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不成立

論考読んで思うんですが、やっぱり議論って、双方に成立させるつもりがないと成り立たないな、と

人間が使う自然言語は、概念に対するラベリングだと考えてるんですが、概念なので明確に定義付けされたものではないワケです

それで意思の伝達を図りコミュニケーションを取っていると、曖昧さを含んだまま、更に曖昧さを重ねることになるので、どこかで綻びが出る

それを指摘するのは由としても、そこで相手の主張を否定して、論破、として、それにどれほどの価値があるのか

そも論理を組み立てる言語に欠陥があり、それを用いて意志の疎通を図っている。その欠陥を突いて、相手の主張を押しのけて、それで問題が解決する状況って、どのくらいあるのでしょうか?

寧ろ、もっと根深い問題を作り出すだけではないのかな?

と常々考えてます

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