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「Idol Showdown」とゲーマーであるということ

ゲーマーのあるべき姿、もっと言えばゲーマーであるとはどういうことかについて、たまに考えます。
これは別にアンサーを出そうという記事ではなく、あくまでその一端をちょっとだけ垣間見た、気がするくらいの記事です。基本的には読まずともよいです。

さて、インターネットは最悪であることはおれが物心ついた時からそれほど変わっていないのですが、それでも最悪だと思える事象が毎年発生するのは凄い。年々更新されてるとは言わないけど、マシだったなと思えることも少ないように思います。

昨今ではAIの可否で人々が吹け上がっておりますが、個人的にはスト6を巡る争いの方が醜いと感じています。発売してすらいないゲームを腐すのも気に食わないけど、格ゲーの将来を人質に肯定を強要するような空気は普通に息苦しくないですか?ゲーム自体がただでさえ割りと息苦しい寄りなのに。

その中で所謂ホロ格ゲーと呼ばれる「Idol Showdown」がリリースされました。
無料なのにかなり本格的な格ゲーで、しかもロールバックコードでの対戦を実装していたりと出来がかなり良かったのは格ゲー界隈の活性化に繋がる部分だと思うので嬉しいのですが、しかし一方でインターネットでは「格ゲーマーはカス!」という言説が流れてきているようです。自分はそんなに観測していないのですが、某プロゲーマー配信のコメントに被害報告が飛んできていたり風説でそうしたことになっていると伺っています。

色々と意見はあると思うのですが、普段からホロライブを追っている層からすればホロライブを知っているわけでも好きというわけでもないおじさんが格ゲーの知識と経験で気持ちよくなっている姿を見るのは普通に面白くはないでしょうね……と自分は気の毒にはなります。
おれも当然ホロライブは一切知らない(ヴァイスシュヴァルツで見たことはあります)のに格ゲーの知識と経験で気持ちよくなってる側のおじさんなわけですが、明らかやったことなさそうな人に一戦抜けされるのはむしろ申し訳ない気持ちになったり……。

とはいえこれって格ゲーマーに限った話ではないと思ってて、遊戯王マスターデュエルがリリースされたときも「ガチ勢うぜえ」のお気持ち文章が毎日のように流れてきてたし、apexやvalorant、LoLをVtuberが遊んでるのを見て始めた初心者がゲーム性に物申しているところも見てきました。
言うたら「勝利することが最も美徳である」という価値観を植え付けられてきたゲーマー層にとっては性能の部分がより重要視されるわけで、格闘ゲームというジャンルにおいては尚更勝利へのこだわりが必要とされます。
故に「好きなキャラでゲームをしたい」という動機で始めた初心者は打ちのめされてしまうわけで、これはペルソナやメルブラや電撃、かなり遡って東方でも見られたことでもあります。

アキ・ローゼンタールの異常なワープや中足に、獅白ぼたんの意味不明な連携に。格ゲーマーはどうしてもはしゃいでしまい、動画を上げ、見て、拡散します。おれだってはしゃいだし実際に使ったりしました。だってゲームだもん。
でも非格ゲーマーのホロライブファンからすれば好きな配信者(所謂推し?)に二次創作の変な格闘ゲームの文脈を載せて盛り上がられるのはなんとなく蚊帳の外にされてる気分なわけで、きっとこういう部分でも面白くはないとは思っております。
先述した部分でもあるのですが、所謂アニメ系格ゲーにおいて「キャラのフレーバー部分を蔑ろにして格ゲーとしての性能を論じるのが面白い」というのがほんの少しほどあり(ex: ロボ子さんってドクタードゥームじゃん)、そういう点でもホロライブファン層にとって「Idol Showdown」のリリースが成功したという事実は100%ポジティブに受け取りづらいところがあるのかもな、とどうしても思ってしまいます。

朝9時からひたすらゲームを破壊するために攻略を続ける格ゲーマーのその姿は、自分の憧れる理想像の1つではあります。当然「Idol Showdown」の大会が開催されたとして優勝賞金が100万ドルにはなり得ないという前提があったとしても、そうして発見した攻略情報を積極的にコミュニティに広げようとする姿勢をおれは凄くかっこいいと思っています。
一方で、その姿勢が誰かを傷つけてしまっているという可能性についてどうしても考えてしまいます。最初に話したスト6における議論にも、体験版の時点で攻略を進めるゲーマーたちへの批判が僅かながらにでも入ってしまっているという事は否めません。

