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独りぼっちの蟻だった

 生家にはずっと、テレビがなかった。友人が見ている番組の話題に混ざれない小学生はつらい。うちはテレビを買う金はないのかと思った。その頃言った、大きくなったらでっかいテレビを買ってあげる、という台詞は、今でも時々、遠い目の母の口から聞く。金がないわけでは無かったこと、一種の教育のためだったことは、後々分かった。僕はテレビを見ない人間に育ち、今更プレゼントしようとは思わない。それに、既に両親は、あの頃想像した大きなテレビとは比べ物にならない、大きくて薄いテレビを買った。
それでも、テレビへの憧れは、今でもなんとなしな思い出のような形で残っている。幼い頃、河川敷を走る車の窓から見た対岸のアパートは、人々が灯す部屋の窓明かりに彩られ、壁いっぱいにたくさんの画面が映し出されているように見えた。一つ一つ、映画だったろう。有り体だがカテゴリは、ヒューマンドラマだろう。

 仕事を始め、新大阪のボロマンションの一室で、あの頃見た映画の一場面を担う様になった。感慨はもう無い。今感じるのは、我々の姿と、列を成して食物を運ぶ、蟻の姿の重なりだ。人間は、蟻に似ている。会社とも自宅ともつかない巨大な巣に留まり、毎日脇目も振らずに仕事をする。大きさの違いがあるだけで、生き方はそっくりだ。夕刻、淀屋橋から肥後橋方面の巨大ビル群を眺めると、テレビ画面で彩られていた壁面の一つひとつは、今や蟻の巣の様に見える。何千匹の生き物が仕事をする様は今や、ヒューマンドラマではなく、アニマルプラネットの様な動物チャンネルに思える。
ヒトと蟻の違いはなんだろう。文化?思考?蟻にはないものだと、どうして言えるだろう。蟻も愛し合い、食を愛で、信仰を持っているかもしれない。転職を考え、自分の将来を考えるうちに、僕はこのまま、群れの女王を目指してそれでも決してなることの出来ない、独りぼっちの蟻を続けるのは嫌だと思った。

 8月31日、半年暮らした新大阪のマンションを、急ぎ足で退去した。来た時にはダンボール一箱とスーツケース一つだったはずなのに、スーツケースはぱんぱんで、家に送った荷物は六箱になった。ミニマリストにはなれず、生来のマキシマリストなのだ。物に囲まれて暮らしたい。蟻と私は、やはり似た者同士だ。
僕は独りぼっちの蟻だった。日々食事を家に運ぶ。起きて昨日踏んだ道を今日も踏む。前に人がいるうちは安心していい。彼らについて行けば間違えない。だが、隊列から外れたらどうしよう。羽根もない、非力な僕は、不安で堪らなくなる。いつか、生家の庭で、長い長い蟻の隊列を飽きもせず眺めた事を思い出す。中にはきっと、初めに食事のありかを見つけた1匹がいたはずだ。運と、途方もない努力と、時間を費やして、この広い広い世界から、小さな体で。彼に出来る事を、空も飛べ、海も渡るこの僕にも、出来ないはずはないのだ。

 今日東京に帰る。まだ独りぼっちのままだ。それでも、蟻でいるのはもうやめよう。海を渡り、空を飛び、大股で歩こう。時間と運と、途方もない努力を費やして、僕の食事を見つけよう。大阪に来て良かった。

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