創作展示班①

はじめまして、劇集団「私画派」の創作展示班です!「私画派」は共通テーマの作品展示と劇的パフォーマンスを同時発的に行います。私たちはその作品展示を担う部署です。(大橋)

では、今作の展示予定作品をざっと紹介します。※タイトルは仮

1.『想像の原点』(作:大橋一哉)

2.『生きる2020』(作:大橋一哉)

3.『コンプレックス』(作:比屋根虹花・星花)

4.『自画像』(作:全員)

5.『コロナ禍の私』(作:大橋一哉)

6.『私の髪、だった髪』(作:大橋一哉)

個々の内容はこのnote投稿で随時発信していきます!お楽しみに。

大橋一哉の創作段階

○『想像の原点』画作1枚目

 私が想像することを意識し始めたのは昨年からだった。それまでは、世の中の測りで物事を見つめ、疑いの目(真を見ること)を事物や他者、自分に持っていなかった。あらゆる環境に身を置き、様々な測りに触れた、測りがそこにない時もあった。途端に私が正しいとしていた物事が崩れ始めた。すると私は歪んでいた。けど、社会から見れば整っていた。
 私は2019年と20年、想像の種を沢山手に入れた。感謝しきれないほどの想像の種。私も想像の種を一寸先に在る誰かに渡したいと願うようになった。
 すると、次第に想像の原点が現れた。シャワーをあびている瞬間だった。想像はもちろんその瞬間に限る話ではないが、あまりにふつふつと湧き出ることに驚いた。
 その瞬間に拾い集めた想像のかけらはやがて、「私画派」を描いていた。シャワーをあびる瞬間、そんな普遍の中に原点があるのだ。
 この原点にいる私を写実したいと試みたのが、この作品である。お風呂に入る私をビデオに収めた、いつもなら過ぎ去っていく単なる営みに私は慄いたことを覚えている。ビデオを往復しながら感覚を再起できる瞬間を切り取った。
 完成したこの作品は、想像の原点をより一層深く想像させた。前傾姿勢の私、握りしめるシャワーヘッドとホースは母胎回帰を彷彿させた。私の原点、出発点は言わずもがな母胎だ。
想像することは原点回帰である。0に戻って再出発する行為。私は前傾姿勢になり、シャワーヘッドを握って、激しいお湯水を身体に巡らせることで無意識のうちに母胎の心地よさを思い出し想像の旅へ出発していたのかもしれない。

あなたの想像の原点はどこですか?

○『コロナ禍の私』画作1枚目

 「対岸の火事に声を上げることができるか?」その問いかけがこの作品にはあります。

 私は現在のコロナ禍で無関心社会をじりじりと自覚し始めました。「緑の山」(フレディー・M・ムーラー)という映画ではスイスの山村に見知らぬ男達がやってきて勝手に山を荒らすんですね。なにをしてるんだと村人が問いつめると放射線廃棄物の最終処理場を山中に作ると。そんな理不尽な突き付けと闘う村人を追ったドキュメンタリーで、途中村人がこの話が隣町ならいいのにとこぼすんですよね。その瞬間自分の中で確かにねえと同調する気持ちと辺野古基地と闘う沖縄県民が浮かんだのです。そして、なんてこの人たちの声は弱いんだろうと思って。

 結果、そういう人たちが折れていくのは、私のせいだと自覚したんです。このような自分には関係のない火事に関係のない人たちが小さな声でも上げていけばきっとその問題は揺れ動くはずなんです。理不尽で不寛容な突き付けには、自分に関係なくとも声を上げなくてはと。でも、今まで私は無関心だった。私たちが無関心なせいで理不尽な突き付けも肯定されてる。いざ、自分の身にふりかかったらなんでなんだと嘆く。そりゃ自分のせいだろと。私はそういう社会を作ってる一員であると認識しました。

 対岸の火事はそんな遠い話だけではない。そばにいる友人や集団の仲間、家族に対してもである。小さな声でもあげれるようになりたいと思いました。また私は他者に理不尽な突き付けをしてないか?と問うようにもなりました。

 声を出すにはしっかり耳かっぽじって聞かなくてはいけない。1番大事ですね。

 コロナによって私たちはマスクを半強制的につけなければいけなくなった。コロナなんて誰にも分からないんだから、独自の考えを持ち込むな、従え協調性を身につけろと。いわば、マスクによって飛沫という名の言葉も封じられる。大変残酷なことだ、暴力もすでにうまれている。ポストコロナの社会に適応していく必要があるのは理解しているけど、それで叫ぶ人がいるから小さな声でも広げていきたい。


○比屋根虹花・星花の作品声明

作品テーマ

今回の創作物では「コンプレックス」をテーマに作っていきます。コンプレックスをテーマにと言ってもマイナスな印象を与えるようなものではなくコンプレックスという弱点を化粧と写真を通して魅力的、チャームポイントなどのプラスな印象に変化させたものを考えています。

写真の内容(予定)
・基本的に人間をモデルに撮影
・主役は「コンプレックス」
・作品はコンセプトにおいて複数枚

伝えたいこと

コンプレックスとは劣等感であり弱点である。周りと比べてしまう、他人に指摘されたなど私にとっては恥ずかしい存在でどうしようもない体の一部。コンプレックスとの向き合い方はそれぞれだが化粧をすることによって向き合うこともできる。
コンプレックスと向き合い、理解し、武器にする。それだけでコンプレックスとはその人にしか出せない個性であり魅力となる。劣等感を持たない“私”は以前より“私”を好きになれるのではないか。自信が持てるのではないか。顔を上げて歩けるのではないか。
コンプレックスは駄目なところではない。むしろ最大の武器であり味方なのだ。

化粧の自由

このメイクが可愛い、美しい、受けがいい、などの固定概念を捨てる。
コスメ自体もアイシャドウは瞼に、口紅は唇になどの決まりがないこと。
メイクをすることは化粧品だけでしかできないわけではなこと。なりたい自分になる手段が化粧なのである。

展示方法

今回は作品の数がコンセプトごとに複数枚あり、全体的な枚数が多いためシンプルなものにする。予定では写真を吊り下げるか壁に貼る方法で展示をする。

次回は8月20日に投稿予定。お楽しみに。

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