なまいき丸集会のかんそう“いないのにいるふしぎ”

なまいき丸集会から一夜明け、親愛なるとめラーの皆様におかれましては、いかがおすごしでしょうか?私はげんきです。たぶん、とめるはげんきじゃない。

というわけで、なまいき丸集会から一夜明けてイベントで感じたことが風化する前にメモ書きでもしておこうと思い筆を取りました。もし、この記事を見て少しでも興味を持った方がおられましたら、SPWNでアーカイブチケット買ってみてください(ダイマ)

冗談はさておき、今回のなまいき丸集会は期待にそぐわず波乱含みでした。突如始まるリハーサル盗聴スペース、当日になって明かされる無料音声配信スペースの存在、物販の存在感を消し去るクソデカフラスタ群、突如表示される素材フォルダ…といきつく暇なく参加者を楽しませてくれました。しかし、この海のリハクの目をもってしても見抜けなかったことがあります。“息根とめる降板”。これを予想できた方は読者諸氏の中にもいなかったのではないでしょうか。

びっくりした。残念だった。金返s(省略されました)など抱いた感想は人それぞれでしょうが、悪いことばかりじゃなかったよという話をしてみようかと思います。とめる出てないならアーカイブチケット買うのやめよっかなーと思ってる方もなまいき丸推しならもったいないですよ。と説得にかかるというわけでございます。

1.なまいき丸集会第二部のここがすごい“荒れない”
降板の経緯はアーカイブみればわかるので省くとして、私がすばらしいと思ったのは信者集の動じなさです。第二部開始前、とっさんの降板はまだ知らされていませんでしたが、休憩時間中にピアノの撤去がはじまりました。第一部でとっさんが「体調不良でリハを休んだ」「急に気分が悪くなっていた」とこぼしてから休憩に入ったので察しのいいガキは「ああ、とめる終わったな…」と気付いたことでしょう。

しかし、驚くなかれ、開場の信徒は
「まったく動じていないのである」

内心は推しが心配だったであろうに、「あーはいはい、いつもの事ね」という感じでスマホいじってるオタクに光を見ました。(あるいは本当にどっちでもいいと思っていた可能性も無ではない)

ブーイングもないし、ものも飛ばないってすごくない?(ハードルが低い)

2.なまいき丸集会第二部のここがすごい“いないのにいる”

というわけで、小城夜氏の「とめるゲロゲロで第二部不参加」のアナウンスから第二部は始まりました。(なお、このアナウンスでも開場はざわつきすらしなかった。第二部開演十分前のカウントダウンがいきなり2分に減らされたときの方がどよめいていた)

これは私がフォローしているとめラーの言葉をかりているのですが“とめるがいないのにとめるの存在が感じられる”のが第二部以降の特色でした。いや、むしろ、いないからこそ、より色濃くその影響を感ぜられたのかもしれません。

唐突なとめる不在にも動じず司会進行をこなすなまほしちゃんになまほしちゃんの中のとっさんを感じました。内心はわかりませんが、聡い人ですからとっさんならこんなハプニングくらい起こすことも織り込み済みだったのかも知れません。

一方で唐突なとめるの不在に不安な心情を吐露してしまう寧々丸教祖には、寧々丸教祖の中でのとっさんの存在の大きさを感じました。不幸な事情から個人勢にならざるをえなくなり、一人で懸命に活動を続けていた気丈な寧々丸教祖からそんな言葉がでると予想していなかった人もいるのではないでしょうか。

そして、パブリック面談ではいまここにいないとっさんの希望にそって年収順に参加者を並べ替えるという気遣いには涙を禁じ得ませんでした。あと、世田谷区の経験人数30人の方は小城夜氏イチオシといってたので開場全員わかってんなコイツという気持ちになったような気がします。

というわけで、とめるがいなかったのは残念でしたが、逆になまいき丸というグループにおける“とめる”の立ち位置や存在感を感じられたという意味で他にはないおもしろさがありました。気になった人はアーカイブをみよう。おわり。

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