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引っ越しはリヤカーで

 2021年2月の末の土日は、運良く晴れた。五度目の引っ越しは、終わった後考えれば運の良い事づくめの、暗雲立ち込める嵐のようだった。

27日11時、Aさんとレンタカー屋の最寄駅で待ち合わす。お互い早めに着きすぎてしまった。昼飯に中華を選ぶと、いつものようにレバニラがこんもり出てくる。良い店だ。Aさんは、私が新卒入社した会社に半年ほど遅れて入って来た中途社員だ。我々のLINEにはお下劣な単語しか並ばない。彼を尊敬しつつ、心配もしている。

 喫茶店で余った時間を潰し、二人でだらだらとレンタカー屋まで行くと、まさかの2トンロングが普通免許では運転できない。そもそも借りたのは2トンショートだったが、数日前ショートが用立て出来ず、ロングでもいいか、と尋ねられ、了解したのが運の尽きだったわけだ。腹立たしいのは運転出来るか聞いたにも関わらず、電話先のおばはんは、多分行けるだろ、と言ったことだ。調べなかった私も悪いが、怒り心頭である。
申し訳なさそうなのか無くなさそうなのかよく分からん顔の店員を斜めに見ながら、思い付きでO社長に連絡すると、まさか8トンまで運転出来るという。いつもの様にねちっこい感じで"なんですかぁ宮内さん?仕方ありませんねぇ"と言う彼の相手は日頃は憂鬱だが、今日は神様の声に聞こえた。

 O社長は、夕方まで予定があるらしい。これは仕方のないことなので、とにかく繋ぎに、別の車を探すことにした。運良く、近くのレンタカー屋に日産キャラバンがいるらしい。取りに行くと、ごつくてなんだかマンボウみたいな色のバンだった。支払いを済ませて乗り込み走り出して5分、見事に路頭のポールに、Aさんは脇腹を擦り付けた。サイドミラー越しに恐る恐る眺めると、めっこりいっている。二人してテンションはドン底である。顔を見合わせて力無く苦笑いをするしかなかった。振り返るとポールは少し、斜めを向いていた。

 友人のOとSと家で落ち合う。実は前回の引っ越しも、焼肉で手伝いに来てもらい、地獄の山野行を手伝わせた二人だ。私ならオチの見えた天丼ギャグならぬ天丼引っ越し地獄、誘われても行くか悩むところだが、彼らは仕方ねぇな、の一言で来てくれた。私に有り余る人望があるのか、彼らに有り余る人徳があるのか。正解は言わずとも。恵まれた私だ。

 キャラバンに積んだ第一陣の荷物は既に、一人暮らしのサラリーマンには多すぎる。少しづつ荷物が運び出された家は、急に広く見える。溜まっていた物の代わりに、空気の様な寂しさが部屋を満たした。
不思議な家だった、別れた恋人の家に暮らしながら並行してこの家を借り、時折の週末に訪ねては物を作ったり寝たり、暇を潰したりした。築55年の不便な間取りや設備には住んでいる最中は辟易したが、今となってはなんだか手をかける愛おしさに溢れていた。便所の洋式アタッチメントや、少しでもシャワーを浴びやすい様に取り付けたホースは、どちらにしても無用だし置いて行くことにした。高かった。次の住まい手が、少しでも便利だと思えばいい。

 キャラバンを返しに行く時点で今日は早めに切り上げ、皆で飯を食いに行こうかと考えた。O社長に電話すると、今日中に片付けてしまいたい、と言う。運転手が右を向くなら、右を向こう。朝来た道を引き返し、因縁の2トンを借りに行く。馬鹿でかい運転席で、O社長は学生時代にレンタカー屋でバイトしていたこと、自分の引っ越しは物好きにマニュアルトラックでやった事を話した。器用なハンドル捌きを、フロントガラスから差し込む夕焼けが染める。

 2トントラックは流石にでかかった。だが、しこたま積んだのに、我が家の荷物は一往復分残った。明日友人二人は来れない。既にとっぷり暮れた夜道を、最後の荷物を運んで車に戻ると、今日中に明日の荷物を載せてしまおう、と決めてくれていた。私には申し訳なさすぎて頼めなかった事だ。
最後の荷物を載せ終わって終電組は帰り、自転車で数分のところに住むSと顔を見合わす。23時なら、出前くらい取れるだろう。届いたピザを頬張りながら、他愛もない話をする。ふっとSが、ほんとなら、今夜中やってたって良かったんだぜ、と言う。
"げらげら笑いながらさぁ、でも、知らない人ばっかで気まずかったぜ。"
そうだよなぁ。
"次やるときゃ、知ってるやつだけにしてくれよ。気も使わなくて済むしさ。"
良い友達を、持ったもんだ。でも流石に次はないだろう。次は、大人しく業者を呼ぼう。それか、私自身で運転出来る様になろう。段々、誰もが大人になる。私だけが、大学生の様な我儘さを持ってはいられない。
Sが帰った後、布団も毛布も、灯油も無いことに気付く。唯一防寒具として機能しそうな段ボールにくるまったが、当たり前だが二月の夜は心底冷えた。歯がガチガチ震え、眠ることは出来なかった。

 日曜は、土曜と同じくらい晴れた。風も無く、昨日より暖かいくらいだ。昨日と同じようにAさんとレンタカー屋で落ち合い、見事に凹んだ車の脇腹を撫でて乗り込む。既に警察を呼んである。Aさんの運転は、昨日よりずっと上手くなっていた。現場で無駄話をしながら待っていると、じき若い警察官が自転車で現れ、呆気なく現場検証は終わった。

 残りの荷下ろしもつつがなく終わる。部屋の中に堆く積み上がった段ボールを見ると、ふっと息が漏れた。旧宅を狭いと思っていたが、それは違う。私自身の際限のない物持ち癖が、狭い箱庭を作るのだ。新宅はおよそ2倍ある。

 夕刻自転車で、もう二度と通るか分からない、何度通ったか分からない道を走り、引渡しのために旧宅に向かう。引越しの最中から流れ込み始めた水の様な寂しさは、部屋や押し入れや納戸を満たし、夕暮れの暗がりは水底の様だ。家主と家に頭を下げ、今度は走ったことの無い道で帰る。さよならだ。

 2021年2月の末の土日は、運良く晴れた。五度目の引っ越しは、終わった後考えれば感謝すべき事だらけの、自分を見つめ直させる二日だった。次の引っ越しは、いつだろう。

#お引越し #日記

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