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社会的価値観の変化?進化?

LGBT+αというZOOMミーティングを得て、もっと概念的に社会変化を捉えないと、ピンポイントでは理解できないようにも感じてきた。

この人生において一番の社会的価値観の変化を感じるのが「リゲイン」のコマーシャル。

”24時間戦えますか?”
このセリフが、家族団らんの夜の8時ごろ堂々とお茶の間の時間に流れていた。
 文句言う人は、誰もいなかったし
 むしろ、24時間戦える人が勇者のような人で、憧れ的にも見られていた。
 それは、1980年代の終わり、バブル絶頂の頃だったと思う。
 まぁ。そういう社会的価値観だったのだろう。
 誰も、「ブラック」「パワハラ」なんて、意識もしないし、
 労基も話題にしなかったんだろうな。きっと。
 見方を変えれば、その分お金も回ったでしょう。
 飲みに行ったし、行ったら、午前様で、タクシー乗り場は長蛇の列。
 ライオン通りなんか、すごかったしなぁ。

 それがだよ。
 今は、「24時間戦えますか?」
 いいえ、戦えません。笑)
 いや、戦っちゃいけません。ですよね。

 そこに至るまでには、いろんな社会的歪もあったろうし、
 もっと、人権を中心とした見方もあったろうし、
 見方が変わったのが正直なところだろう。

 逆説的に言うと、そういう枠を作ったのかもしれないなぁ。
 と、いう見方をする人もいた。 
 24時間戦う。と、いう概念を作ったのかもしれない。

 要するに、何がいいたいかというと、社会的価値観は常に変化してる。
 って、ことだろう。

 もっと、大きな見方をすると、
 戦国時代があって、国内で領土の奪い合い。
 が、江戸時代になって、なんとなく国というレベルで納める。
 が、国家間の争いなんかで、太平洋戦争へと発展してしまう。
 そして、復興、経済成長へと舵を切って、お金という概念に
 が、バブルがはじけて、求めるものが変わってくる。

 若い人たちの話を聞かせてもらっていると、
 フラットな感覚を感じる。もっと自分らしくっていいんじゃない?
 みたいな。

 確かに、振り返ってみると、教育も決められたレールの上を走ってきたように思う。
 カリキュラムがあって、テストがあって、ランクがついて、
 それが、あたり前と思って、それが人の生きる道・・・だと。

 最近は、そういう概念が音を立てて崩れているようにも感じる。

 これくらいにしておこう。独り言でした。

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