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”gift” ~リコ again~

こんばんわ。リコです。
この間、うんと前の自分のクリスマスの思い出話をしたけど
また追加で話をしに出てきてみました。

あの時話した16あたりから
今はずいぶん年月が経っていて
もう自分も40も半ばになっちゃってたりするんだけど
未だに成長しないでいるっていうか
心が未熟なままであるのに
娘もすっかり思春期真っ只中の女子になっちゃって
いろいろ手に負えないことも出てきたりの中で
すっかりおばさんじみてしまったなーなんて
そんな風に思ってる毎日なんだけど

そんな手に負えない騒ぎになっている娘を
ひとりで産んだ時のことを話してみようかなと思っています。

娘は1999年生まれで
あたしが30歳の時の子供です。
完全なる計画出産で、産もう!と思って産んだ子供です。

そのちょうど10年前にも一人娘を産んでいるんだけど
その子は離婚の際に相手方のところに行き
以来、会わせてもらえず
贈り物を送っても捨てられ、当然手紙も捨てられ
電話も瞬時に切られてしまうなどしてて

なんというのか・・・とことん悪者なんだろうな、あたしは。
夫と子供を捨てて好き放題やりたがったバカ女扱いだな。
みたいな感じになっていたのだけど

それでも自分の夢や希望をいっぱいに
期待いっぱいで産み育てた子と引き離されたという思いが強くて
どうしても今度こそ奪われない子が欲しかったのです。
あたしの子。決して奪われない子供が。

こうやって書いていると
何もかもが自分の人生全部、馬鹿げたエゴだけで選択して
案の定、転け続けてきたんだよなーって思うけど
あたしは結局のところ、そうやって生きてくしかできなかっただろうし

今頃、あれこれ「あの時ああしていれば・・・」なんて
どんなに後悔してみた勢いで
別の道を行った場合の自分を想像してみても
やはり結局、同じことにしかならなかったんだろうなとか
そんな風にも思うのです。



初めての恋の流れのままに結婚をして
産んだ子どもとは離れ離れになって
ひとりで奪われない子供を産まなければならないと
強く強く思っていたあたしは
当時、前の結婚時にはなかったほどの大恋愛の最中にいて
これ以上ないくらいに大切に扱われ
これ以上ないくらいにあたしという人間を尊重してもらい
文字通りの「相思相愛」の中で、ゆくゆくは結婚し
その人の子供を産むつもりでいました。
彼もそのつもりで、その話をしょっちゅうしてもいました。

けれども、なんやかんやで
その人の子供を産むことは叶わず
このままでは子供を産めないままになってしまうかもしれないと
悲しみと不安と焦りの中にいた時に
優しくそっと抱きしめるように傍にいようとしてくれる人が現れて

でも・・・その人は妻帯者だったし
あろうことか、付き合っていた彼氏の友達であったりで
どこから見ても付き合ってはならない人だったのだけれど

あたしはとにかく1999年に子供を産まなくてはならなかったし
この人は恐らく嘘をついていて
あたしと赤ちゃんの元には残らないと思うけれども
それでもこんなあたしに優しくしてくれる奇特な男性ですし
大恋愛が壊れたばかりで、正直、藁にも縋りたい状態でもあったし
とてもとても歌もうまいし
人を楽しませることが大好きな天性の明るさもあるし
きっとこの人の子であれば・・・というような気持ちもあって

実に計画的に妊娠をして、産んだのでした。

妊娠中・・・

前の妊娠の際には、お腹に子がいる状態で
殴られたり蹴られたり罵られたり
どんなに完璧に嫁業をこなしても認められずのまま
結婚式も無理やり姑にキャンセルさせられたり
そのようなせいもあってか、妊娠がわかった時から産むまでずっと
酷い妊娠悪阻でたまらない状態であったりしたのだけど

下の子の時には
とてもとても大事にされて優しくしてくれて
つわりの時も代わりに毎晩食べれそうなものを聞いては作ってくれて
経過も順調、気持ちも安定した妊娠期間を過ごせました。

男女の仲というのはほんとうに不思議なもので
どんなに大事に想い合って愛し合っていても
ひどい状態になってどうにもならない、説明もつかないような
到底人には理解され難い関係性になることもあって
それでも尚、離れられないとか、嫌いにはなれないとか
それでもまだ愛しているとか
意味のわからないことになることも少なく無いですね。

殴られ蹴られ罵られしていても尚
愛し愛されていた前の結婚のようなケースもあれば
優しくしてもらっていて、愛されているようであっても
共に生きていこうという関係ではなかったりします。

お腹が大きくなるにつれ
お腹の子の父親の様子がじわじわとおかしくなっていくのを
あたしはちゃんと感じていて
コレはどうにもならないな、どんなに大好きでも
どんなに共に家族になりたいと思っても
きっとどうしようもなく、それはきっと叶わないな、と
しっかりはっきりとわかっていました。


前回、あたしの話の中で取り上げた映画のこと覚えてますか?