インターネット対戦、とりわけランクマッチという文化は勝利へのインセンティブをちらつかせることでおれたちゲーマーを熱中させました。
かつてのゲームセンター、もっと言えば友達同士への対戦にはあった何かが、インターネット対戦ではオミットされています。その何かとは体験に基づく文脈が複合的かつ概念的に絡み合っているものなので一口では言えないのですが、齟齬を恐れずに言うとそれはコミュニケーションなのだと思っています。
かつての対戦文化には少なからずあったコミュニケーションに対し、とにかくおれたちは勝利することが何より大事だと、それ以外のものを削ぎ落としていくようになったように思います。ガイルでひたすら待っててもオンラインでは灰皿が飛んでこないし、デッキ切れまでひたすら耐えるコントロールデッキを使っても対戦してくれる相手はいくらでもいます。

最初に話した通り、別にこの記事の目的はゲーマーへの姿勢に、そしてインターネット対戦に熱中する人々に啓蒙したいというものではありません。そもそもおれ自身が何もアンサーを出せていません。
しかし一方で、おれが欲しいと思っているアンサーの一端を提示してくれた人がいます。新田真剣佑です。

実写ジョジョ四部の億泰の人、と個人的に認識していますが、この呼び方が失礼なら訂正します。とにかく新田真剣佑氏は、自身の正体を隠してポケモンカードに熱中し、大会に出場し、更には優勝もしているという記事です。
新田真剣佑氏が凄いのは当然なのですが(ポケモンカードって参加者も多いでしょうしね)、個人的に感銘を受けたのは以下の記載です。

「正体は出さずに?」と聞かれると「帽子は被ってました」と返答。「誰もわからないです」と自身が俳優であることはばれなかったとしつつ「次の大会も優勝したんですけど次の大会は『この前優勝してましたね』と言われました」と大会時のエピソードを語った。

新田真剣佑、正体隠しゲーム大会連覇していた「誰もわからないです」 より

出自や背景を問わず、ハリウッドにも出演している俳優が、カードショップに行けば「この前優勝してた人」と見られる。そのことはある種ストイックでもありますが、しかし個人的にはゲームセンター文化のそれに酷似しているように思います。
おれもスト2全盛期ではないにせよ、2010年代付近にはゲームセンターに入り浸っていた人間なので、こうした価値観にとても強い共感を覚えます。

当然こうした価値観には「負けた人間は何者にもなれない」という残酷な現実があります。この残酷さ故に格ゲー、更にはゲームセンターが廃れてしまった、というのは極論ではあると思いますが、一端は担っているのではないかと思う節はどうしてもあります。
しかしそれでもおれはゲーマーに最も重要視するステータスはゲームの上手さです。「負けた人間は何者にもなれない」からこそ、ゲームに勝ち続けて自分を証明しようとする人を美しいと思っています。

プロ格ゲーマーが度々「e-sportsシーンがなければただの社会不適合者」という旨の発言をしているのを見て、おれは心底「ゲームが上手い人が評価される世の中になって良かった」と感じています。
その下には幸せになれなかった多くの屍が埋まっているからこそ桜が美しく咲いたことも、プロとして成立しているゲーマー、強いてはゲームのほうが少数派であるということも承知していますが、それでもGGSTでは少しずつプロゲーマーが現れていってますし、来るスト6やProjectLに向けて格ゲーも盛り上がりを見せています。

ゲーマーのあるべき姿、もっと言えばゲーマーであるとはどういうことかについて、たまに考えます。
勝負をすることは勝者と敗者を生んでしまいます。或いは勝負をしなくても、誰かを不愉快にしてしまうかもしれません。
それでも勝つために攻略を、対戦を、ゲームをし続けるプレイヤーのことがおれは好きです。
だからおれは今日も「Idol Showdown」を起動し、その後でストリートファイターVを、ギルティギアストライブを起動します。それが格闘ゲーム文化に救われたおれの、僅かながらの恩返しになるかと信じているからです。


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