
 さて、「寂しい」とはどのような感情であっただろうか。
 私は最近この感情を味わったことがあるため、理解できる。以前の記事でも言及したが、数年前、上京した時に初めて孤独を味わい、それが「寂しい」という感情であった。20年近く家族で生活してきて、急に1人になり、寂しく思うのは自明である。
 しかし、彼は日常生活の中で「寂しい」と言ったのだ。無論、彼だけに限った話ではないだろう。数少ない友人の中にもチラホラ寂しがりの人はいるので、その方がメジャーなのかもしれない。彼らは、恋愛映画やドラマ見たり、外出先で恋人同士が遊んでいるのを目撃し、寂しさを感じたのかもしれない。

 自分はどうであろうか。私自身も時々、恋愛映画やドラマ、恋愛小説を見たり読むことはある。そして、私も少なからず影響を受けることは否定しない。今現在のようにこの記事を書いているのは現在読んでいる「蜂蜜製造機弍号」の影響であるし、理想的なシーンがあったなら、もし彼女ができたら真似しようとも思うが、やはりそこ止まりなのだ。
 恋愛の物語に触れても、それは物語であり、理想は理想であって現実ではないし、街の恋人を見ても他人である。

 また、彼は充実した日常を送っていると「寂しさ」は感じないとも言っていた。これは、彼だけではなく、別の友人からも同じことを聞いた。

 彼の言う通り、私は満足した日常生活を送っている。貯まらぬ金と通勤時間以外では不満がないことは確かである。友人から冗談で「ゲームをなくせば不満になり、彼女が欲しくなるのでは」と言われたが、ゲームがなくなれば暇になるだけであり、暇になれば別の趣味を見つけるだけである。このとき、暇と寂しさを履き違えるところであった。暇は時間を持て余しているだけであって、空虚なだけである。寂しさはもっと感情的なものである。

 書きながら、読み返して思い当たる。
 寂しさは大切なものと別離になった時に味わうものではないだろうか。いつも通り生活していては味わうことなどない。

そうか。謎は解けた。

彼女が欲しいとは

 おそらく、彼女が欲しいと思う根源は、「寂しさ」が由来するものである。そして、それを若い時から感じることをできるのは、過去に真剣に付き合ったことがある人だけである。その時の特別な関係が、1人の時に、恋愛映画・ドラマを見たり、街中のカップルをみて、またあの特別な関係を誰かと…と「寂しい」という欲求に繋がるのではないだろうか。そして、出会いと別れを繰り返して、最も良い人と結婚するのであろう。
 つまり、恋愛をまともにしてこなかった人間は感じることのできない特別な感情といえる。

将来の不安

 人間の心は時間と共に、人と共に、移り、写り変わるものである。
 私は今、このような感じであるが、将来は分からない。それが私にとって一番の悩みである。
 中年になり、結婚の願望が芽生えてくるかもしれない。それが怖いのだ。
 友人や同級生ほ家庭を見て、それが欲しいと思ってしまったら。その時は、すでに手遅れである。
 だからといって、経験値を貯めるために、今現在、必要を感じない恋愛をする気にもなれない。大きな労力を要するからである。


 将来、中年になって結婚願望が芽生えないことを、芽生えるならできるだけ早いことを祈る。

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