俳優班

 演出と共に俳優も行っております、大橋です。

 10月~11月にかけてA『Play for me』の稽古で、それまで使ってこなかった感覚と想像力をフルに使ってきた。そこで痛感するのは私のからだの乏しさでした。私たちのからだは本当の意味で人間らしく機能しているだろうか?その人間らしさをもっとも遠い位置から見つめ直したワークだったように思う。

私は、想像を共有する楽しさを忘れかけているし、敏感なからだを震わせながらからだでコミュニケーションができないし、言葉を素手でもったこともほとんどないかもしれない。あなたはどうですか?きっとあっても少ないような気がする。けどそういう瞬間が本来の人間の姿だと思うのである。

危機感を持って稽古に励む。

 しかしながら、もちろん人間らしさを頭で考えるのではなく私たちは対話し互いのからだで得た想像を共有し、その瞬間の光景に一喜一憂していた。

稽古が進むにつれ、室内のスタジオを抜け出し、私たちは学内のいたるところで声とからだをふった。俳優の川口はいつだって遠くを見ていて室内の時より断然楽しそうだった。印象的なのは、11月中旬ごろに川口がどんぐりを拾って遠くに投げていた、無数に広がりコツコツと散らばるどんぐりを1つ手に取って綺麗な投球フォームで投げる、果てしないから2個くらいでやめるけど。なんで投げてるのか聞くと、なんだっけ忘れたけど、どんぐりにとって幸せなことらしい。何度か稽古の中で植物との会話が生まれた。

1月より稽古が再開するが、からだがなまらないように、私は夜中に外で踊ってます。音楽のマイブームはヒップホップとエレクトロ系で、例えば田我流とかなかむらみなみ(teng gang starr)結構好きで、他はButtechno,Acid Pauliとかが来てる。演劇をやってるけど、その創作には音楽は絶対欠かせないです。心のシェルター。

A『Play for me』の稽古は一度振り出しに戻って俳優の身体特訓から始めていく。11月で痛感したことは表現基礎力の低さだろうか。そのためにポーランドの劇作家・イェジュイ・グロトフスキの資料を参考にしながらワークを進めていこうと思っている。楽しみにしていて下さい。

また、B『私は何が言いたい』の稽古も1月より開始します。語りのあいかちゃんは2つ下の後輩だが、対等に対話をもってA同様楽しみながら進めていきたい。


こんにちは、川口です。

先月11月末に行われた卒業制作副論文のためのプレ公演を終えてからというもの、卒論に終われる日々で気がつけば12月も終わりかけです。びっくりです。アルバイトの宅配ピザの方もクリスマスに向けてまさに佳境といったところで大忙しです。

そんな中、なんとか合間を見つけては舞台や映画の鑑賞にこぎつけております。

先日、大好きなクリストファー・ノーラン監督の「TENET テネット」を見ました。
ノーランのどこまでもリアルを追及する姿勢には脱帽します。現代のスタンリー・キューブリックと言えるのではないでしょうか。ちなみにキューブリックも大好きです。

さて、先日のプレ公演を終えて、たくさんの改善点が見つかりました。
まず、声です。

私たちは10月のはじめからの稽古で、想像を身体に乗せる練習を続けてきました。台詞から想像を立ち上げ、想像を身体に落とし込む。そして身体から得られる感覚を元に、さらに想像する。バタフライの息継ぎのような感覚で、想像から身体へ、身体から想像へ…と相互に影響を与え合わせるイメージです。しかしながら、想像する身体にばかり意識を向けるあまり、自身の声というものを意識出来ていませんでした。

自身の声を意識するとは言っても、聞こえ方を意識するということではありません。自身の身体から発される「声」というものも、自身の身体として扱ってみる、という試みです。(おそらく)

また、観客や展示物との距離感―俳優同士だけでなく、観客や展示物とどういった関係性を築いていくのかということ―も重要な改善すべき点であると思いました。

2月の本公演に向けて、さらにバージョンアップさせて行きたいと思います!
ご期待ください。

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