生きていく中で何度も手にとっているのに
まともに内容なんか覚えていないという
あたしにとって不思議なクリスマス映画『サンタクロース』です。

あたしはこの時も、この映画のビデオを借りてきて
クリスマスイブの夜・・ってあ、今日もクリスマスイブですね。
そう、今日と同じクリスマスイブの夜。
お腹の子が胎動も始めて
毎朝自己主張激しくなってきたこともあって
子供も一緒に見たいなと、彼に提案したのです。

けれども・・・

彼はそれを見る前に他のを見ようと言ってきて
まあ、それを見てからでもいいかな、って言って
見ていたら、ものすごくお腹が張ってきて大出血して
そのまま緊急入院になってしまい、台無しのクリスマスになったのでした。

それは、あたしの苦手なパニック映画でした。
お腹の子も嫌いだったのかもしれません。

そしてそれを境に
彼は、家に立ち寄る日がみるみる少なくなっていきました。
なんというか・・・そういうものですね。
うまく言えないけれど、”違うよ、そうじゃないよ”っていうサインは
大抵、こんな風にじわじわとやってくるものです。

お正月前までには退院もしていたし
年越しも自宅で迎えられたのだけれど彼はきませんでした。

あたしはもうほとんどひとりを心に決めました。

それでも所謂、惚れた弱みというのもあるにはあったから
最後の最後まで望みを捨て切りはしなかったけれど
覚悟は決めた、そんな年越しだったように思います。

3月末ごろに出産するまでは
そんな感じでほとんどひとりで過ごしました。
と言っても、産む前日まで働いていたので
それはそれで明るく元気に働きながら生きていました。

その頃、母と叔父が無職の状態で
あたしは大きなお腹を抱えて
仕事とバイトもしながら暮らしを立てていたのだけれど

産後休暇が終わると同時にすぐに預けられるよう
乳児園を走り回って探して
園長先生に直接お会いするまで帰らないなどと頑張るなどして
事情を深く説明して受け入れ約束を取り付けたりしながら

とにかく、このお腹の子だけが
神様からあたしに与えられる、唯一の”gift”になるはずと
もう二度と、誰にも奪わせないし、絶対に幸せにしてみせるのだと
心のなかで目一杯力込めて踏ん張っていた時期でもあります。


そんな中でも、たまにはふらっとやってきて
身体を気遣ったり、お腹の子を気遣ったり
優しげなことだけは言ったりしたりしてくれる彼がいて
出産費用や養育費のことなんかも言ってきてたけど
そう言う一切も受け取らないと心に決めて
貴方はよそのお宅の旦那様ですから、そちらに専念してください。なんて
意味不明の女の意地なんか見せちゃったりしてたんだけど

それでまさにその通りに
彼はとうとう、すっかり逃げ切りしてくれちゃったわけで

産み月が近くなってくると
ラマーズ法の練習かねて開催される
母親学級、なんていうのが産婦人科にはあって

それに参加する度に、母親学級ならぬ
父親学級的な・・・なんというのか・・・
よそのプレママはみんなプレパパと共に参加してたりして
得も言われぬ寂しさや悲しさでいてもたってもいられなくなって
涙がこぼれて仕方なくなってしまうのを
「あら、リコさんはマタニティブルーなのかしら」かなんか言われて
違うし!とか思いながら泣き笑いしたり

出産の日は酷い難産になって36時間も
陣痛室でウンウン唸る羽目になってた挙句に
鉗子分娩になんかなったりで(アレは本当に恐ろしかった!)
産後の入院期間中も、心身ともにボロボロの中
どこのお宅もお父さんが目を細めて赤ちゃんを抱く姿があって
その度に布団を頭までかぶってみたり

