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水平線の町、倉敷 「垂直」

 のっそりと回らない頭でベッドから起き上がった時、確か既に9時を回っていた。休日の朝寝坊にしては早いが、私にしては随分と遅めの朝に感じた。昨夜食べた魚の小骨は、いがいがとまだ喉の奥に残っている。随分と奥に深く刺さってしまったため、人差し指を突っ込んで突端に触れることしか出来ない。ゆっくりと件の大風呂に向かいながら、今日は何をしよう、と考えた。
とにかく海が見たかった。浜をゆっくりと踏みながら、ぼんやりと脳を洗いたい。雑念がたっぷりと詰まっているから、全て捨てて、心機一転としたい。地図の上には、めぼしい海浜の町は見当たらなかった。バーの男が勧めた須磨は耳にした名だったが、だからこそ人が多い町に思われた。

 朝食はなんとなく、見知った場所で食べたかった。美観地区の端には観光客が疎らだがいくつも、在住時から親と一緒に通った店がある。平翠軒に寄って食べ物好きなあの人のために土産を探そう。如竹堂で何か買うのもいい。蟲文庫が開いていれば、そこで何冊か本を見繕おう。朝飯はKUKUのカレーにしよう。12時にはこの町を出て、次の街へ向かう。風呂を上がる頃にはなんとなくな身の振りが見えていた。
町は相変わらず焼けつく様に暑かった。盆の町は静かで、人通りも少なかった。蝉がわんわん鳴いている。

 倉敷は、私にとって水平の町だった。水平線に阻まれて一定以上の記憶を持たない。今見ている景色は確かに過去目にしていたが、水面に映って時折揺れる、虚像にも見えた。歩いても歩いても、郷里の懐かしさを感じることはなかった。昔、足繁く通った小さな店を店の前だけでも通ろうとしてぶらついたが、場所は間違いなく正しいはずなのにどうしても見付けられない。ひっそりとその店は畳まれたらしかった。朝飯を食べようと立ち寄った店は、玄関は開けていたが準備中らしかった。厨房に立つ親父に食えますか、と声をかけると、ちょっと焦った顔で、もうちょっと待ってね、と言われた。悪いことをしたな、と思いながら30分程時間を潰して戻ると、彼は暑いなぁ、と言いながら冷房を入れてくれた。食後にしばしぼぉとしていると、彼が厨房で誰に言うともなし、"久しぶりに見る顔だな"と呟くのが聞こえた。聞き間違えだったかもしれないし私について言った言葉では無かったかもしれないが、急に水平線の旅が、垂直に立ち上がる様に思えた。

 誰かが、経験は螺旋の様なものだと言ったのを、どこかで読んだか聞いたかした事がある。そうであるなら、水平と垂直は、螺旋の一部だったのかもしれない、と感じる。登っていく最中の私の螺旋は、大回りや小回り、絡み絡まれ、煙の様に立ち上る。もしかすれば確かに、故郷巡りなどする程のものでもないかもしれない。飲み干した食後の珈琲は、甘かった。喉の奥の小骨はいつのまにか、抜けていた。

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