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My Turning POINT @私の転機


毎月26日はぷろぴの日。
その翌日辺りはぷろぴのひろば増刊号の発刊日です。今回は、9月26日20時より開催されたぷろぴのオフ会、チャット録です。
ベンチトークのお題は、「My Turning POINT @私の転機」です。チャットに寄せられプロティアンカラーは全16色、色とりどりのテンキをお楽しみください。


★ 離婚


私の転機は「離婚」でした。そこから、生きることそしてその時々を楽しむこというモットーにここまで来ることができました。これから先も楽しい転機が待っているかも…。(うふふ)

★ 40代後半での転職


一番は40代後半での転職。なんとも遅咲きですが、急速に社会と繋がり始めた私に戸惑う夫。仕事も家庭も緊張の連続で、その当時のMy 3rd placeは一人の時間でした。さて、40代50代の自分と丸くなった夫に感謝しつつ、今新たな転機を迎えています。

★ プロティアン研究会を発足


2020年7月プロティアン研究会を発足させたことが、私のターニングポイントです!では、切り変わったのは何か…? それは【多くの同志と活動できる場を持てた】ことです。そして、独りでは何もできないこと、一人になるには仲間が必要だと気付きました。生涯プロティアンに向かいます!

★ 「終わった人」にならないように気づいた時


「終わった人」にならないように気づいた時が私の転機。1会社に38年間勤めた私には何もないことに気づきました。そこでキャリコン、タナケン先生と出会い、人生が変わりました。今は毎日、楽しい日々です。ちょっと忙しすぎるところもありますが。

★ プロティアン研究会の活動を通して…


転機。プロティアン研究会の活動を通して、自分の考え方、行動が変わりました。大勢でいろんな意見をお聞きすることが、ワクワクするようになりました。会社では、時間制限等あり、大勢の話し合いがずっと楽しくなかったのですが、研究会でたくさんの外向きで、楽しい意見交換がありがたいです。

★ 3年前、マインドフルネスとの出会い


マインドフルネスで自分を俯瞰するトレーニングをずっと続けてきたことで、突然の母が亡くなったことを乗り越えることができました。母は常に人のために、ということをやってきた人で尊敬していました。そんな折にキャリコンの資格を取得する機会を得、このプロティアン研究会に出会い、様々な方と繋がることができました。そのような仲間と自分が行きたい(生きたい)方向に向かって活動できていることにとても感謝している今があることです。

★ マジメをコンプレックスから才能へ


20代の頃、周囲から”マジメ”と言われるのが、つまらない奴と言われているようでコンプレックスでした。当時、営業で競っていたライバルは話が面白く、悔しい思いをしていましたが、部長から「お前のマジメさはこの会社の上位1%に入る才能だ」と言われてから、180°意識が切り替わり、胸を張ってマジメをウリにする営業マンになれたことが今の自分を支える軸になっています。

★ 40代のザセツ


私の転機は「40代のザセツ」。イケイケの怖いもんなしの20代30代だった私が、その成功体験に縛られて40代で仕事の仕方を買えられず環境適応できなくて、とうとうメンタルダウンしてしまいました。そこでリセットして50代で立て直し、今があります。あれがなければ、鼻持ちならない人間のままだったと思います。

★ 愛地球博の計画策定と運営実施


私の転機。2005年愛地球博の計画策定と運営実施業務に携わることにより、それまでの旅行業としての感覚・経験等が全く使えず、イベントプロジェクト業務で新しいことにぶち当たりました。1年半で20kg体重が落ち、ほーんとに嫌でしたが、今思えば、チームビルディングとチームマネジメントを学ぶことができました。今の私があるのは、この時の地獄巡りから生還できたことです。

★ 私のスキルが外で必要とされている…


私の転機は、「私のスキルが外で必要とされている」と教えて頂いたことです。きっかけは、キャリコンの養成学校のテキストがあまりに読み辛く、仲間も困惑していたので、これを私が図案化したり体系化して読みやすくまとめた資料を御覧になったプロティアンのある方が、テレビやメディアで超有名な方に私の資料を紹介され、生まれて初めて自分のスキルを仕事として提供するという機会になりました。これがきっかけで、個人事業主をスタートました。

★ たくさんありますが…


私の転機、たくさんありますが・・・、一番初めの会社を辞めた時。そこからが、私の非正規の仕事の始まりです。直近はプロティアンとの出会いです。そして。「わっしょい」イベント。毎日、仕事とは別の楽しさがあります。

★ 役職定年を切っ掛けにした転職


入社以来35年務めた会社から、自分の意思で自分の仕事・働き方を選択して転職した。書類選考になかなか通らず苦労しましたが、結果的にあの転職が今の私を作っています。

★ キャリア相談の部屋ができたこと


2002年からの社長へのアプローチが実り、正式に動き出したキャリア相談の部屋ができたことが転機になりました。皆さんにも、「情熱を欠かさず、工夫をしてキャリア相談の部屋を創ることにトライして下さい」とお願いしています。

★ 2回の大きなキャリアチェンジ


①学生⇒海外にて仕事を出来たこと!
そして、その間に一人旅が出来たことで、様々な出会いや視野や価値観を得ることが出来たことです。
②部署異動!
部署異動してコロナ禍で時間が出来たところに、プロティアンと宇宙の活動に出会えたことです。素敵な方々に出会い、とてもよい刺激を受けて、これまでとは違う仲間達とキャリアを楽しんでいます。

★ 厄年


私の転機は42歳です。会社をクビになってもちろん退職金もなく別世界に放たれました。ひとり起業でフランチャイズ旅行業を始めたものの、会社の看板のない自分の力のなさに愕然となり、家族における自信を失い、居場所もなく打ちのめされた期間が長かったです。全細胞の入れ替えに10年ほどの期間を要しました。

★ 33歳/46歳


33歳:ニューヨークへの転勤=HR(人事)の担当で、最近漸く日本でもジョブ型雇用への転換が唱えられるようになりましたが、アメリカは30年前にジョブホッピング(自分の強みが活かせる所へどんどん転勤)は既に当たり前、あの仕事観も生き方も私にはしっくりきました。
46歳:メディア事業のグループ会社(約150人の中堅企業)へのたった一人の出向者ながら社長として着任したこと。B2Cの事業なので、毎日お客様宅へ訪問しクレームに対するお詫びの行脚など現場仕事に追われ、商社での仕事生活と全然違って、あたかも転職したような気持ちでした。

(編集後記)
5月から、毎月26日の夜に開催している「ぷろぴのオフ会」。今回、はじめての欠席となってしまいました。お詫びの気持ちを込めて、増刊号作成を仰せつかりました。と言っても、チャットをまとめていただいたものを貼るだけという極めて単純な作業ですが…(笑)
来月は、いつもとちょっと違う「ぷろぴのオフ会」ですお楽しみに!(管理人室)

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