三時間おきの授乳時間に我が子を抱けば
あまりの可愛らしさに
この可愛らしさと愛しさを分かつ人がいない残念さと
娘に対する申し訳無さとで、やっぱりまた涙が止まらなくなったり

退院後、生まれたばかりの我が子を抱いて
近所のスーパーに買い出しに出かければ
幸せそうな家族連ればかりが目に入って
柱や棚の影に隠れて娘を抱きしめて、やっぱりまた泣いたり

産後検診が終わるやいなや
夜は家にいる叔父に娘を見てもらい
まだ貧血の身体を引きずりながらバイトに行って
産休中も稼がなければならなかったり
何がなんだか分からないままに、とにかく意地と根性だけ。

そこに持ってきて、産休が終わり仕事に復帰すると
待ってましたとばかりに営業仲間であるオバサン連中にはめられて
あっという間に無職で真っ暗闇。

それでも食っていかなくてはならないと
バイトを掛け持って何とか食いつなぎながら。

前彼が、その噂を聞いたのか
飛んできてくれたけれど
まさか裏切って彼の友人の子を産んでる自分が
彼に頼れるわけもなし。

まったくあたしはなにやってるんだろうなんて
そんな風に思ったりもしながら
それでも可愛くてたまらない娘と暮らす日々。
不安と絶望を抱えながら
可愛いこの子の笑顔だけは守らなくてはならないと
笑いながら泣いていたような日々。

その後まもなく、なんとかありつけた事務員の仕事で
娘と二人社宅に入れてもらえることになり
母と叔父がいる家を出て
やっとゆっくり二人だけの生活をつかめた
そんな中で迎えた初めてのクリスマス。

ちっぽけなストーブの明かりのそばで
娘と二人、初めて飾った小さなクリスマスツリー。
出窓から空を眺めて星を見る。


なかなかどうして、うまく行かない人生。
あの恋もこの恋も
何の話だったのか、今じゃさっぱりわからないけど
とにかく、今、ここに可愛い貴女が生きていて
かーちゃんはきっと幸せ。

あの星は、家族の星なんだよ。
これからは、かーちゃんとみっちゃんの星ってことにしていこうね。

かーちゃんはこれから、とーちゃんでもあるよ。

何があっても守っていくよ。
かーちゃんは、みっちゃんのスーパーヒーローになるよ。
絶対に見放したりしないよ。離れていかないよ。
かーちゃんはもっと強くなって無敵になるよ。頑張るよ。

あの星に、誓うよ。
ねー、綺麗なお星様。キラキラしてるね・・・。

そうやって過ごした、あの、たったひとつの聖なる夜。



すやすや眠る娘の可愛さは決して忘れない。
今となっては、ああいえばこういう
憎みきれない恐るべしティーンエイジャーになったけど。

そして今頃、彼氏とディズニーランド。
ちょうどあたしが恋に落ちた時のように
胸いっぱいにトキメキを抱えてクリスマスイブを過ごしてる。

そうやって、時代が移っていくのかな。

空には変わらず、あの星が輝いています。

娘は彼氏しか見えなくて
二人の星が見えてないかもしれませんね。

でも、あたしは見てる。
ここでいつものように、あの星を見てるのです。

メリークリスマス、メリークリスマス、メリークリスマス。


聖なる夜に、どうかどうか、娘に幸せを。
あたしからの”gift”が、娘にちゃんと届けられますよう。



この文章は、ゆわたり かつひとさんからのお声がけから始まった
ボクにとって、初コラボ作品の四投目になります。
非常に自分の力量まる無視の連載もの。
クリスマスまでに全て書き上げられるか自信がないままに
とにかく書いているという、甚だ無謀、且つ
極めて未熟なオムニバスショートストーリーです。

ほとんどノンフィクションです。が。
そんなりに話つなげていく兼ね合いで脚色もしてありますし
名前は仮名的なアレですし
小説ってのは往々にしてこんなもんかもしれず的な
まあまあノンフィクション、という感じで最後まで行く予定です。

そしてこれは

ゆわたりさんの撮影した看板画で、ゆわたりさんからのお題”gift”で
クリスマスまでにいくつ作品挙げれるかなー?のテストでもあります。

ゆわたりさんも同じ看板、同じお題で作品挙げなさる予定です。
すべて一つのマガジンに収めていく予定ですので
よろしければ、マガジンのフォローをよろしくお願い致します。

”gift” collaboration magazine


と言っても、明日でたぶんフィナーレだけども。うはは。


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