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20230916 ハイライトが閉じていく
※タイトルに深い意味は無い。一切。
先日、久しぶりに駒沢公園を歩いていたら、ここに足しげく通っていた頃、たった数ヶ月前なのに、それなのにとてもとても遠くに行ってしまったような気がするあの頃の感情。これを思い出した時にふと思いついて、駅前のマックの上の、大谷翔平ポスターの横あたりで急いでメモしたもの。
行ったところを記録しようと思って、ある程度フォルダ分けして作成しているInstagramのハイライトが閉じていくイメージが湧いて、嫌だった。なんでかわからんけど。前にも書いたし、使い古されている言い回しではあるとは思うけれども、理由のないもの、理由のわからないものは、怖いので。わからないものなので、これ以上説明しようがないし。というか、これは誰に対して説明しているのか。未来の自分にか。一人暮らしが始まって、自問自答する時間が増えた。嫌な瞬間がフラッシュバックすることが増えた。頭がおかしくなっている、のかもしれない。多分。知らんけど。
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理由がないものと言えば。とある人物の行動原理が、あまりにも自分と違いすぎて、理解ができない。これは嫉妬なのだろうか、とこの数年ほど考えているのだけれど、答えが出ていない。少し前までは、わからないわからないと手をこまねいているのは、実はあまり好きでは無いので、結構自分から接近する真似事などもしてみたのだけれど、わからないものはわからない。嫌悪、なのかもしれない。いや、これは違うか。やっぱり不明。答えは霧の中にはなさそうな雰囲気なので、眩しすぎて探し出せないんだろうな。
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勝手に設定、メイン議題。「『上位集団の下位』にいることと『下位集団の上位』にいること、どちらがより良い結果を生み出すのか。」
私は、「下位集団の上位」派。勝ちグセってのは全てを解決する気がする。自分にはない、って思っている時点で負け犬根性が真の芯まで染み付いてて美味しそうになっている今日この頃なのであった。上位集団にいたところで、上位は上位で宜しくやってるだけで、下位は下位で乳繰りあってるだけなのである。上が見えると、かな〜り辛い。
よく出身高校を言うと「おっ、結構凄いね〜」みたいなことを言われるんだけど、上が見える自分からしたら、嫌味にしか捉えられない。だから、隣の席の同僚が「確かに、〇〇高校から✕✕大学は落ちこぼれだわ〜〜〜!!!」って大声で言ってくれて、安心した。よくわかってんじゃん。周りの人に対しては、学歴なんでどうでもいいって、本当に、心の底から思うんだけど、自分に関しては全く触れないで欲しい。全然学歴コンプから抜け出せてない。井の中の蛙でいたかった。下手にいい高校、つまりは上位集団に入るものでは無い。
以上自論。
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そういえば、新天地に移ってそろそろ1ヶ月になろうとしている。新しい家にはもう慣れた。3ヶ月だけ住んでいた社宅の環境が非常に悪かったから、新居はまさに、桃源郷なのである。まあ、入居してから5日間は電気が開通していなかったため、友達の家に居候させてもらっていたのだが。感謝である。
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ちょっとした一言が、いつまでも喉に突っかかっている話。
以前、羽田空港横の商業施設に行った際に、ストリートピアノがあった。私は、私の親が音大出身であって自宅にクソデカグランドピアノがあるために昔からピアノ自体に馴染みがあったり、BSNHKの海外のストリートピアノ付近にカメラを置いて引いてる人にインタビューする番組が好きだったり、また京成上野駅にもストリートピアノがあったりと言うのがあって、まあ兎にも角にも、ストリートピアノを弾いている人そのものも非常に肯定的に捉えていた。
が、仲のいい人たちの1人が、「うわ、ストリートピアノ弾いてるやついるじゃん」みたいな反応を。曰く、「ストリートピアノやるやつなんて、自己承認欲求の塊で気持ち悪い」とかなんとか。
もう一つ。今月異動があり、新しい同僚と働き始めたわけであるが、雑談をしている中で、テプラの話になった。名前シールとか、ファイルの背表紙に表題をつける、あの、テープ状の、そう!あれである。アレアレ。最近言葉が出てこない。まあいいか。私はああいう若干レトロチックなものが大好きである。いや、だいすこ、である。なんだか可愛いじゃないですか。そのまま思ったことを、新しい同僚に言った。そしたら、「理由キモw」と一蹴されたのである。
2つの出来事とも、本当に彼らに悪気はなかったと思う。また、「私が」、好きなもの・ことであっただけであって、「万人が」同じもの・ことを好む、同じように素敵なもの・ことだと思う、ということがないことも承知している。私も、彼らにとって「変だ、おかしい」と思われるような言動をしているかもしれない。彼らの喉に、魚の小骨を刺しまくっている可能性は、否めない。でも、「私が」感じた好きなもの・ことを真っ向から否定されること、これは堪えがたいものがある。
要するに、嫌なものは嫌なのである。
ここから私が得るべき教訓は、何気ない一言には気をつけろ、ということである。なんか恥ずかしくなってきたので、貝木泥舟風にまとめて終了。
※ちょっと追記
ちょうどこれを書いた直後にストリートピアノ問題がテレビの特集で組まれていた。様々問題はあるだろうが、やはり、私個人としては音楽の火は絶やさないで欲しい。人間が生み出した最も美しいものはミュージックだからと、どこかの死神が言っていた。気がする。
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ここで書く内容が無くなったため、前回の記載からはだいぶ時間が経っている。それゆえ、書き始めてから2ヶ月の大長編となりつつある。内容薄いのにね。いつもか。
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さて、私は急性腸炎になり。緊急搬送と入院を経験している訳だが。だが、なんてかっこつける必要も無いのだが。だが。この辺りの経緯は、またいつかまとめよう。多分まとめないのだが。
ということで、病室の別途から、失礼、ベッドからの筆となる。これまた失礼、筆どころかスマートフォンに入力をしているだけだ。…失礼を重ねて大変恐縮ではあるのだが、私はqwerty入力ではなく、渋谷ギャルとおそろ(多分)なフリック入力の使い手であるが故、液晶の上を触っているだけだった。病室のベッドからの液晶さわさわとなる。可愛いね。より正確だし。
そして、今も手元には『入院生活にあたって』的な手引きが置いてある。曰く、「病院内も小さな社会集団であるから、ルールを守った生活をうんぬんかんぬん」というものである。まあ難しいことは無い。起きる時間寝る時間、昼間の体調確認で聞かれること、注意事項が書いてあるくらいである。
特筆すべき(まあ、健康第一の病院としては当然なのだが)点は、21時消灯であることだろう。世の中のブラック企業戦士もびっくりである。きっと彼らはこの時間に寝ろと言われても寝れないだろう。時間になると、枕元のナースコールから星の王子さまのBGMが流れ始め、看護師さんが決まった文言と共におやすみなさいの一言を添える。そして、消灯。暗闇となる。外は東海道の列車の音が聞こえ、お隣の商業施設にある映画館ではナイトショーが絶賛上映中だが、我ら内科病棟社会小集団は、集団内のルールによって就寝の時間となっているわけである。
この混沌さが川崎という街を体現している気がして、面白い。若者から老人まで、一人暮らしからファミリーまで、本当に色んな層が色んな生活をしているなと、住み始めてから思う。その一部である感じが強く感じられる。
あと2,3年は、混沌の街川崎を、楽しもうと思う。
…てか、向かいのおっさんのいびきがうるさい。
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