責任

Fさんの「20代で得た知見」を手帳に写経して、心の針が真ん中に戻りつつある。大事なのは自分の価値観と選択であり、他のやつには邪魔させない。『エロいから』という理由で資格をとってもいいし、『面白いから』という理由で退学して良い。もう、何しても良い。自由だ。

公認心理師の資格を取るために大学を変えて、3年目になる。今になって、この大学では資格を取るのが厳しいかもと現実が見えてきて、あと2年ほど在籍して挑戦するか、もう来年度心理系の公務員になって資格なしで働き始めるか、2つの選択肢がある。いや、3つ目は、全て投げ出して実家に帰る。4つ目は、結婚して適当に就職して子ども産んでめでたしめでたし。

自分の人生で「子を生むリミット」を意識して選択をする時が来るなど思ってなかった。私には関係のない話だった。
もし資格を諦め、来年度から公務員になるなら、3年目くらいで子を産んでいいだろうから(なんとなく)、その時私は27才。出来るだけ健康で若い卵子で子の体を作ってあげたい。だから、早く作りたい。でも、仕事もしたい。もしあのとき病んでなかったら、引きこもってなかったら、と過去の自分を攻める方向にいきがちだが、終わったことは仕方ない。

資格がほしい理由は2つある。1つ目に、2年前に「とる」と決めたから。決めたことを変える、辞めるという選択を取るのに慣れてない。一度決めたことをやり遂げられないというのを、自分の心にある世間に非難されるのがだるいという気持ちがある。
2つ目に、好きな時に好きな場所に行きたいから。資格さえあれば突然引っ越せる、どこでも食べていける。

私の今の人生における願いは2つ、1つ目に心理学で人の役に立つこと、2つ目にそれでご飯を食べていく(自立する)こと。これ以外も子を育ててみたいとか、ともに育てる人がいたらうれしいとか、本を出したいとか、色々願いはあるけど、でかいのは2つだけで、あとは叶わなくっても幸せ。
これは公務員だとしても叶う。研修制度も留学もできるから(国のお金で!)勉強が続けられるし、育休産休もとれるし、給料も公認心理師でかけもちなしでいるより200万高い。

懸念点は副業ができないというところ。しかし調べてみたら執筆活動はできるし、その他も社会通念上おかしくねと言われない程度の収入ならオーケー、あとは市町に要相談らしい。
私はビーズでアクセサリーを作ったり、彫金もしてみたいし、ガラスのバーナーワークもしてみたい。そういう道具を買うお金も、公務員なら十分に手に入るし、少しなら売ることができるし、公務員で良くね?と思い始めている。

ただ資格が無いので、公務員から転職がしにくいのが懸念。まあ公務員でいたらお金はあるだろうから、貯めて、大学院に行って臨床心理士の資格をとってもいいな。それは子育てが一段落してから、私が50になってから!?!!!とかでもいいな。え、子育てって浦島太郎???ヤバ、

心理系の公務員は、10年間は転勤ばかり。2年毎くらいのスパンで新天地。私一人だとしたら、すごく楽しみ。国のお金で色んな県へ引っ越せて、いろんな街が見れて、あまつさえ住めるなんて、本当に楽しみ。でも配偶者と子どもを産むことを考えると、ついてきて貰うか、単身赴任で育てるか、いずれ合流して育てるかだな、、。

こういう点が不安。私一人の人生ならどこで野垂れ死んでもいいし、公園の水で空腹をごまかす日があってもいい。けど、配偶者がいるなら、幸せになるつもりで生きていくべきだと思う。だからおりゃ!という感じでは選択しちゃいけない気がする。『私はこうしたいてす。ついてきてくれますか?』と言うのも遠慮しちゃうし、責任。重い。『私のせいで人生めちゃくちゃになってもいいですか?』って言ってるようなもの。もちろんめちゃくちゃになる前提じゃなく、出来るだけ倒れないようにするんだけどね。

