若狭へ

 若狭で今西くんの川の浄化に関するワークショップと講演会があり、参加するために車を走らせた。主催のサポート的な立場で昨年に続き、そんな心持で行った、といってもそんなになんもしてないけれど、でも主催で前日の合宿場となっているつんつんのサポートしよーとおもってたし、やれることあったらやろうかな、くらいの。とりあえず、この週は激暑でやおやにくるお客さんも少なくて、いろいろ野菜も余ってたので、どっさり持っていった。それと梅酵素シロップ。暑さ対策に。

 晴天の中箕面のトンネルくぐっていい風景のいつもの道を走らせた。その時から風景が何か逆転しているように感じていた。左右反転してるような。不思議な感じ。帰りもそうだった。
 あまりに不思議なので、ほんまに反転してる?っていつもの風景をおもいだすけど、いや、反転してない。右も左もおなじよね。でも反転しているように感じたのよね。
 それはさておき、
あらたなところに来ているのは感じている。だから風景もちがってみえるんだろう。当然といえば当然なんだが、だった日々、ただただやっているんだから、日々、日々、なにをやるでもなく、目の前のこと、やれること、やっているんだから。それは自覚してるんです。


森の中の枯れ葉たち

 車を走らせて反転してるみたいな風景を走らせてついたときはすでになんだか疲れていた。しかたないか、いろいろと忙しい日々だったんだから。

 翌日の朝、起きたらすっかり元気になっていた。
 前夜から炸裂していたビール飲みながらの今西くんのことばが夢のように響いている。もう今日はぜったいおもしろくなるわ、と確信していた。


今西氏による森に入る前の説明

 今西君によるとやっていることは水をうごかすこと。その場に行って、どうしたらそこがよくなるかな、ということに集中すること。どうしたら水がダイナミックに動くのか、泥水をながさずにすむのか、地中にしみこむのか、水が溜まって腐り水にならないように、石が常に水が滴って湿潤でいるように。そこにあるものを活かして、そこにある(もちこんだものも含めて)枯れ葉やら枝やらを、斜面のわずかにくぼんだ所。水の道になるだろう場所を意識しながらエッジをつくったり、置きなおしたり、ふくらませたり。
 どれもこれもだれかがなにかをやったとは気が付かないかもしれないくらい自然で些細な作業だ。技術というよりも、雨が降ったら水はどう流れるのだろうか?と想像して、風が吹いても残るであろうことを想像して、何かを施す。雨は枯れ葉をはじいてみずがながれていくだろうから、枯れ葉を一度とりのぞいておきなおしてみたり、くぼんだ所に枯れ葉を突き立てたり、ポイントを手が届く範囲に3か所くらい作っていく感じ。しとしと雨だけじゃなく、さいきんのゲリラ豪雨みたいなのならもっともっと枯れ葉は水をはじいて表面をすべっていく、どうしたら地中に水はしみこんでいくのか、土は泥水となって流れていかないように、地中からしみこんだ水は石を伝って湿り気をつくり、谷底におちていき、川底からぷくぷくと伏流水になって川の水量をふやしていく、そういう想像力が大事なのかなと思った。
 だけど今西君はそういう道筋、イメージみたいなものもみえてるんだろうが、もっと今ここにあるものに集中しているふうに見えた。


 
目的をもたない(目的があったとしても)
期待をしない(期待はあるのだけど)
淡々と続けること

自然が出す現象の連続の中、興味がつきることなく、深く続けていく人の姿を見た。

 ワークの後、場所を移しての講演会で、次々と質問はとぎれなかった。驚いたのはワークに参加しなかった人たちの質問が多かったことだ。それぞれの現場で感じている人たちの中で、知識とか理論とかではなくて、体験から感じていることがすべてで、どの話も興味深くて、話は完全にかみ合っていた。


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