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小豆島 「線描」

 朝日を浴びると、人は否応無しに目覚める。小豆島の朝は早かった。むっくりと起きて、公衆便所で顔を洗って鏡を見ると、気に入っていた白のTシャツに、汗で染み出したであろう革鞄の茶色が染みになっていた。一昔前のヒッピーのタイダイシャツの様になってしまった。漂白剤で落ちるのだろうか。ふと目を落とすと、手や足の甲は傷だらけで、乾いた血がこびりついている。腕を上げて脇の匂いを嗅いで、むっとした汗の匂いに慌てて顔を背けた。

 今日はとにかく、昨夜彼が教えてくれた風呂に入ろう。土庄まで出て、飯にありつこう。起き抜けの頭を振りながら、そんな事を考えた。空きっ腹を抱えて2時間待った山あいのバスはよく走った。私が1時間かけて歩く山道を、ほんの10分で走る。エンジンとは、機械とは、すごいものだ。作れもしない、仕組みも知らないのに恩恵だけ預かれる事に不気味さを感じながら、私はバスの三面に流れる車窓を眺めた。
彼が教えてくれた風呂屋は、商業施設の一角にあった。10時から開店らしい。飯を食っても時間が余ったから、ぶらりと歩くと浜辺に出た。泳ぐつもりもなかったが水着を忍ばせた事を思い出し、ひと泳ぎする事にした。本当は昨日の晩宿も取れず、朝一のフェリーに乗って帰ろうかと思っていたのだ。不思議な偶然が重なって、私はいつのまにか点の旅から線の旅へ歩みを変えていた。東京から大阪、そして岡山、姫路を抜けて小豆島へ。点在した旅路は線で繋がり、地図の中で面の様相へ。風呂に浸かって、そろそろうちへ帰ろう。

 帰りのフェリーは、行きと違い満席と言っていいほどの人を乗せた。日が落ちる瀬戸内の陽光が差し込み、はしゃぐ子供らの声が響く。屋形船の様だった。この中の何人が、小豆島で生まれ、育ち、釣り人の兄さん達とは違って本土で生活を始めたのだろう。満天の星空があっても給料は低く、緑は多くても遊びの少ない島暮らし。そう聞いても羨ましく感じるのは、無い物ねだりだったろうか。

 帰りの電車は、あっけない程順調に進んだ。播州赤穂、姫路、神戸、三宮。ホテルや、名も知らぬ駅名を見るたび、今ここで飛び降りれば、と心は疼いたが、身体中の痛みと疲労感が押し留めた。新大阪に近付くにつれ、熱病の様に体を浮かした気持ちは薄れ、つまらない平常に戻る気がしたが、飛び降りる事を控えさせた足の裏の巨大な水泡が、一歩毎に激痛とともに、夢ではなかったと思わせてくれた。

着替えと充電器と、水着しか入れていなかった鞄はいつのまにやら土地土地のもので相当な重さになっていたが、手元に残ったのは、使い切った乗船証だけの様にも思う。

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