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水平線の町、倉敷 「水平」

 8月13日、突然の旅に出ることにした。恋人にも振られ、住んでいる大阪にも家のある東京にも居場所が見付けず、とにかく自分が少しでも今あるいざこざを忘れられる所に行きたかった。鞄に数日分の着替えと携帯の充電器と水着を詰め込みながら、30分後の電車に乗る事だけ考えた。一度でも布団に入ったり、煙草の一服でもしようものなら、急に根が生えた足が踏み出せなくなる事が怖かった。

行き先は何となく決まっていた。生まれ故郷の町、倉敷だ。中学で東京の寮のある学校に行き、東京にいる間に両親が引っ越した私にとって、倉敷はもう何年も帰っていない、幻の故郷だった。幻は恐ろしいもので、いつの間にか成長する。見ない間に故郷は、幻想として、と現実として、変わっていき、その乖離は随分なものになったろうと思った。今の内にその乖離を、出来るだけ擦り合わせよう。きちんと自分の足で歩いて、頭の中の地図を作り直すのだ。そうでなくても観光地として湧く倉敷は、予想もしない変貌を遂げているに違いなかった。

 数秒迷って選んだ新幹線さくらは、結果として正解だった。全くもって知らなかった事だが、いつも乗るのぞみに比べさくらの内装は年季が入っており、茶色い布張りの座席はちょっと広かった。急に非日常に吸い込まれ、足を止めると根の張りそうな恐怖を忘れる事ができた。たかが45分足らずだったが、私はこの旅の幸先の良さを感じた。
岡山駅で電車を乗り換え、倉敷駅には呆気ない程に早く着いた。それよりも更に呆気なく感じたのは、駅からしばらく歩いて見知った町に入るまで、なんの記憶も感動も無かったことだ。不思議なことに、幼少に暮らした町だからか、記憶が水平線で隔てられた様に、行き交った道でさえある高さを越えると思い出さなかった。それよりも、何故かアスファルトに埋まった石ころや妙なところで途切れた白線に懐かしさを感じた。私は子供の頃でさえ、足元ばかり見て歩いていただろうか。

 町の中央に位置する鶴形山に登ると、シャツは絞れるほど汗だくになった。上京前の一年、父と毎朝山頂の神社に参拝のために登ったことを思い出す。彼の歳を考えると、遽には信じがたい疲労だ。汗を拭って、宿として予約をしたアイビースクエアへ向かう。今年の盆は帰らない。
宿に荷を置き、日の暮れ始めた美観地区をぶらりと歩いて、小料理屋に入ると、客は私一人だった。気の良さそうな老齢の大将に勧められるまま、ビールと一品料理をつついていると、客は1組、2組、と増えた。勧められるまま皿を頼み、隣の老夫婦と言葉を交わす。飲んだことのない飲み方に、会計はいい額になったが、悪い気はしなかった。
ホテルに帰ってバーにしけ込むと、そこでもカウンターの隣の男から話しかけられた。兄さん1人か。地元はどこだ。岡山県民は奥手で断れないのが県民性だな。飲み屋なら老松町へ行け。恋人を連れてくなら、神戸では炉端焼きでうまい店がある。明日は海を見にいく?相生なんかやめとけ、須磨にしとけ。なんだお前別れたのか、とりあえずこれを飲め。
よく笑う男につられて私もよく笑い、呑んだ。
酒の弱い私はもちろん、部屋に帰った途端倒れ込んで眠ったが、総じて良い夜だった様に思う。

 この旅は、もしかすれば幼少の故郷を失う旅だった様に思う。目にする風景は、断片的に面影を遺していたが、地図を引き直す以上に書き換える必要があることに気付いた。私は大人になり、口にする言葉も食事も変わった。残念なことの様にも、喜ばしいことの様にも感じる。幼少の故郷は消え、今帰るべき場所を作る。そうやって今ができるのだろう。
 バーでバランタインをしこたま飲ませた男の言葉が耳に残る。
「その町その町に、うまい店屋があるんですよ。そこにうまくはまった時の快感ったら。ふるさと巡りなんかやめときなさい、今楽しいことをするんです。」
ベッドでゆっくりと呼吸をしながら、明日の朝、彼が勧める大浴場に浸かって、海を見に行こうと考えていた。

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