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「雑記」家の話

 帰る場所がある事は、帰るための理由を作る事だ。そこでは自分の何もかもが許されたと感じる。パンツ一丁で寝ようが、ゴミを溜めようが、変なものを持って帰ろうが怒られない。徹底したインドア派だから、家には大切なもの全てが詰まっていて欲しい。帰宅のドアを開けるたび、溢れるように彼らに、出迎えてもらいたい。

 大学に入るまで、ずっと寮で暮らしていたから、一人暮らしには憧れとも、恐怖ともつかない感覚があった。厳密に言うと、完全な一人暮らしをするのは大学3年目からだったが、最初に入った県人会の寮は、一人暮らしのようなものだった。

まだ荷物は少ない。借り物の寮の一室なのに、壁に筆ペンでメモを書いたりした。靴は、まだ10足も持ってなかったはずだ。時々女の子を連れ込んだが、なんもなかったな。

2年住んで、引越しはこんな感じだった。四、五往復したろうか。引越し、とは、荷車を引っ張って、山を越す事から出来た言葉だと、今でっちあげてみる。ほんとにそうかもしれないが、そんなの関係なくリヤカーで行う2回目の引越しは地獄だ。

 大学三年になる年、ギャップイヤーという制度を使って、休学した。靴を作るためだった。原宿にある工房に毎日通って学ぶ。夜中に金槌を使ったり、ばたばた出入りしたりする。迷惑だろうと思ったし、そろそろ県人会の町内野球への参加や、よく分からない懇親会には嫌気がさしていた。近場で、とにかく安い戸建てを探し、一回目の内見で即決した。築46年、二軒長屋の片割れで、既に五年入居がなかったその部屋は、畳の所々に虫が死んでいて、都内なのにぼっとん便所だった。

この家の悪かった事を挙げれば、止まらない。寒いし、鼠や虫は出るし、ぼっとんは臭いし、暑いし、ぼっとんは臭い。だが、同じくらい好きな事も思いつく。なんでもやらせてもらえた。天井だって落としたし、畳だって全部剥いだ。庭に大きなデッキを作ったり、夜っぴて騒いだりした。ある人が付けてくれた名は、tokyo shelter。家主が建て壊しを決め、退去して更地になって、ぴかぴかのアパートが建つまで、好きだった。

引越しは軽バンだった。友達に焼肉で来てもらって、朝から晩まで割に合わないくらい働かせた。すまんかった。

 今は、三軒目の家に住んでいる。10年経って日々通うところも変わったが、まだもとの寮から隣駅までしか動いていない。今度の家は、和式だが水洗だ。既に4年住んでいる。

服と靴は、馬鹿みたいに増えた。既に100足を超えている。他のものも。借り物だったリヤカーも、自前で手に入れた。

家の事を語り始めると、切りがない。どの家も、好きな場所だ。自分の、捨てられない全てが詰まって、ドアを開けるたびに、出迎えてくれる。
おかえりなさい。ありがとう。

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