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大物を倒せ! 超会議出場権を賭けて挑んだナマケットの思い出<1>

※2011年8月のできごとです。

「私は公営競技生主です。10年やってます」って言っても、もはやYoutubeの時代でございます。「なんだよそれ」っていう扱いにはとうに慣れました。

言い方を変えますね。「ネット配信歴10年、公営競技放送の最古参の一人です」これなら少しは「へえ……」とは思ってくれますけども、大差ないか。

百花繚乱を倒せ! マイナーコミュの挑戦

今から10年前、ニコ生はネット配信の頂点でした。今でいうYoutuberの位置が「生主」でした。そんなニコ生を知ったのは29歳のとき。当時はサイトやブログにて競輪やボートの世界ではそこそこの知名度ではあったものの、正直このままブログが盛り上がり続けるとは思えない感じもしていたところで知ったニコ生という世界。

直接視聴者とやりとりしたほうが伝えるのに優れてないか?

生主の中心世代が10代20代だった当時において30歳直前の私は「お兄さん」になってしまう。だが、どうせ扱うテーマは公営ギャンブルだ。ちょっと大人のニコ生があってもいいじゃないかという気持ちで始めました。

そうしたらブログよりもはるかに集まる。当時のニコ生はそれくらい勢いがありました。とはいえテーマが公営ギャンブル。若者中心のメディアでの私はマイナー分野の存在でしたから、人気生主が万単位で人を集めていたところでせいぜい数百、注目された配信(ミッドナイト競輪第一回など)で2千3千が精一杯でしたが、それでも今考えればすごかったなあと思います。

気がつけば、中央競馬系を除いた公営競技全般において私はトップクラスのフォロワー数や再生数を稼ぐ配信者になっていました。なにより、他では真似できない「4競技同時実況」は効果てきめんでした。

公営競技はニコ生と相性がいい……ずっとそう思ってました。コメントはレース場でのヤジみたいなもの。みんなでレースに対しあーだこーだ、映像を介してネットで言えるわけです。これ最高じゃんかと。ニコ生の新しいジャンルになれる! って本気で思っていました。

そこにナマケットという大会があることを知りました。生主No1を決める大会です。今でいえばYoutuber最強決定戦だと思ってもらえればいい。当時の人気生主は10代に絶大な支持がありました。第二回となったナマケットへの一次審査となる企画書をみっちり書いて、私は運営に送ったのです。元SEですが管理職が長かった私にとって企画書は得意中の得意分野でした。

そして、当然のように、ナマケット2本戦出場が決まったのです。

私は中央競馬以外の3公営競技で配信許可をとり、中央競馬には実況生主をつけ、いつもやってる「4競技4画面配信で全部当てて勝つ」という企画で勝負することにしました。発走時刻が審査時間(5分程度)に合っているレースを選び、主催者に中継交渉をしました。発走時刻が枠内に収まるように交渉したため、大会での出演時間も指定させてもらいました。

大会の本戦ではまず4組で戦い、そこで1位になって本戦予選通過。本戦予選を通過するとニコニコ超会議出演権が得られます。そこが目標です。何十万人集まる幕張メッセで公営競技の素晴らしさを演説してやろうと思ってました。本戦予選通過後の優勝争いはどうでもよかったです。

だが、日時指定したことで得られた予選番組で衝撃の対戦相手が組まれてしまいました。百花繚乱さんです。鬼かよ、血も涙もねえよ。

競馬でいえばコントレイル、ボートでいえば毒島誠、競輪でいえば脇本雄太、オートでいえば鈴木圭一郎に予選でぶつけられたようなもの。超人気生主との対戦です。フォロワー数の桁が4桁違うんですよ。囲いの差だけで負けますよ普通。って言っても、参加者全体で私がフォロワー数下から2番目の時点でよく一次審査通ったよなあ、って感じなんでそもそもなんですけどね。企画書がすごかったんだろうね、えっっへん。

百花繚乱VSシグナルRight。1000倍以上のフォロワー数差。本放送のアンケートで本戦予選通過が決まる。どう考えても負ける。ところが、キセキが起こるのです……

<つづく>

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