子供の芽を摘む親
週末に悲しい場面を見ました
今、自分が勤めている本屋では、夏休みの始まりに合わせて化石や鉱物標本のフェアをやっています
で、夕方
男の子が食い入るようにずっと鉱物標本を見ていたのです
そこにやって来た母親
「いつまで見てるの? そんなもの見てて何が面白いの?」
時間も時間ですから夕飯の支度とか色々お母さんにも事情はあったことでしょう
でも、その場面を見て悲しくなったのです
どうして子供が興味を持ったものを肯定してあげられないのだろう、と
そのお母さんは子供の頃勉強が嫌いな子だったのかもしれません
何かに興味を持って調べるという習慣よりも、周囲の子たちの空気を読んで話を合わせて「仲間」とか「絆」とか「ズッ友」とかそういう方面が大事だったのかもしれません
でも、連れて帰られる男の子の悲しそうな、残念そうな顔……
たとえたったひとつだけでも買ってもらえたなら、それが夏休みの自由研究のテーマになったかもしれません
図書館に行って図鑑を調べたり、親のスマホを借りてググったり
もしかしたら、その鉱物標本がきっかけになって科学者への道を目指すかもしれません
そんな芽が摘まれてしまった瞬間を見て悲しかったのです
『ドラゴン桜』に逆のエピソードがありましたよね、東大受けるよその高校の男子が「子供の頃にウルトラマンの図鑑を買ってもらった」という話
まさにその逆の場面でした
ついでに言わせてもらえば、こういうお母さんに限って「勉強しなさい」ってうるさいんですよね、自分が子供の自発的な学習の芽を摘んでしまったことにも気づかず、面白くもないドリルをやらせようとしたり、ね
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