思い込んだら試練の道を。

と言うのは巨人の星の歌の一節ですが

ボクも結構なにかとこういうとこがあるのかなと
最近とみに思うことが増えてきまして。

とはいえ、試練の道を進むことに強いわけではなくて
『思い込んだら』の方ですね。

コレはボクの場合は意志の強さと比例するものではなく
意志とは無関係の感情レベルの話です。

恋愛や色恋の感情だけでなく
ある一定の域を超えた
パッションとか輝きとか閃きみたいなものを見せてくれた人とか
自分が非常に苦境にあった時に
そばに居てくれた人や力になってくれた人であるとか
そういう人に対しての思いの変わらなさのことを言っています。

人と人との繋がりというものは何かと移ろいやすく
また移ろっていかねばならぬものであるので
その兼ね合いなどで疎遠になってみたり
まるで縁が切れたかのようになってみたりするんだけども

事実上、実質上の関わりが殆どなくなったように見えても
ボクという人間は、すごく覚えていたりします。
ここはちょっと自分でも自負している部分かもしれない。

ボクが言うところの『好きですよ』というのは
いつも色恋の話というより、こっちの重きのほうが強くて
そうなってくるともう、ほとんど無敵な感じに好きであったりします。

逆いうと
色恋感情で『好き』と思ったもののほうが
よほど移ろいやすく変わりやすい。

無意識的に、子供の頃からこの傾向があり
精神レベルで何事も見る癖があるみたいな自分は
先に書いたような『煌きや閃きや輝きを見せてくれた人』に対しても
命を救ってくれたくらいのレベルに感じます。

事実、精神的な視点からいうと
自分の魂に活気を与えてくれたのでしょうから
魂救われた=命救われた
こんな感じなのだろうと思います。

なので例えば
大好きなジョン・トラボルタも
詳しいことや現在の動向などはなんも知らんわ
すべての作品を見てるかってーとそうでもないわだけども
自分の中では『命の恩人』的存在で大事だったり
どうにもこうにも大好きで、憧れであったりする。

何も有名人やセレブでなくとも
普通の人でも、同じような人って結構いて。

けれどもとにかくいちいち動向を追い続ける人でもなく
不器用な性格という衣をまとった
ついと気の利かぬ自分の性格が故に
思ったような『恩返し』的なこともしておらず
思ったような『支え返し』的なこともしておらず
思ったような『言葉による表明』的なことも疎かな始末で

先様にしたら何も知らず何もわからず何も感じず
ボクはすっかり忘れ腐っているように
思ってる可能性も高いくらいなんだけども
実は相当忘れていない。もちろんいい意味で。

そこで『思い込んだら』です。

ボクという人は思い込んだら
ずっと思い込んだままで忘れてしまってるように見えて
やっぱり思い込んだままであるのらしいのです。

もともと
リップサービス的なことに関しても苦手な人で
というか、とにかく気が利かないタイプですから
気の利いた言葉を掛けるというのがうまくないですし
故に、おべんちゃらも苦手なんですけども

そんかわり
言うたことは結構ちゃんとケツ持つようにしていて
だからこそ、かる簡単に言えないみたいなのがあって
おべんちゃらを言わないわけです。

うんと昔に「すごいなー!」とボクが言うたら
もうほとんど永遠に、命の限り『すごいなー!』と思い続けてるに等しい。

で、何が言いたかったかというのを
すっかりわかんなくなったので
唐突に話をやめてみたいと思うんですけども

まあそうね。とにかくね。

ボクは人を裏切るってことはあまりできませんよ、みたいなことを
言いたかったのかもしんないし
一度受けたご恩は忘れないタイプなんですよ、みたいなことを
言いたかったのかもしんないんだけども

そういうようなことって
皆に伝わらない事が多いのがちょっと残念。

そんなこんなで、ボクはいつも誰かに、しかも沢山の人に
片思いばっかしてる人なのかもしれません。

かしこ。


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