本来女が、男のやりたいことを支えるべきなのかなみたいなつまらない前時代的な考えも、私に浮かんでくるし。

葬送のフリーレンみたいに、無免許の闇魔法使いでも、超実力と知識があるっていう人もいるはず。大学や大学院に行かなくても、魔法を集めるのを「趣味」と言って、フリーレンはよく本を読んでいる。これが有識者の本来の姿だろうなと思う。
資格があるのは、「この人には知識と技術がある」という目に見えないものを持っていますという証明を、大多数の人にするためだ。資格は道具。その道具がほしいんだ。
今の日本は、今の人間の勤労寿命が長く見て80歳として、高卒してから4年大学2年大学院でみっちり専門教育を受けさせるのが、より多くのエキスパートを育成するために良いという考えのもと、あらゆる資格の必要条件に大学・大学院が設定されているんだろう。

学びたいやつは勝手に学んで、施設で実習が必要なら筆記で学力テストでハードルを作って実習行かせて、国家試験受かったやつは公認心理師資格とれる、みたいな風には何故してくれないんだ?6年間もかけられない。授業下手な教授の授業もまた取らないといけないとか嫌だ。
何で高卒段階で決めておく必要があるんだよ。決められるわけ無いだろ。

そもそも勉強するのに何故お金がかかる????国は、学びたいやつにはお金出して育成したほうが、国をより守って発展させる脳を増やせるじゃんか。それなのに、学費や生活費のためにバイトする学生ばっかりでさ。その時間を勉強に当てたいよ???1時間1000円程度で売りたくないよ。
馬鹿みたい。お金払って大学行って教えるの下手な教授の授業が必修で、そのカードで就職して。

勉強って一人でできる。大学行かなくてもできる。

これからの人生、大卒のほうが生涯年収高いから、大卒になろうとするわけ?食いっぱぐれないように資格取るわけ?
なんか、逆になってる気がする。お金が目的になってる。
理想は、おもしれーと思うことを勉強して知識がついて、その知識を求めてくる人に教えてあげて、ありがとうお礼にどうぞって芋など貰う、そういう順序でしょうが。
大卒・資格とることが目的になったら、そもそもが見えなくなってしまう。
人を言い負かすためにとか、誇示するためとか、人を圧倒させるために知識をつけるんじゃなく、自分がおもしれーと思って勉強したいよな。
だから、だから資格は取らなくても良いのかもしれない。そしたらある程度公務員として働くことになるだろうな。20年とか?
うわー。自分の人生が決定することが怖い。自分の人生がぐちゃぐちゃのめちゃくちゃになればいいと思ってるから、1個固定されるのが、やだな!って思う。安定などしたくない。安定などしないか。公務員になったぐらいで。

気持ちなどどうでもいいじゃんか。仕事ができてれば。

フリーレンは確かな知識と実力のある魔法使いだから、どこでも仕事があるし、どこへでもいける。その土地で趣味である魔法収集をしてもっと知識を得て、さらにどこへでもいける。何がフリーレンをそうさせるんだろう。実績が、いるんだな。

他の誰が、何を言ってきても、私が自分の物差しで決めた選択なら、後悔しないし、後悔にしない。そのため今考えている。

私は通信の大学で独学で(と言っていいだろう)一人で(と言っていいだろう)心理学を学んできた。今回面接試験に落ちて、へこたれた。今も少しへこたれている。一緒に勉強する仲間も、すぐ疑問点をきける教授も、強制的に勉強しなきゃいけなくなる場所も無くて、孤独だった。私は頑張った。思いつく限り、全ての手を使って、とは言えない。でも、頑張った。家で、図書館で、バスの中で、バイト先の休憩室で、頑張った。わからないことはネットで、本で、文字で、理解しようとした。

でも恥ずかしい。カッコ悪い。受かった人は30人いるわけで。私の努力と実力不足なんだ。どんな状況でもやる人はやる。私がやらなかったから、受からなかった。運もまた実力のうちだし、運要素をゼロに近づける努力をした人が、30人として選ばれたんだ。私はそこに入らなかった。足りなかった。

