毎朝、家の前にいる蜂の死骸を見ながら靴を履いている

多分2週間くらいある


怖いのでどうすることも出来ず、でも靴を履くのに適した段差があるのでそこで履きたくて、こうなっている


私は毎日死骸を見て、一日をスタートさせる



この死骸はいつまであるんだろう、と、少し観察めいた思考に最近なりつつある

どうにも風が吹いても関係の無い、鳥の餌にもならない、絶妙な所にそれはある


何もない、無を感じる


無を感じるというのは些か矛盾している気もして、少しムズムズする


そしてほんの少し、怖くなる


命あるものはいつか死んでいく




東京に来る前は、外で死に触れる事は少なかった

家で飼っているインコが死んだ時、それがやけに冷たく硬く軽くなってしまったのに触れたのと、祖母の死に直面した時に涙したことがあるくらいだ 

それもこれも内の話である



東京の外には、たくさん死が眠っている


ネズミ、ハト、蜂……


それらに触れる事が多くなったのは、単純にそういう街なのか、気づくようになったのか、わからない



人生は一度きりで、リセットボタンは残念ながらないらしい

セーブデータもロードも出来ないらしい

一度終われば永遠に、この道を歩むことは出来なくなる


ハードモードを越えて、ナイトメアとかそういうレベルだよな


そんな理不尽なモードで、何をどう楽しもうとすればいいのかふと考える

この人生のジャンルは?

冒険?恋愛?友情?ジョブ?


……余すとこなく楽しむのは、きっと自分には元々のレベルが足りないから無理だろう


しょうがない


しょうがないは、世知辛い

世知辛いは、切ない


切ない命は、何を糧に燃えるのか



無理しない
心配かけない
迷惑かけない
死なない


これは闇のルールに掲載された公式ルール(人による)



常識の中でいかに自分を押し殺して、自分を表現するかは苦難の技だ

きっと私は誰かの気持ちを理解できない
きっと誰かも私の気持ちを理解できない


上辺で撫であって、馴れ合って、笑って、終わり


表向き見えてる世界は、まやかしなのかもしれない

本当のことは、誰にも分からない


綺麗に見せることは、みんな得意だから


綺麗に着飾った世界はさぞかし美麗なオープンワールドなんだろう


そんな綺麗な中で綺麗であろうとする自分が嫌いだ

時折すべて投げ出して叫びたくなる


こんなの違うんだって!


でも、きっとバグだからそんな主張はいらない


早急なアップデートが待たれる



あの蜂の死骸を、多分私は永遠にどうすることも出来ない

清掃されたら、いつの間にかいなくなってるのかもしれない

その時までは、ひたすらに同じように毎日観察し続けるのだろう 


どうしてこんなところであなたは絶えたのだろうね

それは満足いくものだったのか

苦しみながらだったのか

思いを馳せるほど、私は優しくはない



これからも私は、死に触れながら生きていくのだろう

多分、きっと



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