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なんとなく、今ならわかるよ

 人生におけるさようならは、英訳するほどgood byeなことは、頻繁には起こらない。単なるbyeや、後味の悪いbad byeや、二度と会えないforeverなbyeがざらにあり、good byeはたまぁに見る程度だ。というか、good byeと言える相手ならsee you againで済むし、good byeなんて、会話上ほとんど使った覚えがない。だが、あんなに苦しくて、辛くて、寂しかったbad byeが、今から思えばgood byeだったなぁ、と思うこともある。

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 2011年、一人の女性に恋をしていた。一つ歳上の彼女は、明るく理知的な女性で、真面目な交友関係が広い人だった。小柄な彼女は、とびきり目を引くような外見があったわけではないが、人を惹きつけて離さない魅力があった。
二年制の課程に属していた彼女は、四年制だった私の大学一年目には卒業する。卒業をきっかけに、告白をする事にした。その時彼女が、選ぶのに悩むくらいたくさんの告白を受けているとは、露ほども知らなかった。彼女を連れ出す日、バイトもしていなかったから、財布の中にぽんと出せるほどの金もなく、取り敢えず親友に珈琲代の千円を借りた。
待ち合わせの大学裏は、既に東の空に日が沈みかけていた。隣町の小川を、上流へとゆっくり歩き、真っ赤な夕焼けの中で、彼女が困った様に微笑みながら、彼女も私のことを気になっていたこと、だが、ちょうど一週間程前、他の人の告白を受け、受け入れたことをぽつぽつと話してくれた。他の人とは、直前に千円を借りた、親友だった。

 すんなり引き下がるべきだったか、今でも悩む。じゃあ仕方ないね、よろしくやってくれ、幸せにね。かけるべき言葉を、今ならいくらでも思いつく。だがあの時、私は引き下がれなかった。人生で初めてのちゃんとした恋は、友情より、ほんの少しだけ重かった。いくらでも待つ、結果として自分じゃなくても構わない、一度だけ考えてくれないか。夕闇に吸い込まれる町を歩きながら、驚きで回らない頭で、そんなことを言った気がする。何度も言うが、今でも正しかったのか分からない。
その後、二ヶ月が経った。親友を呑みに誘い、結局一滴も呑まないまま、喧嘩別れとも、絶縁とも言えない空気で別れた。連絡が来たのは五月の頭だった。けりがついた、会いませんか?というメールが、未だに携帯電話に残っていた。

 単なる偶然に、運命や必然や、なんなら奇跡などという言葉を重ねるのは苦手だ。今でも読み返せば脳が煮えるほど甘いメールの文面とは裏腹に、私と彼女はその後一年弱付き合い、彼女からの一方的な連絡で終わりを迎えた。手を一度つないだきりで、大学生の恋とは信じられないとも思う。
偶然劇的な出会い方をしても、その後に連なる事柄が全てドラマチックになるかと言えば、そうでもない。というより、全ての出逢いは感動的で、特別で、素晴らしく、別れは有り触れていて、苦くて、つまらないものだ。思えば、あまりにも奥手で、うぶで、そのくせ感動症な私と付き合うのは、想像を絶する苦痛だったろう。彼女も忙しかった。
別れはその後も長い間引きずらざる負えなかったが、なんとなく、今ならわかることもある。親友とは今でも親友で、しばしば呑みに行く。あの時一滴も喉を通らなかった酒も取り返せるほど。

 不思議なことに、彼女の顔は、いくら思い出そうとしてもうっすら靄がかかったように思い出せない。会った回数も少なく、写真すら撮らなかったから、あの頃の私たちは、記憶の中の蜃気楼のようだ。
だが、感情だけははっきりと残っていて、驚きと悔しさがない混ぜのような気持ちや、じりじりと答えを待つ焦りや、連絡を受けた時の飛び上がるほどの喜びや、その後徐々に連絡が取れなくなる時の辛さや、別れの絶望を、形のない水がそれでもそこにある様にはっきりと、思い出せる。

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 人生におけるさようならは、日本語で読み直せば、左様なら、それなら、ならば、であれば、だ。その後に続くべき言葉は多いはずなのに、なぜそこで切るだろう、と思うけれど、後から付け足せるからそこで切るのかもしれないな、とも今更思う。あの時さようなら(二度と会いたくないや)、と言って別れたけれど、今ならさようなら(元気でやってね)、と言えることもある。なんとなく今なら、さようなら(最近どうですか)、と言える気分だ。

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