面接試験が果たして正当な審査なのかどうかだよ。定員は30人だけど、ちゃんと勉強して本気で資格取りたいと思っている人がぴったり30人なわけがない。放送大学は検定料をガッポリもらってウハウハだろうね。600人のうち30人だよ。面接試験まで行けただけすごいと、色のない音声で自分に声をかけてあげよう。放送大学に転入したときはメンタルも本調子じゃなかったから、通信で家に居ても勉強できるっていうことと、いざとなったら実家からでも大卒になれるってことと、国立大学に居てまったくやる気の出ない授業で単位をもらうより心理学の授業で単位をもらいたいと思ったから。

今、現代の価値観だけで見たら国立大学を卒業したほうが就職に有利なんだろうけど、私は自分の気持ちと、時間と、時間の中身を大事にして、放送大学を選択した。間違いだったか正しかったかは知らない。後悔はない。『こうだったかもなー』とは思うけど、👍この選択にサムズアップは送ってるよいつも。

だから「国立大学を転入なんてもったいない」ってよく言われるけど、確かにね!と思うし言うけど、戻ってやり直したいとか全然思わない。『何度やり直しても私の脳みそだとこの選択を選んじゃうだろうな』と思う

私に、「23にもなって就職しないで」「いつまでも夢見てないで正社員になりなさい」って言ってくる人は一人もいない。(あ、祖母は言っていたけど、許します。)私を国立大学に押し込んでくれた高校教師でさえ、いいね!その選択!面白くて好き!って言ってくれたし、バイト先の人も偉いね凄いね頑張ってるねぇって応援してくれるし、親も応援してくれる。自分だけが自分の足引っ張って、できないって言ってくる。無駄ンゴね!

自分の人生なんて大事じゃないから、転入できた。引きこもって一度死んだみたいなものだから。もう二度と働けないかもと思ったから。バイトという身分でも、バイトだけで自立できてるからそれですでにもう素晴らしく凄い。これ以上何もしなくていいくらいもう私は凄い。
一度死んだんだから、もう人生どうなってもいいなということで、おりゃっと転入したんですね。

付き合っていたとしても所詮片思い同士だと考えている。それと同じように、結婚していたとしても片結婚同士だと私は考えようかしら。私が一方的に、この人と結婚したいと思ってて、たまたま相手も一方的に結婚したいと思ってて、それがたまたま重なる限り結婚するだけで、みたいな、、。

子どもを生むのは女だけど、男の時間も同様に大事。

こいつに時間を使えねえって思ったら、相手から勝手に離れていくか。こういうことを伝える時点で、相手がちゃんと考えてないんじゃないかって疑ってるってことになるよね。相手の知性を。

昭和のステレオタイプな男が「だまって俺についてこい」って言えるのが、かっこよく思える。それで起こる不都合も不幸も、俺が責任をとる。最終的に合計して幸せが多かったと思えるようにする。っていうことでしょう?私も、「黙って私についてこい」(後の責任は、引き受けます)って言えるようになりたい。

やー、恥ずかしいですね。未熟すぎて。女々しくて。

ボージャック・ホースマンで「半分くらい我慢できる相手がいたら爪立てて離すな絶対だ。」ってセリフがあって、


私が傷付くのは、「もう新しい人と出会って関係を作るのが面倒くさいから、付き合い続けてる」っていう状態。別れるのが面倒くさいし、お金の面も不安だから別れたいけど別れられないって状態に絶対になりたくない。だから仕事をしてたい。

新しい人と出会うのが面倒くさいから現状維持じゃなくて、配偶者の美しさに打ちのめされてるから、配偶者が好きだから一緒にいるっていう状況をずっとで、死別したい。理想論かな。長続きしないかな。若さゆえの意見かな。あれだな、今すぐにそうなれなくても、私はこういう関係が理想。

人生いつ死ぬかわからないのに、長いの、選択に困るよ〜。


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