見た映画を小学生並みの感想で記録する4/インシテミルについて

この記事は2019/9/12にAmebaブログに投稿したブログ内容を転記して作成しています。

シグマです。

当時中学生の自分は、映画化された作品を敢えて小説で読了するという謎ムーブをしていました。今思えば中二病の一端だったのかもしれません。その中で個人的に印象に残っている作品が「天地明察」「悪の教典」そして「インシテミル」の三作です。

「インシテミル」は米澤穂信によるミステリー小説で、暗鬼館と呼ばれる実験施設に「時給11万のバイト」として実験体にされた12名の男女が7日間そこで共同生活を行うというところから始まる物語です。
作中には著名なミステリー小説のパロディ内容が散りばめられており、それらの作品を知っている人はより作品を楽しめたのかなと思います。自分は海外小説を全く読まない生活を送っていたので、作品名を知っていても内容を全く知らずに読了しましたが、非常に面白かった記憶があります。様々な伏線が点在し、それらを回収する楽しみは正にミステリー小説の醍醐味といった感じです。

そんな作品を映像化したのが「インシテミル 7日間のデス・ゲーム」です。主演に藤原竜也、ヒロインが綾瀬はるかという当時の鉄板のようなキャスティングや、日テレ系番組での強いプッシュがとても記憶に残っています。
余談ですが、この作品の主題歌をMay'nさんが歌われていました。普通にビビった。

ということで以下感想

まずはこの作品の好きなところ

・藤原竜也の演技がやっぱり強い
→同氏といえば映画「DEATH NOTE」に始まり、「カイジ」や「るろうに剣心」など同時期の漫画原作の実写化の成功請負人のような存在だったように思えます。それほど彼の演技が真に迫っているからではないでしょうか。
この作品では「少し気の弱いフリーター」という役回りで、実際に議論の中周りへの相互の信用を求めたものの一切受け入れられず、たじろぐ演技や、ヒロインを震えながらも身を呈して守ろうとする際の表情や声色には非常に引き込まれました。よく全音に濁音をつけたテンプレがtwitterなどで回ってきますが、あれも彼の声が如何に浸透しやすい音であるかを示す証明にも感じます。

・「ガード」の無機質感が好き
→作中の施設「暗鬼館」には「ガード」と呼ばれるロボットがいます。ガードは被験者のサポートから夜時間の監視、死亡者を納棺する、事件の犯人とされた者を投獄するなど様々な役割を持っています。
そんなガードをいかにもロボットらしく、且つ無機質に残酷に描写した演出がとてもお気に入りです。映画作品におけるロボットといえばスターウォーズのC-3POのような機械の人型や殆ど人間(配役も人間)のクローンやアンドロイドなどが多く現れますが、ガードは正に機械であり、天井のレールを利用して動く様も何とも機械的で良かったです。(小並感)

・シナリオのテンポが良く、軽快に観られた
→7日間という時間設定、それぞれの日にちを描くのに要した時間などこの作品は全体のテンポが非常に良かった印象があります。ダラダラと描くのではなく、また駆け足にも感じない様な速度感は観てて飽きることがなかったです。2時間あっという間に過ぎていきました。

続いて少し批判的なところ

・作品内容がミステリーからバトル物になってしまっている
→インシテミルは元々ミステリー作品です。誰が誰をどうやって殺し、どの様に隠匿するか。そしてそれをどの様に解き明かすかというプロセスを楽しむ物です。映画内でも序盤はその様に進行していました。しかし、中盤以降から徐々に「殺人事件」というよりも「殺し合い」の色合いが強くなってしまい、クライマックスでは必死の攻防戦を繰り広げます。(原作にも一度に複数人が短時間で死亡するシーンはあるが)元々ミステリー映画を観ていたはずなのに気がついたらアクション映画を観ていました。ちょっと寂しい。映画を最後に盛り上げるためには仕方のないことなんでしょうけど・・・

・最も殺してはいけない存在を殺してしまったこと
→作中に関水美夜という登場人物がおり、原作では彼女を軸に物語が終局へ向かいます。しかし、映画では渕(ミステリー好きの主婦)を釘打ち機で殺害した後、主人公を夜時間に殺害しようとするも見回り中のガードに発見されガードの装備である銃による銃殺で最期を迎えます。流石にちょっと酷くはないか・・・?
原作中で重要な立ち回りをするキャラクターが映画では謎の回答を示すだけという。少し悲しい。

・最後のシーンについて色々突っ込みたい
→この作品のオチは、主人公結城が二日目に監獄に投獄され、最終日に脱獄した岩井と壮絶な戦いの末に結城を助けに入った須和名の持っていた拳銃を岩井が強奪。結城に撃とうとした際に弾が暴発し岩井が死亡し時間経過によって実験終了。その後須和名が機関(デスゲームの主催)の人間と知り、報酬を受け取った結城は霊安室に潜んでいた安東と共に街に向かうが、その道すがら受け取った報酬を放り投げる。

まず、終盤の一連の流れが激し過ぎて何の話か分からなくなったし、その上元々バイトとして来ていたはずの結城が最後にはその所有権を放棄して完結という、まるでゾンビ映画の結末の様な最後。なんかちょっと虚しい。
原作では結城含めた生存者は全員報酬を受け取り、それぞれがどのような道を歩むのか少しだけ描かれています。個人的に本編後のアフターストーリーが好きな人間としてはその最後と対極な結末を迎えてしまったことが何より寂しかった。

僕の映画インシテミルについてはだいたいこんな感じです。似た舞台で描かれた全く別の作品である様に感じました。結末が全く違っているのである意味この解釈は間違っていないはず。
もし自分が原作を未読でこの映画を観たならばもう少し違う感想を抱いていたかもしれません。僕が原作好きであるからこその意見だと思います。

どの映画にも「尺」というものは存在し、その中で1つの物語を描き切るということは非常に難しいことです。まして小説や漫画を題材にしたものなら尚更。時間という障壁に阻まれ、止むを得ず物語の改変を選択し物語を完結させることは非常に重要なことです。何故なら完成しない作品は世に出ることは有り得ないからです。
「完結させる」という至上命題を遂行した故の犠牲だと僕は思って観ています。でも悲しいものは悲しい。

最近1日1本映画見てる。たのしい。

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